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<閑話休題>息抜きとリズム

 以前、noteに定年後の一日のスケジュールを掲載した。

 そう当時から現在も、不十分な年金を補填するためのパートタイムの仕事を探していることを含めて、私の毎日はほとんど変わっていない。しかし、こうして日々決まったスケジュールを自らに課す生活をしていると、やはりマンネリというか、息抜きが必要になってくるようだ。

 公園散歩については、悪天候もあるため毎日はやっていない。散歩をしない時は、朝の体操の一環として、家の中を歩くようにしている。この朝の体操だが、一時期時間と回数を日毎に増していったら、ある日疲労が蓄積されている状態になってしまった。なんでもストイックにやりすぎると無理がでるものだ。そのため、適当に休む日を入れたり、また時間や回数を少なくしたりするなど、量を制限するようにした。

 それから、母のご機嫌伺いと(実はこちらが実質的理由なのだが)妻が家に人を呼ぶときに居場所がなくなるため、実家に避難する日や、妻不在時の食材等の買い物をする日、友人と飲みに行く日などは、外で長距離を歩くので体操はしていない。もしも時間的に余裕がある場合は、軽く体操をするが、ほとんどないに等しいくらいだ。

 また、これは最初からそうなのだが、ラグビー中継のある日は、読書の時間が朝と夜だけになる。午後はラグビー中継を見るので、読書の時間はない。また相撲中継があるときは夕方の読書時間が減る。

 一方、読書を長時間していることの弊害も出ている。眼が疲れるのだ。眼の疲れは、読書だけではない。インターネット検索や文章を書く際にパソコンに向かうときも同様だ。これらは長時間継続していると、定年までやっていた仕事による蓄積もあるため、少しの量でもすでに限界を超えているのだろうか、やはり障害が出てきてしまう。

 そうしたことで、人の生活には「息抜き」と「リズム」が必要なのだと実感している。それは私が昔から言っている「二拍子の哲学」でもある。例えば、人の呼吸は「吸う」と「吐く」の二拍子だ。心臓の鼓動も二拍子だ。人が生きていることは二拍子に包まれている。

 だから、人が何かやるときも二拍子を守ることが重要なのだと思う。運動と休憩、仕事と余暇、読書と読まない時間、TV視聴と見ない時間、哲学書と小説などなど。この二拍子は別の言葉で言えば「陰と陽」であり、易学や道教(老荘思想)にも通ずる。天体の運行もそうだし、太陽や月の運行もそうだ。人の生死もそうだし、感情の起伏も同じものだ。

 人が生活するときには二拍子を心掛けることが大切なのだ。だから、例えば相撲中継があるときは、16時または17時から18時までの時間は、ワイン片手に相撲に集中する。週末にラグビーがあるときは、2~4時間、ラグビー中継に集中する。ラグビーのときは、時間が早いのでワインは飲まないが、コーヒーかお茶を飲みながら、特に冬の場合は暖かい自宅のソファーでTV中継を見るのが、何よりも気分転換であり、心身のリハビリになっている。

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