大好きな夫と離婚した話

夫が、アスペルガー症候群(ASD,自閉症スペクトラム)という発達障害だった。

出会いはちょうど1年前の夏、私も夫も当時25歳。 日常的な出会いの無さから結婚相談所でお見合いをし、交際半年で結婚した。

一流大学を卒業して一流企業に勤め、デートも教科書通り誠実そのもの。エスカレーターでは常に下側に立ち、並べば車道側を歩く。奨学金を返し終えたばかりだと聞いていたため固辞していた婚約指輪は、模範通りのプロポーズと共にプレゼントされた。
絵に描いたようなトントン拍子で話は進み、不安に感じる要素は一切なかった。

しかし結婚直後から、交際時には全く見られなかった夫の特性が表れてきた。
ちょっとしたことで激昂し、収まりがつかなくなるのだ。こちらの言っていることがまったく理解できていない様子で論点と違うところを責められ続け、まるで宇宙人と会話しているようだった。

そんな夫も何かしら生きづらさを感じていたのだろうか、私の指摘を受けて結婚した月に病院に行き、アスペルガーと診断された。それ以来、私は何冊も本を読み「変化」をすることができないアスペルガーの特徴や関わりかたを勉強してきた。

勉強したからこそ振り返れば義母も、結婚に至るまで理由もなく病的に反対し続けたり、まだ実家に弟がいるのに夫におはようおやすみいってらっしゃい会いたいなど毎日LINEをしてきたり、執着心が母性とは違う異常さで、彼女もまた発達障害なのだと思う。
対して義父は家庭を省みない人で、義母の性質も手伝ってか暴力も振るっていたという。義母は息子に対して自分の夫を「あのクソ豚」と呼び、家庭はほぼ崩壊していた。
夫は私の前でこそ自分の両親を悪く言うが、遺伝要素の強い発達障害同士の親子は共依存に陥りやすい。夫はマザコンとはまた違う意味で母親から離れられない呪いをかけられていた。

それでもこの半年の間、夫と一緒に生活している時間の9割以上は、人並み以上に幸せな日々だった。新婚であることを抜きにしても仲が良く、毎日何度も愛を囁き合い、平日の仕事終わりには一緒に散歩、週末はどこかしらへ出掛けて楽しみを共有してきた。旅行にしろ買い物にしろ、私の願いは却下された試しがない。

しかし、夫婦として一番重要な「家庭に生じた問題について協力しながら乗り越える」ということが、夫とは絶対にできなかった。
課題の解決に向けた話し合いを試みると、真剣な表情で「それが俺にどう関係があるのか理解できない」「俺はそういう気持ちになったことがないからわからない」「悪いと思わないから謝らない」と言う。何度言葉を変えて説明しても、私の訴えは意味を為さなかった。
話し合いの中で数秒前に夫の口から出た言葉を繰り返すと「俺はそんなこと一切言ってない」と断言されるのも日常だった。本当に言ってないと思っている本人は至って大真面目で、何度録音しておけばよかったと思ったかわからない。
またある日は、過去にぶつかって二人で決めた約束を破った夫に「破るならどうして約束したの?」と聞くと、「だってその時はそう思ったんだもん」と真顔で言われた。こんなことを言う人がこの世にいるなんて、にわかに信じられなかった。夫の様子が真剣すぎて、私がおかしいのかもしれないとすら思った。

アスペルガーは、コミュニケーション能力を司る脳の部位に障害がある。相手の気持ちを理解する能力が著しく低く、「察してほしい」など論外。それどころか一言一句言葉にして伝えても文字に書き起こしても気持ちは理解されず、相手の切実な訴えに対して「怒り」や「無視(正確には"黙り")」で応戦する。

言いたいことを伝えようと私が優しく冷静に語りかけても、夫は無口になり、次にパニックのように激昂し恫喝し始め、最後はどうにもならなくなる。
そして、翌日猛反省した面持ちで「昨日は怒ってごめんね、愛してるよ」と言ってくるのだ。
しかし謝罪の状況に至ってもなお、私の伝えたかったことは1ミリも理解されていない。つまり「自分のアスペルガー特有の症状」に対する「ごめんね」なのだ。そしてこの争いがその後に活かされることは全くなく、課題も解決しないまま、半年間全く同じやりとりが繰り返されてきた。

振り返れば、私達が結婚してから半年間続けてきたこの愛しい関係は、恋人でもできることで満たされていた。
楽しいことを共有するだけの日々 。課題に向き合わない夫と、全てを一人で背負う妻。
責任を伴う事柄は、必ず夫の「激昂」によって強制終了した。

今考えれば、私が「家族」として必要なステップを踏もうと夫の手を引く度に、夫は困惑し、悩み、深い絶望の果てに激昂していたのだとわかる。


「アスペルガーは変わることができない"障害"だから、あなたが一生我慢して独りで問題に対処し続けるか、離婚して別々の人生を歩むかの二択しかありません」
アスペルガーを調べ始めて最初に見つけた、発達障害専門医の言葉。当時はそんな大袈裟な、人間である以上は絶対に変われないなんてあるはずがないと思っていた。
しかし半年間夫と真正面から向き合い続けて、やっとその事実が納得できた。
夫のこの性質は、「個性」や「性格」ではなく「脳の障害」なのだと。

このまま今の関係を続けた場合を、何度もイメージした。
出産育児や介護を経る上で山のように発生する問題に対し、夫からの共感や協力は一切得られない。それどころか、私にとっても未知の世界で奔走する中で助けを求める度に夫から「無視」と「恫喝」を浴びる。
私は一人でいるよりも遥かに孤独な状況に置かれ、カサンドラ症候群(アスペルガー夫の妻が陥る特有の症状)になる。そして50%の確率で遺伝する発達障害の子供と夫を抱えて、破滅する結末しか用意されていないのだ。


離婚の決断は本当に身を切る辛さだった。
この程度のことで離婚して良いのか、自問自答し続けた。世の夫婦の「普通」がわからない。この状況は私の努力不足やわがままが生んだものなのか。

ネット上で共感を得ようと調べれば調べるほど、「男の人なんてそんなもんでしょ」で片付けられ、孤独と絶望から心身を病んだアスペルガーの妻たちの姿が自分の未来に重なる。

夫のアスペルガーは、とっくに「この程度」で片付けられるレベルを超えていた。


夫も、争いになる度に自分が妻をひどく傷つけていること、薬を飲んでもカウンセリングを受けても少しも改善しないことに悩んでいた。
将来について話し合いを重ね、都合の悪い話に激怒し暴れる夫を何度も宥めて対話の席に連れ戻した。

発達障害に生まれた責任は、夫にはない。
同時に、夫の発達障害を放置し幼少期に適切な療育を受けさせなかった責任も、発達障害の弊害に耐えながら生涯を共にする責任も、私にはない。

離婚は、最終的にお互いが納得した結果だった。


離婚を決めてから何人かの親しい人に自分の状況を打ち明けた時、信じられないことにそのほとんどが発達障害、特にアスペルガーの理解者だった。
一般的に「そんなのどの夫婦も同じでしょ」と言われて塞ぎ込みがちなアスペルガーの妻の心理状態を正確に汲み取り、同情し、背中を押してくれたのは本当に有難い以外の言葉では言い表せない。

両親、親友、職場の友人、上司、元恋人。
人に恵まれたお陰で、私は自尊心を失うことなく、自分のために決断ができた。

夫と生きること、夫と別れること、どちらを選ぶにしろ相当の覚悟が必要なことはわかっている。
その上で私は、発達障害の夫を捨て、その十字架を一生背負って生きる道を選んだ。

今でも、優しく天真爛漫な夫と過ごした幸せな半年間を思い出すと、胸が痛む。

皮肉にも離婚届を提出した今日の日付は、ちょうど一年前に初めて夫と会い、お見合いした日だった。


別々の人生に、幸多からんことを。



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