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<閑話休題>ゲーテ『ファウスト』の名セリフから

 ゲーテ『ファウスト』は、小説ではなくてれっきした舞台を必要とする戯曲だが、そのセリフは抒情詩のような高雅な香りと、講談のような社会風刺に満ちた人生訓に満ちている。

 先日、終活の一環として、学生時代に読んで感動した手塚富雄訳(中公文庫)の『ファウスト』を、実家から自宅に持ってきたところ、ページの端を折っている箇所がたくさんあることを見つけた。それは、当時(21歳頃)の僕が感動した名セリフがある場所なのだが、今読んでも、当時と同じ感激を味わえるものだと気づいた。

 これは、63歳の私の感性が21歳当時から変わっていないからではなく、セリフそのものが、人類史に残る名作に値する素晴らしいものだからだろう。(ちなみに、ヨーロッパ社会が生んだ人類史に残る名作は、ダンテ『神曲』とこのゲーテ『ファウスト』だと思っている。)

 そこで、私がピックアップしたそれらの名セリフを、少し長くなるが以下にご紹介したい。なお、参考までにセリフを言うキャラクター名を冒頭に記したが、セリフとキャラクターはあまり関係ないと考えてもらってよいと思う。

1.ファウスト
こう書いてある。「初めに言葉ありき」
ここで、もうおれはつかえる。どうしたらこれが切り抜けられるか。
おれは言葉というものをそれほど重く見ることはできぬ。
おれに精神の光がみちているなら、
別の訳語を探らねばならぬ。
これはどうだ。「初めに思いありき」
筆があまり軽くすべらぬよう、
第一行に念を入れることだ。
いっさいのものを創り、うごかすのは「思い」だろうか。
これはこう置くべきだ。「初めに力ありき」
だが、こう書いているうちにもう、
これではまた物足りぬとささやく声がする。
あっ、霊のたすけだ。とっさに考えが浮かんで、おれは確信をもって書く。「初めに行為ありき」。

2.ファウスト
こうした上は二言はないぞ。
おれがある瞬間に向かって、
「とまれ。おまえはじつに美しいから」と言ったら、
きみはおれを鎖で縛りあげるがいい、
おれは喜んで滅びよう。
葬いの鐘が鳴りわたって、
きみは従者の任務から解放される。
時はとまり、針が落ちる。
おれの一切は終わるのだ。

3.ジーベル
あいつはおれを欺したが、こんどはきさまが欺される番だ。
あいつの恋人には、土の精の一寸法師(コーボルト)あたりが似合いだ。
似合いどうしが、夜の四辻でいちゃつくがいい。

4.メフィスト
こちとらを悪魔と嗅ぎつけるような鼻のきく連中ではありません。たとえ襟髪をつかんでやってもね。

5.メフィスト
こういう了見の狭い人は、出口が見つからないと、
すぐに死ぬとかなんとか考える。
大胆にやりぬいてこそ、勝ちですよ。
あなたもこないだじゅうは、もういっぱしの悪魔気取りだったじゃありませんか。
なんといっても、この世でいっとうだらしないのは、絶望して戸惑いしている悪魔ですよ。

6.メフィスト
いやはや。そんな色気ぬきのことを言いながら、中身は色気たっぷりときている。小娘に鼻気を読まれますよ。

7.ヴァレンティン
おれは死ぬ。おれは口も早いが、手はもっと早かった。
おい、女たち。なんでそんなとこに突っ立ってわめいているんだ。
こっちへ寄って、おれに言うことを聞いてくれ。

8.幽霊臀部起源論者
きょうはどうもうまく行かんな。
だが、旅行はおれのお手のものだ。
それでおれの旅路の終わりまでには、悪魔と詩人をとっちめてやりたいものだ。

9.ホムンクルス
真っ白な肌!その数がますます多くなる。
けれどその中でひときわかがやく一人の女性の美しさこそ言葉につくせない。
類(たぐい)もない英雄の家系か、神々の裔(すえ)か。
そのひとは透きとおるような水に足をひたす。
気高いからだに燃えるうつくしいいのちの火、
それがしなやかな、流れる水晶のなかで冷やされる――

10.マントー
そういう人がわたしは好きです。
不可能なことを追う人が。

11.メフィスト
この世に魔女がいることにびくついて、
悪魔が悪魔家業をしていられるか。

12.ネ―ロイス
それは二重の得(とく)で、大いにいいことだ。
人助けをして、自分も楽しい目にあうのだからな。

13.ジレーネたち
なんという火の不思議が波を染めることでしょう。
波は打ち合い、砕け合って、きらめくしぶきの珠(たま)となる。
明るい炎。それはゆらめいて、空にまで光を投げる。
夜の潮路にあかあかとかがやいて
漂う様々な物の姿。

14.ヘレナ
自分というものが遠くに遠くにいるようで、またこんなに近くにいるのかという気がします。
ただ申したいのは「わたしはここにいる。ここにいる」ということだけ。

15.メフィスト
どんな快楽にも飽き足らず、どんな幸福にも満足しない。
次から次へと欲しいものを追っかけまわした男だった。
ところが、最後の、つまらない、からっぽの瞬間を、
気の毒にも引き留めようとした。
ずいぶんとおれに手こずらした相手だったが、
時の力には勝てなかった! このとおり、
砂の上に老いぼれた姿をさらしている。
時計はとまった。

16.メフィスト
過ぎ去った!まぬけたことを!
なぜ「過ぎ去った」だ?
過ぎ去ったら、何もなくなる。それとこれとは完全に同じことだぞ。
そんなら、あの「永遠の創造」というやつはどうなんだ?
せっせと創造しては、それを無のなかへ突き落す。
「それは過ぎ去ったんだ」、そんな言いようが何になる?
それじゃ初手から無かったと同じじゃないか。
そのくせ、何かがあるように、創ってはこわし、創ってはこわす堂々めぐりの繰り返しだ。
だからおれはそんなことより「永遠の虚無」というやつが好きなのさ。

17.メフィスト
甲羅のはえた悪魔のくせに、
つきなみな色気を起こして、つまらぬちょっかいを出したからだ。
それにその海千山千が、
これまでずっとこんな子供じみた、ばかげだ一件に力こぶを入れていたとすると、
けっきょくおれの演じた間抜けさは、
いやはや、並たいていのものじゃないわい。


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