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<書評>『ベケット大全』


ベケット大全

『ベケット大全』 高橋康成監修、井上善幸、岡室美奈子、近藤耕人、田尻芳樹、堀真理子、森尚也 編集。1999年白水社

 1989年に死去した、1969年のノーベル文学賞を受賞した20世紀を代表する作家・劇作家サミュエル・ベケットの、その関係する単語、全作品解題、年譜、書誌、研究文献書誌、参考文献書誌を網羅した労作。

 世界の中で日本が、ベケット研究のここまでの成果を達成したことに、正直驚いている。しかもその「無」、「ユング」、「笑い」、「アイルランド」、「ジョイス」などの深く関連する単語をモチーフにして、そこから派生するベケット解釈を各担当者が短文で要領よくまとめていることに感心する。1~3頁の範囲で、例えば「デカルト」とか「ライプニッツ」などとの関連をまとめるためには、どれほど多くの文献を読み込み、哲学書を理解しなければならないか。執筆者諸氏に敬服するばかりだ。

 そうして多方面から描き出されたベケットだが、「いくつかの基本パターンはあるものの、やはり一面的にとらえることが不可能な作家・劇作家」という結論になってしまうだろう。

 よく哲学のルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインや芸術のマルセル・デュシャンと並んで論じられるベケットだが、この三者に共通することが、この「とらえようのない極小と極大を兼ね備えた思考」ということだからだ。

 そのため、この本でベケットの全て(大全)を網羅したように思えるが、物理学における「マックスウェルの悪魔」同様に、ターゲットを網にかけて絞り込むほどに、逆にその網の隙間から漏れ出るものが延々と浮かび上がってくる。それが、最後に私が出した結論だった。

 そういうわけで、私のベケット研究(いやベケットを読む楽しみ)は、これからも終わることはない。そしてそれは、私にとって苦痛ではなく、むしろ至福以外のなにものでもないのだ。終わりのないゲーム(ストーリー)ほど、飽きないものはないのだから。

 ところで運動神経抜群だったベケットは、学生時代に多種多様なスポーツに興じていた。そのため、晩年多くの疾病に苦しみ「スポーツなんて、身体を壊すだけのものだから、やらない方がマシだ」と述べているのだが、私の好きなラグビーもプレーしていたという。長身・痩躯の体形かつ口数の少ない人間だったようだから、たぶんポジションはNO.8だったのでのないかと勝手に想像している。


サミュエル・ベケット


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