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【無料】同じ話をされたくない関東人。同じ話をしてしまう関西人。

「その話、前に聞いたよ」

こちらとしては初耳のように聞いてほしくても
許してもらえないことがある。

この現象に対して

「そりゃ、同じ話2回も聞いてられないよ」

という派と

「そんな指摘して話の腰折らんでもいいやん」

という派がいる。

これは本当に個人的な経験則からですが…

前者には関東人が多く、後者には関西人が多い。

私は出身が関西なので、もちろん後者だ。

これはどうでもいい話に聞こえるが、そこそこ大きな話とも言える。

2回聞かされる側だって、積もり積もればストレスになるだろう。

「その話、前にも聞いたよ」
くらいで始まったものが

「その話、好きだね」
に変わり

「何回、その話するの!?」
と、キレ気味でフィニッシュする。

先に言っておくが、私は決して記憶喪失ではない。
同じ話でも、もう1回したい時があるのだ。

もしくは、誰にこの話をしたのか分からなくなる時がある。

なのに、なぜか歌の場合は知っている歌が好まれる。

いくら好きな歌手のコンサートでも
「えっ、そんな歌あったっけ?」
みたいな、知らない歌を連打されたら
コンサート中にチケット代金がいくらだったか気になりだすだろう。

それほどに歌は知っているほうが好まれる。
大勢でカラオケに行った際、曲のチョイスひとつで盛り上がりかたは雲泥の差だ。

実際、あまり知らない人が歌う全く知らないバラードはきつい。
もはや歌唱力の問題ではない。
その空間がしんどいのだ。
どんな顔をして聴けばいいのか分からない。
ヘタでも、みんなが知ってるテンポのある歌のほうが好まれる。

しかし、話に関しては
知っている話はアウトになる。

これは関東の人間と絡むことが増えたことで感じた、お勉強の1つ。

それに対して、関西人はあまり同じ話を気にしない(完全に持論)

以前、関東と関西における笑い文化の違いについて記事を書いたことがある。

ここで言及した違いは盛り文化。
盛り文化というのは私オリジナルの造語だが、関西人は大袈裟な言い回しをしたりオーバーな表現をすることに抵抗がないという意味だ。

実は、同じ話をすることに対する考え方も、若干それとリンクする部分がある。

関東と関西の笑い。
盛り文化以外の違いに踏み込むと…

関東は大喜利文化、関西はしゃべくり文化。
ここに大きな違いがある。

大喜利は都度都度新鮮かつ尻上がりになっていく答えを求められ、同じ答えを出すことは基本的にはありえない。
カブせて笑いを取りに行く手法、天丼というものはあるが、それはまた違った技法だ。

ゆえに関東は発想力とフレッシュなものを求める傾向がある。

対して、しゃべくりとは常にブラッシュアップと隣り合わせにある。
ようは「こうしゃべったほうが、もっとウケたなあ〜」
後悔と勉強を繰り返して強度を増していく。

ゆえに関西は人間味とテクニカルな部分が重要視される。

もちろん、どちらが良い悪いではなく、それぞれの違いであり、ここが"同じ話"に対する意識の差を生んでいる。

例えば…
お笑い芸人にもタイプが2パターンある。

引き出し型と感性型だ。

引き出し型とは、自分の持っている話のストックの中から武器を繰り出していくスタイル。
すべらない話なんかは、まさに「みんなで引き出しを開けましょう」の塊。

感性型とは、基本的に準備をせず、その場その場に応じて適応していくスタイル。
ラジオなんかは、このスタイルに近い。
エピソードトークではなくフリートークと呼ばれるものが、これに当たる。

昔、島田紳助さんと松本人志さんが2人でやっていた松紳という番組をご存知だろうか。

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天下人2人の公開スパーリング。
別名、龍と虎の甘噛みと私は呼んでいたが、このお2人のバランスは非常に説明がしやすい。

紳助さんと松本さん…
2人とも天下人ゆえ、似たような思考回路こそあれど
実は笑いへのアプローチは真逆に位置する。

紳助さんは引き出し型。
松本さんは感性型。

お互い、引き出し型と感性型のトップランナーであり、そこの違いが番組として絶妙なバランスを形成していた。

もし、龍と虎が2人とも引き出し型なら陣地の取り合いに終始する場面もあっただろうし
龍と虎が2人とも感性型ならば、間合いを見計らって探り合いの時間が増えたかもしれない。

引き出しの中から紳助さんが出したエピソードに松本さんが感性と瞬発力で言葉を添える。
もちろん松本さんが後輩なので遠慮の部分もあったかもしれないが、基本的にバッティングもなく番組は想像以上に長く続いた。

今、こんなハラハラさせてくれる組み合わせがないことの悲しさ…
もう、こんな時代は来ないのだろう…

やばい。話が変わりそうなので戻しますが

基本、同じ話をする確率は圧倒的に引き出し型が多い。
対して、感性型の人は同じ話をすることに抵抗がある。

同じフィールドで戦っていても、競っているレースが違う。

引き出し型の人が
以前した話を、再び繰り出す時…敵は昔の自分なのだ。

以前しゃべった時より、さらに面白くして提供する。
あの部分とあの部分を改良し、さらに熱量込めてトークに落とし込む。

そう、これには絶対的に必要な才能が1つある。

前にも披露した話をしているとは思えないテンションをキープしてしゃべり続ける才能だ。

「あれ?この話、前にもしたっけな…?」
しゃべる側の心の中にこんな不安が渦巻いた瞬間、ウケる話も絶対にウケなくなる。

半ば強引にでも…初めて話すような気持ちで心の底から言葉を放つ。
すると、聞いている側も引っ張られ初耳のように笑えてしまう。

すべらない話だって、そもそもは同じ話を何度してもOKというルールだった。
いつからか、同じ話をする人はいなくなったが、そのルールの根幹にはそれがある。

対して、感性型の人の意識は聞き手に向かっている。

1度した話を、再びすることに抵抗があり
多少クオリティは落ちたとしても鮮度を優先する。

そこのベースには気遣いがある。
関東の人は気遣いが基本にあり、同じ話で時間を取ってしまって申し訳ない…そんな気持ちがありそうだ。

じゃあ、関西人は気遣いがないのか!?
と言われれば、当然そういうことではなく
ここで言いたいことは、その背景…

その背景には
関西人の言葉数の多さも関係していることを忘れないでほしい。

100しゃべる人と10しゃべる人がいたとして…
明らかに100しゃべる人のほうがオーバーワークなのは間違いない。

どうしても球数を増やすと同じような球も増える。
ゆえに、これは関西人のサービス精神から来ている場合もあるのでは…?

気遣いの関東人とサービス精神の関西人。

どこにも角を立てず、これを結論づけたい。

だが、一応
関西人を代表して私から最後に一言添えておくと…

「前に聞いたから」
そんな理由でバッサリいかないでほしい。

「前より面白く喋れるはず…」
「前より喜んでもらえる自信があります」

そうやって、日々試行錯誤しながら同じ話を繰り出している可能性もあるということです。

それにしても
あまり知らない人の全く知らないバラードはきつい。




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