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<書評>『なぜベケットか』

『なぜベケットか』 イノック・ブレイター著 安達まみ訳 1990年白水社 原書は、1989年にロンドンのThames and Hudson社より出版。


なぜベケットか

 ベケットは1906年にダブリンのプロテスタントの上流階級に生まれ、1989年にパリで亡くなった、『ゴドーを待ちながら』で著名な劇作家・映像作家・小説家・詩人であり、1969年にノーベル文学賞を受賞したが、授賞式への出席やインタビューは断っている(メダルと賞金は受領した)。

 いわゆる20世紀の不条理演劇・不条理文学の代表と見られているが、実際その作品は、極端に言葉が切り詰められており、極めて前衛的なものとなっている。ベケットは、同じアイルランド出身のジェイムズ・ジョイスに師事したことがあり、ジョイスが開いた前衛文学の後継者とみなされている。

 そのベケットの作品を非常にうまく取りまとめて、的確な評論を加えたのが本書である。また、翻訳がこなれていて、非常に読みやすく、まるでエッセイを読んでいるような気分であっという間に読了してしまった。もっとも、早く読めた理由の一つとしては、私もベケット研究者のはしくれとして、ベケット作品のほとんどを知っていたこともあるだろうが。

 そう、私は大学の卒論でベケットを取り上げたのだ。それは、まだベケットが存命中で次々と新しい作品を発表していた1981年だったので、本書のような専門的なベケット研究書がたくさん出る前のことだった。

 その後、日本でも様々なベケット研究書が翻訳され、また日本の研究者によって発表されたが、私は既に就職していたので、そうした研究書を読むことはなく、また新作(といっても邦訳を読むのだが)を読むこともなかった。つまり、私のベケット研究は中途半端で終わっている。

 そうした中途半端に終わったベケット研究だが、ときおり大きな書店に行くと本書のようなベケット研究書が沢山並んでいる時期があった。ちょうどベケットが亡くなった後だったと思う。

 また、卒論を書いていた当時に、神保町の今はなきタットル商会や博文館などで買い求めた英語やフランス語の原書があったが、これもきちんと読めずに本棚に陳列したままだった。その後も、研究が中途半端で終わった悔いもあって、アメリカやイギリスで、ベケットの原書を買い求めたものが数冊ある。これも、未だちゃんと読めていないが、いずれきちんと読みたいと思っている。

 そうした私のベケット研究の隙間というか、渇きというものを埋めてくれたのが、本書だった。読み進むうちに、知らなかったベケット個人の歴史や、作品が作られて発表されていく過程が良くわかった。それだけで、ベケットへの理解が深くなったように思えてしまう内容だった。

 でも、ベケット自身が自分の創作について語った「また、一つ沈黙に染みをつけています」という言葉(本書末尾に掲載)に象徴されるように、ベケット作品は理解するものではなく、ただ感じるものだと思う。そう、現代美術が理解するものでなく、ただ観て感じるだけのものであるように。そういうことを、改めて認識した読書経験となった。

 だから、(ここからの文章表現はとても難しく、ベケットではないが、言葉に上手く表せない。唯一書けることは、私がベケットという対象に耽溺しているということだ)私のベケット体験とも称すべきものは、どうやっても止められない。ベケットの描く主人公のように、「語らなければならない、語れない、語ろう(you must go on, I can’t go on, I’ll go on.)」(『名付けえぬもの(The Unnamable)』)ということなのだから。

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