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<書評>『The Adventures of Sherlock Holmes』,『Treat‘em Rough』,『The Time Machine』

1.『The Adventures of Sherlock Holmes(シャーロック・ホームズの冒険)』

20210424ホームズの冒険

Arthur Conan Doyle著 1892年原著出版 2016年 Vintage Classics and Penguin Random House から出版

本書は,以下の短編をまとめたもの。いずれも,題名の最初に「~の冒険」というのが付いているが,邦題では省略されている。
The Adventures of a Scandal in Bohemia ボヘミアの醜聞
The Adventures of the Red-Headed league 赤毛組合
The Adventures of a Case of Identity 花婿失踪事件
The Adventures of the Boscombe Valley Mystery ボスコム渓谷の惨劇
The Adventures of the Five Orange Pips オレンジの種五つ
The Adventures of the Man with the Twisted Lip 唇のねじれた男
The Adventures of the Blue Carbuncle 青い紅玉
The Adventures of the Speckled Band まだらの紐
The Adventures of the Engineer’s Thumb 技師の親指
The Adventures of the Noble Bachelor 独身貴族
The Adventures of the Beryl Coronet 緑柱石の宝冠
The Adventures of the Copper Beeches ぶな屋敷

いずれも優れた短編であり,特に会話のリズムや掛け合いが,舞台劇のような面白さを演出している。ホームズが難事件を解決する爽快さに加え,こうした読ませる文章としての面白さが本書の魅力になっている。もちろん,主人公のシャーロック・ホームズのスーパーマン的人物造形に加え,ホームズと読者との間をつなぐ「狂言回し」・「語り部」・「準主役」としての,ジョン・H・ワトソンのユーモアと共感を持ちやすいキャラクターが,作品の大きな魅力でもある。また,あまりにも二人の存在が大きすぎたため,あたかも実在の人物のようにこの二人はウィキペディアに掲載されているくらいだ。

私は,個々の作品について論じるほど,英語に堪能で読み込めたわけではないので,そこは省略させてもらう。一方全体の構成として,普通は,二番目に作者として自信のある作品を掲載する冒頭の作品(もちろん,一番自信のあるものが最後だろう)が,「ボヘミアの醜聞」という,ホームズが犯人であるオペラ芸人の若い女に騙される珍しい失敗した事件を扱っているのが,とても不思議に思えた。たしかに,このIrene Adler(イレーネ・アドラー)という,名前からはプラハ辺りに住んでいるユダヤ系ドイツ人がイメージされるこの女性は,文章を読んでいるだけで,長い金髪・小柄でコケティッシュながら,悪知恵に富み動きが素早い,アニメの「キャッツ・アイ」や映画「チャーリーズ・エンジェル」のような姿が浮かんでくる。おそらく,原作者のドイル自身に,何か思い入れのある人物なのかも知れない。

一方,本書だけでなく,ホームズシリーズの中でも最高傑作と言われるのが,「まだらの紐」だが,ここでも双子の美人姉妹と悪徳まみれの叔父という図式で,ドイルの(また19世紀末イギリス・ビクトリア朝の)女性趣味が良く出ているように思う。

こうした作品毎の寸評とは別に,ホームズ自身が捜査中に尋ねられて自分の仕事について答えた箇所(「青い紅玉」)が,私にはとても興味深い。
“You? Who are you? How could you know anything of the matter?”
“My name is Sherlock Holmes. It is my business to know what other people don’t know.”
私の訳では,こんな感じだ。
「あんた,いったい誰なんだ?どうしてそんなことまで知っているんだ?」
「私の名は,シャーロック・ホームズ。他の誰もが知らないことを知るのが私の仕事だ」

「知らないことを知る」と訳したが,もっと言えば「わからないことを解決する」という方が正解だと思う。そして,ホームズシリーズの面白さは,まさに冒頭部分で不思議なわからない事件が紹介され,それをホームズとともに読者が解決していく。もちろんワトソンが,読者に代わってホームズに質問してくれて,こうしたことで読者はより事件に深入りしていく。だからこそ,最後に事件が解決されたときの喜び=ベルトルト・ブレヒトの言うところの「異化」及び「昇華」(カタルシス)を味わうことになる。これが,ホームズシリーズの醍醐味だと思う。


2.『Treat‘em Rough, Letters from Jack the Kaizer Killer (奴らをやっつけろ,皇帝殺しのジャックからの手紙)』

20211126treatthemroughラードナー

Ring W. Lardner著 1918年The Bobbs-Merrill Company 原著出版 Braunworth & Co. Book Manufacturers Brooklyn, N.Y.印刷

1920年代前後に大活躍した,アメリカの小説家リング・ラードナーの長編。主人公ジャックは,プロ野球のピッチャーとして活躍していたが,あるとき第1次世界大戦に参戦したアメリカ軍に応募して,キャンプでの訓練生活を送り,伍長に昇進する。その間,美容師をしている妻フローリーと息子アルを自宅に残しているが,そのアルに向けた手紙をまとめたストーリーになっている。

一読して奇妙に思うのは,敢えて句読点をはぶき,また接続詞で続けながら,息子アルに語りかけるようにして文章を作っていること。正直,とても読み辛いが,慣れてくると独特の文体に親しみを覚えてしまうから,不思議だ。この文体の意図していることは,たぶん父親が,幼い子供にとうとうと物語るというイメージなのだと思うが,その内容は,とうてい歩き出したばかりの子供が理解できるものではないから,一種の矛盾が生じている。

また,最後のオチは,軍のキャンプにいるジャックにさかんにラブレターを送ってくる女性と,テキサスのホテルで落ち合うことになったが,そこに現れたのは想像とは異なる中年女性だった。それで,知らないふりして逃げようとしたら,テキサスのチームでピッチャーをしている知り合いがやってきて,正体をばらされてしまう。「これはまずい!」と思ったら,先日軍のキャンプから家に帰ったとき,なぜか不在だった妻と息子がやってきて,息子が「ダディー」と叫びながら飛びついてきた。危うく修羅場となるのを逃れたというものだった。

これだけを書くと案外つまらない小説と思ってしまうかも知れないが,当時のアメリカ人は,ヨーロッパで悲惨な戦場が繰り広げられている中で,戦争による高景気を得て,一気にジャズとハリウッド映画とダンスの優雅な生活を満喫していたので,こうしたストーリーを面白おかしく読んだのだと思う。それが良いか悪いかを別として,これが時代背景でありまた時代の空気だったと思う。

本当は,ラードナーの洒落た文章表現やストーリーのオチを勉強したかったのだが,そうした期待に応えられる作品ではなかったことが,ちょっと残念だった。


3.『The Time Machine(タイムマシーン)』

20210424タイムマシン

Herbert George Wells 著 1895年初版 Penguin Vintage Classics Libraryから

何度も映画化されているように,SFとして古典的な作品。しかし,時間と空間のロジックがどうも合わない。つまり時間旅行中の時間旅行者(The Time Traveller)は,その旅行中にどうやって生存できたのか?また,未来の地球が消滅した時やあるいは地球環境が人類の生存に適していない条件となったときに,どうやって生存できたのか?

もちろんウェルズは科学者ではないし,そこまで厳密にロジックを組み立てて物語を作っていない。著者が夢想した紀元802,701年の世界を描いたことに尽きる。そう,ウェルズは,タイムマシーンという発想を描きたかったのではない。未来の人類が理想的な世界でないことを描くために,タイムマシーンという道具を利用しただけだ。

だから,少年少女向けの血湧き肉躍る冒険物語とはなっているものの,そこにはタイムマシーンだからこそ描けるものはない。むしろ,タイムマシーンという道具を用いずに,「未来の人類社会」として作品を作ることもできたと思う。ただそうしなかったことは,タイムマシーンという道具によって,「未来社会」がある程度の現実味を帯びていることを強調したかったのではないか。

というのは,この作品が作られた時代は,「科学万能」,「科学は人類の未来を変えることができる」と信じられていた19世紀末だからだ。人類は,「科学」という「魔法の杖」を得て,自然界の全てを理解することができ,過去や未来の事物を正確に知ることができる(歴史を再現し,また未来を予測する)と本気で信じていた時代だ。

だから,タイムマシーンという発想は単なる夢物語ではなかった。かなりの現実的期待を持った道具だったと思う。しかし,今は既に科学は万能ではなく,人類に対して神に代わる回答を出してくれる魔法の杖でないことがわかっている。

21世紀に入って人類は,かつての宗教の「神」に代わる「科学」という神を崇めてきたが,20世紀初頭にニーチェが「(宗教の)神は死んだ!」と叫んだように,21世紀に入って,人類は「(科学の)神は死んだ!」と気付いている。

そこで,再び「宗教の神」が復活するのか,または「科学の神」に代わる「新たな神」が出現するのか,それは未だはっきりしていない。もっとも私は,「宇宙人という神」が出現するのではないかと思っている(アーサー・C・クラーク『Childhood’s End(幼年期の終わり)』。

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