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3章からなるクリスマス・ストーリー:テルマエ・ジャポネ(その3:最終回)

第3章           昭和40年代 東京
 
 僕がフィンランドの長期出張からようやく帰ったのが、年の瀬も押し詰まった12月のちょうどクリスマスだった。フィンランドは当然だけど、日本の街中も、あちらこちらでクリスマスのイルミネーションが盛んに飾り付けられていた。これから正月を迎える準備もあって、街中はちょっとせわしなくて賑やかな雰囲気だったよ。

 会社で必要なことを全部済ませてからでないと家に帰れなかったうえに、あちこちで大勢の人並みにもまれながら帰ったので、ちょっと疲れたね。僕は、久しぶりに家に帰ったので、しばらくゆっくりとしたかった。そして、まず風呂を沸かしたよ。せまい内風呂とはいえ、日本の湯船に浸かると、身も心も長旅の疲れがいっぺんにとれるような気分になるからね。そうだ、明日は休みだから、どこかの温泉にでも行こうかな?とふと思いついた僕は、パソコンのグーグルアースで、どこか適当な温泉地を探すことにしたんだ。

 そして、さっそくパソコンを立ち上げると、その画面は、まるで宇宙船が着地するように、地球から日本に接近していったので、僕は温泉地がありそうな山岳地帯に適当にマウスを走らせてみたけど、どうもネットの調子がよくないらしい。思い通りにマウスが動かないでいると、なぜか子ども時代に僕が住んでいた東京の一角が映しだされてきたんだ。

 これは?と思った僕は、興味半分に調子のよくなったマウスを動かして、子ども時代とは全然違ってしまった町並みを見ながら、昔の思い出に浸りだしていたね。だんだんと、ちょっと物悲しい気分にもなっていたと思うよ。

 そして、見つけてしまったんだ。何をって、高い煙突を。まだそれはあったんだ。銭湯の高い煙突。といっても、今じゃ高いとは言わないけど、「○○湯」って大きく書いてある煙突は、子ども時代にはとても大きく見えたのを覚えているよ。

 その煙突をどんどんと拡大していったら、なぜか銭湯の脱衣場から湯船まで見えていって、あっと思ったら、僕が銭湯の湯船の縁に座っているのまでが見えてきた。いや、あれは僕じゃなくて僕であって、・・・それよりも銭湯の中が見えてしまうのは、ちょっとまずいんじゃないのかな?なんて複雑なことを考えていると、遠くから動物の鳴き声とベルの音がして、老人の「ホーホッホ」というやさしい笑い声が聞こえてきたんだ。

 そのときだったね。僕は湯船の縁に座っている繊細そうな少年の側に、自然と腰掛けて話しかけていたんだよ。うんうん、君のことはよく知っているからね、大丈夫だよ将来のことなんか心配しなくてもいいよ。そして、湯上りにフルーツ牛乳を飲みたいだろうけど、大人になったらいくらでも飲めるから、今は飲めなくても大丈夫だよ。でも、そんなことよりも、おたまじゃくしの餌って何にすればいいのかな?

 僕の頭の中では、少年に対する質問が次から次へと浮かんできて渦を巻いているようだった。でも、僕は口に出す言葉とは別に、この色白の少年に対して、心の中で「大丈夫、君の未来は心配しなくてもいいよ。そして自信を持つことだよ」と何回も呟いていたよ。
  
 えっ、おたまじゃくしはどうなったかって?
 もちろん、蛙になったよ。
 子どもが大人になるようにね。


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