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頭がおかしいんじゃないのって言われるかもしれないけど

人生の大切な局面で、どこからともなく、

だれかの声が聞こえてくることがたまにある。

その声はとてもはっきりしていて中性的。

そして指示が明確。

思いがけないことを言われたりするけど、不思議と納得してしまう、不思議な声なのです。




今は生まれてから40年以上経ってしまって

この世界に生きていくことにだいぶん慣れてきてしまったけど、

小さい頃は、生きていくのが重苦しくてたまらなかった。

地に足がつけられなくて、この世界に馴染めなくて、

私の足は、地面から数センチ浮いてるんじゃないかと本気で思っていた。


3歳くらいの頃、理由は忘れたけれど、

おばあちゃんに向かって何か謝らなければいけない場面があった。

「ごめんなさい。」

と私が言って

おばあちゃんが

「大丈夫よ。」

と答えたのだけど、おばあちゃんの本心が見えなくて焦っている自分がいた。


おばあちゃん本音は何て思ってるの?

あれ?なんで相手が何を思っているか分からないんだろう。

あれれ?昔からこんな世界だったっけ?

私って、今までは人がなに考えているか分かっていたと思うんだけど。

分かりにくい。分からなさすぎる。

こんな分かりにくい世界にいつまで生きればいいの?


人の本音が分からないこの世界に住んでいることが重苦しくてたまらなくて、

何のために人生があるのか。

何で生きているのか。

何でこんな世界にきてしまったのか。

考えても考えても深みにハマっていって

逃げ出したかった。

怖くて怖くて。

逃げ出したいけど、どこに逃げ出していいのか分からなかった。




信じてもらえなくてもいいけど、

もし、生まれる前に天国という世界があるのなら

そこではすべての魂がテレパシーで自由に通じ合えていると思う。

だって急にテレパシーが使えなくなってかなり苦しかった!(という記憶があるから。)



小学校3年生の時だった。

ある日お風呂に入っていたら、急に


「あなたの人生は挑戦するためにある。」


と聞こえたのです。

急に目の前がピカーンと光り、

長年(8年間?笑)考えてきたことの答えはこれだ!と思った。


『私の人生は挑戦するためにある。』

『私は挑戦するために産まれてきた。』


その時は、何に挑戦するのかは分からなかったのだけど(笑)

でも、道筋が見えたので

何も分からず生きていた時よりはだいぶんマシだった。




人によって産まれてきた意味や目的、

どんな魂の傷を癒すために生まれてきたかはそれぞれ違うと思うけど

私は確実に「挑戦」がテーマなのだとその時はっきりと分かった。


常に地面から数センチ浮いていたような感じがしていた身体も、その時からちょっと使いやすくなった。


「挑戦」といっても

ものすごい難関に挑戦する「挑戦」もあれば、

ちょこっといつもと違うようなことをやってみる、

軽い「挑戦」もあると思う。




私の場合は、後者の方です!(° o°)!




凄く大きなことをするというよりは、

全般的に、好奇心旺盛に、

広く浅く薄っぺらい感じのチャレンジをしていく人生なんじゃないかな。

そうやって天の声も言っている。





困難に打ち勝って周りの人を勇気付ける偉人のような人もいれば、

私みたいな軽ーい感じの人間もいるのです。



それでもこの地球の細胞のひとつとして何らかの役割を担っている。

みんな違ってみんないい。



そんな薄っぺらい(?)自分という存在を私は

今、とても気に入っております!!






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