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<書評>『脱領域の知性』

『脱領域の知性』ジョージ・スタイナー著 由良君美他訳 1980年 河出書房新社 原著は『Extraterritorial , Papers on Literature & Language Revolution(脱領域の知性 文学言語革命論集) 』George Steiner 1971年Atheneum , New York 発行

脱領域の知性

 本書は、「現代英米批評界の新星」(訳者後記より)であるスタイナーの評論をまとめたもの。スタイナーは、ユダヤ系オーストリア人としてパリで生まれ、その後オックスフォードに学び、ケンブリッジで英文学を教えている。英文学のみならず、チョムスキーの言語学にも言及・批判するなど、20世紀後半に隆盛を見た言語学と前衛文学を対象にした評論を書いた。

 私は、卒論の参考文献にするべく、「陰影と細心 サミュエル・ベケット」だけを読んだ後、しばらく放置していた。今回(定年退職によって)読書する自由な時間をようやく得られたことから、全文を読了した次第。

 正直、前半の(前衛)文学論はスラスラと読めて理解しやすいが、後半の言語学論になると、批評の対象にしている言語学理論が難解な上に、それを著者が解説しつつ批評しているので、かなり難解になる。とてもスラスラと読めるものではないが、それでも評論家の文書なので、専門としている学者の文章に比べれば読みやすいのが幸いだった。

 そうはいっても、本書にまとめられた短文の評論で、言語学全体を簡潔に網羅すること自体が無謀な話なので、まさに文字通りの「おおまかな概要」ということでは、なんとなく理解できるが、「ああ、そうだね」と同意するような印象を持つにいたるには、読む側にもそれ相応の言語学の教養が必要となる。そして残念ながら、私の言語学の認識は半端なものなので、スタイナーの主張するポイントは半分ぐらいしか理解できなかった。

 それでも、本書が書かれた当時(1960年代後半から1970年代前半)は、20世紀後半の言語学を起点にした現象学やこれに関連付けた文学理論が非常に盛り上がっていた時期なので、こうした動きに触発された当時の英文学の世界における狂騒振りが垣間見えて、ちょっと面白い気がした。しかしこれらは、21世紀に入ってからは、「祭りの後の静けさ」の如く、また美術界のシュールレアリスム同様に、過去の遺物になっている感がある。そして歴史は一巡し、前衛が前衛としての意味を失くす一方、単なる大衆受けしない芸術として忘れ去れるとともに、大衆から歓迎された抽象的かつ商業的な芸術作品によるリアリズムの世界に戻ったようだ(ピカソは普通の画家になり、大衆向け小説が文学界を支配している)。

 ところで、書評とは関係ないが、「スタイナー」という表記は、有名な神智学の「シュタイナー」と同じ原文からの訳だと思う。なんでこちらが「ス」であちらが「シュ」なのかはわからないが、なんとなく現実的な評論家(ジョージ)は「ス」で、幻想的な神智学者(ルドルフ)は「シュ」なのかも知れない(そのうち、シュタイナーの『神智学』と『教育術』の書評も掲載する予定です)。

 スタイナーが評論家として活躍した前衛文学がもてはやされた時代は終わっているが、オカルトと揶揄されたシュタイナーの神智学(とりわけその子供の教育法)は、少しずつ大衆社会に受け入れられているようだ(例えば、アスペルガーの子供や高知能の子供への対応など)。これらはつまり「脱領域(前衛)」だったものが「領域(大衆)」に入ったことを意味するので、そういう観点では「脱領域の知性」の存在価値も消えているのだろう。


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