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自分を愛することと怒り

最近、セッションでご自分の癒しに取り組んでいらっっしゃるクライアントさま。前回のセッションでは「自分を愛する」「自分を大切にする」というテーマで終わったのですが、今回いらしてみると、「前回、愛がテーマということだったのに、今週は怒りの一週間でした・・・」と仰います。要するに、愛を実践できなかったと思っていらっしゃるわけですね。


詳しくお話をお伺いしてみると、(と言いつつ詳細は省きますが)、クライアントさまの怒りの原因は、「自分が大切に扱われていない」「都合よく使われている!」と言うことでした。



この場合、怒るのが正しい(あえて正しいという)。


日本人は特に怒りについてネガティブな意見とか印象を持っている方が多いと思うし、怒りと愛は両立しないと思っている方も多いと思います。もちろん自分の思い通りにならないから怒るみたいなのは、論外です。

 
 ただ自分の尊厳や命が脅かされている場合は、怒らなくてはいけません。だから自分を愛するというところに立った時に、自分を粗末に扱う相手や都合よく使おうとする相手に対して、怒りを感じたり、それを表現することは正当なことです。もちろん暴力はダメですよ。この辺も問題で怒り=暴力と勘違いしている人も多いけど、そうではありません。怒りと暴力は別物。人間が暴力をふるう時というのは、怒っている時ではなく、(怒っているように見えるかもしれませんが、そのもっと深いところで)無力感や恐怖を感じている時がほとんどです。



また、ちょっと話はそれますが、相手のことを大切に思っているからこそ怒るということは、多くの人が体験していると思います。ここにも愛がありますよね。親が子を怒るとかね。この場合も、本当に子どもを思っているのか、自分(親)のメンツとかコンプレックスとか世間体とか地雷を踏まれたのか、などは検証が必要ですが。怒られた子どもの方はわかっていますよね。ただ相手のことをどうでもいいと思っていたらわざわざ怒りません。逆に言えば、あなたに耳障りのいいことばかりを言う人は、あなたのことをどうでもいいと思っているのかも⁉



毛嫌いされがちな「怒り」ですが、本来感情というのは全て平等です。喜びが良くて、怒りは悪いということではないし、楽しさは存分に味わって、怒りはさっさと手放さなきゃ!ということでもありません。すべての感情が何かのサイン。だから感じてはいけない感情とか、感じない方がいい感情というのはありません。むしろ感じているのに蓋をしているとか、感じなくなっている方が問題です。サインという意味でいうと、多くの場合「何かおかしいことが起きている」というのが怒りのメッセージです。この「なにかおかしいこと」が本当におかしいのか、あなたの思考や感情の癖なのかは、やっぱり検証する必要があります。そういう意味でも自分を深く知っているということは、大切なことですね。


また怒りは手放した方が良いことは確かですが、では喜びや楽しさはいつまでも握りしめていたら良いのかといえば、それも違うでしょう。握りしめているものは何でも、いずれ古くなって腐ります。


話を戻すと、この方の場合、今回怒りを感じて、それを伝えることができたということは、自分を愛する・大切にするという意味で一歩進みましたね。良かったですね!ということなのでした。


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まとめ
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ということでまとめると

・自分を愛することと怒りは両立する

・自分の尊厳やいのちが脅かされている時は怒る必要がある(怒っていい)。

・怒りと暴力は違う

・相手(自分)のことを大切に思っているからこそ怒りの感情が出てくることもある

・すべての感情は等しく尊い

・すべての感情は何らかのサイン

・自分の感情を聞き分けるためには、自分を深く知る必要がある


怒りも嫌わず、上手に付き合いましょう。


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