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教育者の目(眼)
こんにちは。
今日は学童で働いている中で感じたことを書いていきたいと思います。
私が働く学童では約30人の子どもに対し、4人の支援員がいます。
その4人の支援員のうち1人は学校や習い事への送迎係をしているので、実質3人で小学1~4年生25~30人の子どもを保育するといったかたちです。
4人全員で保育をすると支援員の目は8つあります。
30÷8=約4人
1つの目で4人の子どもを見守り、大きなけがやトラブルを未然に防ぐことに努めています。
1人の支援員で計算すると8人の子どもを保育することになりますね。
1人で8人の保育、、、
そのうち1人は送迎で出ているから、実質30÷3=10人
1人で10人を保育しています。
私自身の感覚では1人で10人を保育するのがギリギリのラインな気がします。それも子どもたちが成熟し、比較的落ち着いている場合です。
これが支援員が1人減ると、それに比例してたくさんトラブルが起きます。
それを解決するのに支援員は多くの労力を使い、疲弊してしまいます。
すると、体も心も余裕がなくなり、子どもに対し、余裕のある教育を施すことが難しくなります。
そうすると、子どもとの関係性が崩れ、何だか嫌な殺伐とした雰囲気の教育現場に変貌してしまいます。それだけは避けたいですよね、、、
子どものためを思って、一心に働く教育者の方々が余裕がないせいで子どもと良好な関係を築けないことほど悲しいものはありません。
例えば、特別支援学校を除いた学校の現場では35~40人を約1~2人で見守っています。
1つの目で約20人を見ている、、、
学校教員をスーパーマンか何かと勘違いしているのではないかと不安になりますね(笑)
いかに教育の現場に余裕がなく、目が足りていないかがわかります。
学校現場で、【怒る教育】が浸透してしまっているのも人手不足がもたらす弊害だと思います。
ところで、なぜ今回は目に焦点を当てて書いているかといいますと
教育とは、いかに子どもを目で見守ることが大切かを改めて実感したからです。
埼玉県にある秩父神社では親の心得としてこのような格言が残されています。
赤子には肌を離すな
幼児には手を離すな
子供には目を離すな
若者には心を離すな
とある著書の中でこの格言に触れ、とても良いものだと感じたとともに、私たち教育者が生涯の教訓として心に留めておく必要性を強く感じました。
私が現在働く学童(放課後児童クラブ)では小学生が対象です。
この格言でいうと【眼を離すな】の子どもたちを保育している立場です。
異学年で、見た目や性別、性格、価値観すべてが違う子どもたちが1つ屋根の下、一緒に勉強したり、おやつを食べたり、遊んだりする中で成長し、非認知能力を高める。
私が理想としていた教育は、すべてが異なる子どもが1つの場所に集まり、いかに人間として自分と他者の希望の折衷案を模索して、時には譲り、時には押し通しながら、お互いを認め合う関係性を築けるかどうかです。
この教育を可能にできるのはおそらく現段階では学童だけであり、群を抜いている気がします。
そんな異なる人間が集まる学童だからこそ、お互いを認め合う関係性を築く中で喧嘩やトラブルはたくさんあります。
時にはそれらに支援員は介入しますが、わざと子どもたちだけでどう話し合い、解決しているかを見守ることも大事です。
だからこそたくさんの教育者の目(眼)で見守る必要があります。
私たち教育者の目が少なくなると、それに比例して、子どもの成長のきっかけを見逃してしまいます。
教育にはお金がかかるし、少子化が進んでいる日本ではどんどん予算が少なくなっているのが現状です。悲しい現実ですね。
しかし、教育にこそ、どこよりも手厚い援助をしなくてはいけないと思います。
そして、たくさんの教育者で余裕をもって子どもたちを見守り、子どもの成長のきっかけを見逃さず、すくい上げる。
これができるようになれば、日々子どもたちを思って一生懸命に努力している教育者の方々(学校教員、幼稚園の先生、学童支援員など)が報われ、
より勉強や運動、そして人間関係で悩み、葛藤している子どもたちの助けになれるのではないでしょうか。
これからの日本の教育現場が、大人も子どもも心と体にゆとりがあり、余裕のある教育をおこなえるようになればいいなと思います。
そのために自分には何ができるかを日々模索しています。
今日はここまで。ありがとうございました。
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