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<小説または散文詩>「オングリーンドルフィンストリート」
我が敬愛する,故デイヴィット・ジェローム・サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日A Good day for Banana Fish」に倣って。
(「On Green Dolphin Street」が,バックグランドミュージックとして流れていると想像してください。絶対にビル・エバンスの演奏でなければなりませんが,実際にこの曲を聴きながら読んでいただくと,より作品の意図する雰囲気が感じられると思います。)
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人のいない南洋の海が見たい,ということで,私たちは旅に出た。
2月の沖縄は,プロ野球チームがキャンプしている以外,シーズンオフということで観光客は少ない。当然,ビーチ沿いのホテルも,肝心のビーチが使えないため,閑散としている。
ある高級ホテルのロビーにあるソファーで,若い女がスマートフォンを見ている。テーブルの上には,時間がだいぶ経ってしまったのだろうか,冷めたコーヒーカップが置かれていた。
私は,その女が誰かを知っている。いや,知っているどころか,一緒に旅に出た連れだった。
私は,ホテルから少し外れた道を歩いている。通りの名が「グリーンドルフィンストリート」と読める。アメリカ占領時代の名残だろうか。その標識の下に説明書きがあった。
「この通りには,その昔,本当に緑のイルカが出たという言い伝えがあります。」
私は,何も考えずにただ歩いた。目の前にある海岸線と,それに沿って伸びる道だけを見ていた。
突然,何かが私の手に触れるのを感じた。
子供の手だった。しかも,小学校に上がる前の幼女だった。
たぶん,自分の父親と間違えたのかも知れない。幼女の手は,しがみつくように私の手に触れた。
「君は,どこの子かな」
私は立ち止まり,その女の子の目線まで腰を下ろして,聞いた。
「いるかのおうち」
女の子は,世界中の誰もが知っていて当然という顔で言った。
「いるか,の家か...」
私は,沖縄に着いてから,このホテルに向かう道で見た記憶を,頭の中で再現してみた。
「どこかに,いるかの絵かオブジェがあっただろうか...」
目の前には,まっすぐの人気のない通りがあった。
出会った後,女の子と私は,まるで親子のように歩いていた。少なくとも,他人からはそう見えていただろう。
突然,私の頭に,あるいるかの絵が壁に書かれている映像が浮かんだ。そこは,ダイビングやシュノーケリングのインストラクターが経営している店で,その名前も「グリーンドルフィン」となっていたのを,はっきりと思い出した。
「きみのおうちがわかったよ,いるかのおうちね」
そう私は言って,女の子の歩調に合わせてゆっくりと歩き続けた。
女の子は話し好きらしい。私に,家族のことや幼稚園の好きな男の子の話を,ずっと聞かせてくれた。
「好きな男の子か...」
私がそう思ったとき,頭の中に昔の記憶が,次々と浮かび上がってきた。
学生時代に知り合ったが,結局縁がなかったS。アルバイト先で知り合ったT。就職してから同じ職場にいたが,転勤先の交通事故で死んだO。
仕事の失敗もあった。なんであのとき,先にチェックしなかったのだろう。なんで,あのとき彼女にあんなことを言ってしまったのだろう,なんであいつともっと酒を飲んでおかなかったのだろう...。
確かなことは,私が,もっと違ったことを言っていれば,あるいは別の選択をしていれば,今こうしてこの道を歩いていなかったことだ。
やがて,私より先に女の子がいるかの絵を見つけた。
「おうちだ!」と言いながら,私の手を離れて,小走りに向かっていった。
「気を付けてね」
と私は心の中でそう言って,彼女が走って行くのを見ていた。
「さて,どうするか」
私はそうつぶやきながら,仕方なく元来た道を戻り始めた。ホテルまで,どのくらいかかるだろうか。
少し歩いたときだった,海を通る風が強くなり,波が立ち始めた。
そして,私の身体に,青い波の泡がかかった,何回も,何回も。
新たに来る泡は,前のものより大きくなっていった。
そのとき,私は見た。緑のいるかを。それも大きないるかを。
私は夢中で,いるかの背びれをつかんだ。
いるかは,泡の中を泳ぎながら,青い海の中へ消えて行った。
翌朝,グリーンドルフィンストリートである青年の死体が発見された。
その青年の顔は,とても幸せそうだったという。
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