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<閑話休題>定年後の一日のスケジュール

 私より先に定年退職した元職場の友人は、定年後は一日の時間が長くなって困ると言っていた。また、ある別の友人は近隣の観光場所などを訪ねているようだ。たしかに、ウィークデーの一般的な勤務時間に東京の地下鉄に乗ると、私と年齢があまり変わらない夫婦連れが、たぶん若い時からの習慣なのだろうが、似たような服を着て、同じようなバッグを持って、同じメーカーの靴を履いて、座席に双子のように並んでいる姿を良く見かける。

 そして、そうした老年カップルが降りる場所は、決まって美術館や商業施設や観光場所がある駅で、しかもなるべく一日の長い時間を短く感じられるようにして、ゆっくりと歩いているように見える。

 かくいう私は、腰痛と血流の悪化によってふくらはぎがすぐに悲鳴を上げる状態ながら、(昔からの習慣が変わらないため)、けっこう速足で歩いている。もっとも速いといっても、それは同年代と比べてのことで、若い人たちの歩きにはついていけないし、どこでもすぐに追い抜かされている。だから若い人たちにとっては、私は「邪魔な老人」でしかないのだろう。

 それはさておき、別のまだ定年前の友人から、定年後はどうやって毎日を過ごしているのかと質問された。その時は、適当に答えたのだが、その友人のイメージでは、やはり定年後は、それまで当たり前に一日の大半を費やしていた仕事というものがなくなってしまい、また大抵の定年後の人たち同様に、一日をどう過ごすかで苦労していると思ったのだろう。

 しかし、以下に記す私の一日のスケジュールは、家内から「あなたは、異常なほどシステマティックだから」と言われるように、まるで小学生の夏休み期間中の時間割あるいは大学の講義のように、(ラグビーが分岐点とはなっているが)きっちりと決まっている。

 また改めて書き記すと、まるで禅寺で修行しているような、そんな規則正しい生活をしているようにも見える。「規則正しい生活」というのは、一般的に人の自由を制限する代表のように受け取られているが、それを自主的にやっているのであれば、これも「個人の自由」
であるから、「自由が阻害されている」ということにはならない。

 そういえば、ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』だったと思うが、修道院で生まれ育った人が、老年になるまでずっと同じような規則正しい生活をしていて、外部の人から可哀そうだと言われた話がある。その老修道僧は、外部から見れば可哀そうなくらいな自分の規則正しい生活を、意外と全く苦にしていなかったという。なぜなら、そうした生活が身体じゅうに染みついているので、それが自然かつ当たり前のリズムになっていて、むしろそうしない場合にこそ「哀しみ」や「苦しみ」を感じてしまうのだった。

 もしかすると、私もそうなのかも知れない。頭は定期的に「坊主」にしているし・・・。

〇私の一日(月~金)

06:30 
 日の出の光が顔に当たる場所に寝ているので、春から秋にかけ      ては、自然と目を覚ます。冬は太陽が顔に射してこないが、習慣で同じ時間帯に目を覚ます。二日に一回は、洗濯及び風呂掃除をする。
07:00 
 朝食。納豆とごはん、残り物の雑炊、トーストとジャム・バター、調理パンなどを不定期に繰り返し、かなりの割合で一緒にバナナを一本食べる。コーヒー、紅茶、緑茶など、その日の気分で飲み物は変わる。ちなみに、家内を煩わせることなく自分で準備(調理)し、洗い物・片付けをしている。

08:00 
 朝ドラが始まるまでニュースを見て、その後朝ドラを見る。
08:16 
 血圧測定。両手をだいたい二回ずつ測り、記録する。その後、洗濯や掃除などをすることもある。

08:30 
 自分で工夫した体操とストレッチ。また20分程度の室内歩行。週に2~3回は、この体操の後に室内歩行せずに、近くの公園を散歩する。同時に、一時間程度かけて、草花や雲の写真撮影。休憩をかねてベンチに腰掛け、鳥の声を聴く。公園の桜の木の「神様」へ挨拶する。散歩しながら、自由律俳句や各種執筆の構想を練る。
09:00 
 散歩した場合は、10:00過ぎに家に戻る。スマホとPCを開いて、メール、ライン、フェイスブック、各種ニュースのチェック。特にインターナショナルラグビー関係の記事のチェックをしながら、英語の勉強。

09:30 
 PCでの執筆活動。大半はnote掲載原稿(特にラグビー関係)の作成。興が乗っているときは、エッセイ・小説・自由律俳句の執筆。
10:30 
 執筆が長引かない場合は、読書をする。朝一番の頭が冴え、集中力が高い時間帯なので、難しい哲学書や英語原書を読む。

11:30 
 トイレ休憩した後、メール・ライン・フェイスブック・ニュースのチェック。次の読書。哲学書や雑誌「現代思想」や「ユリイカ」の特集号等。
12:00 
 昼食。おにぎり、みそ汁、香の物というシンプルなものを基本(たまに、ラーメン・蕎麦・パスタもあり)なので、10分くらいで終わる。

12:30 
 マンション一階へ行き、郵便物などのチェック。また、要すればゴミ捨て。戻ってきたら、メール・ライン・フェイスブック・ニュースのチェックをして、昼食後の昼寝が15~30分。書斎のソファーで灯りの下で寝る。こうすれば寝すぎない。
13:00 
 午後の読書。歴史書や小説を中心に読む。

14:00 
 トイレ休憩後、メール・ライン・フェイスブック・ニュースのチェックをして、別の本を読書。傾向は特になし。
15:00 
 トイレ休憩及びお茶とたまに煎餅などのお菓子。メール・ライン・フェイスブック・ニュースのチェックをして、その後別の読書。必要に応じてPCで執筆したものの加筆・修正など。

17:00 
 トイレ休憩後、メール・ライン・フェイスブック・ニュースのチェックをして、なるべく軽いものや短いものの読書。二日に一回は、洗濯ものの取り込み。たまにワイシャツやハンカチにアイロン掛けをする。
18:00 
 夕食。家内が不在の場合は、自分で一汁一菜を目途に用意(調理)。酒はだいたい飲まないが、たまに安いテーブルワイン一杯または手頃な価格のビール一缶を飲む。

19:00 
 入浴。入浴中は、特に手指のリューマチ改善運動。
19:30 
 入浴後、メール・ライン・フェイスブック・ニュースのチェックをして、要すれば、執筆文章の加筆・修正。

20:00 
 読書。特に古典(神話・説話・伝説・民話などの)物語や海外文学を中心にする。
21:30 
 寝室に(軽い運動を兼ねて)布団を敷き、メール・ライン・フェイスブック・ニュースのチェックをして、応接間で「100分で名著」、「クラシック音楽館」、「古代の宇宙人」、「林家正蔵の四時から飲み」、「シャーロック・ホームズの冒険」、「名探偵ポアロ」などのTVを見る。ポアロの異様な几帳面さは、ちょっと自分に似ていると思っている。
22:30 
 就寝。枕元に水筒を置き、トイレで起きたときに一口だけ脳卒中予防に飲んでいる。

〇私の一日(土日)

 起床時間、就寝時間、食事時間などは変わらない。
また、昼食までの活動も変わらないが、公園に人が多くなるので、散歩に出かけることは控えている。
 昼頃から夕方にかけて、TVでラグビー中継を視聴。またPCで海外ラグビーの結果を調べ、ハイライトを視聴。また、セヴンズ大会がネットで生中継されている場合は、PCでずっと視聴する場合もある。
 夕食及び入浴後、noteに掲載するラグビー原稿の執筆。掲載終了後に就寝。

 以上のように、私の毎日のスケジュールは決まっている。またこうしたルーティンの合間に、外食したり、人に合ったり、特に今年はマンションの管理組合理事になったので、そうした関係の仕事をしたりする。また、電車で約1時間30分の場所に住む一人暮らしの実母の様子を、20日に1回くらいの頻度で見に行っている。幸いに元気なので、実家近くのスーパーでビールとつまみを買って、毎回ランチの酒盛りをしながら、実母の昔話を聞いている。意外と初めて聞くものもあり、「またこの話かよ」という割合が少ないのが、ちょっと嬉しい。

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