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コロナで仕事を失い、国も変わったがまだ残り続けるもの

東京のGotoキャンペーンも始まりますますユルユルになっている日本。

私がもう20年もいるフィリピンは普段はユルユルなのだが何故かこのコロナでは未だにロックダウンをやっている世界一ロックダウンが長い国と言われている。

日本に帰国して3カ月半今となってはフィリピンでのハードロックダウン生活が夢のようで記憶が遠のいてしまったが、かなり厳しい日々だったのと見事に3月1日からやっていた仕事を全て失ったその記憶は強烈に覚えている。

日本からの観光客や移住、留学して来る日本人、日本の企業の経営者、日本の会社などと仕事をしていたので突然日本からの飛行機が全て停止されみんなフィリピンに来れなくなってしまった。

国内の移動はおろか市内ですら、村単位での移動もできなくなり交通機関はストップ、しばらくして便数や数を凄く制限され再開され当然いろいろなモノの値段が跳ね上がる、外出すら週に一回買い物や緊急の目的のみ、歩いて10分の海にすら行けなく泳いだら逮捕される。(取り締まる警察や軍隊に反論し逮捕された日本人、外国人が知っている人の中でも何名かいた)

ダイビングショップをやっていたが海に行けない、純粋にダイビングができるまでには半年以上かかった。(お客さんは来ないが)

私が帰国した3カ月半前、6月中旬は中型ロックダウンぐらいで週3回決められた曜日と時間に買い物と緊急事態のみ外出可能でスーパーや市場はやっているが飲食店での店内飲食は不可で国内線は飛んでいない、隣町に行くにも検問があり必要以外は出入りできない、職種が限定され就労可能(私がやっていた仕事は全てNG)今日本にいて考えるともう二度と戻りたくない世界だった。

それでも仕事が続く意味を考える

そんなロックダウンなフィリピンから何とか運よく抜け出し日本に帰国し、仕事がないので縁もゆかりもないが母がパン屋をやる山口県岩国市に半ば逃げて来た。

現在母のやるパン屋を手伝い、住まわせてもらい生活費を出してもらっている分毎食食事を作るという生活中

国も変わり、住み慣れた東京でもなく、職も変わり、生活様式も変わり全て変わってしまったサバイバル生活真っ最中

ただ唯一有難いことに残っている、継続できている仕事は、フィリピンに英語教育や海外経験を目的として短期から長期で移住して来たい親子の教育移住、現地校留学のコーディネートの仕事。

これはフィリピンがロックダウンする直前まで10組ほどの方々がフィリピンの田舎町に移住して来る予定だったが叶わず、最後の最後まで諦めずに行きたいと言い続けていただき、今現在も新規の問い合わせや依頼者が増え続け正直私自身もここまで求められていることなのかと驚いてしまうほどのこと。

「フィリピンにまだ行けないのに、来年いつ行けるかもまだわからないのに、かなり行く気になっている方が多く、かなり前向きに相談される方が多い、これは何故だ??」

日本の教育への絶望感、期待薄なのの表れなのか?日本の将来への不安、明るい未来が見れないこと?

逆にフィリピンではまだ見えると言うことか?

フィリピンでお子さんに英語と海外感覚を学ばせるのが目的の方が圧倒的に多い

異なった多様な価値観に触れたり、多様性、サバイバル能力、人間力、自主性、プレゼン力などを身に着けるにはフィリピンで学んだ方が日本よりも力になるかと思う。

子供も親御さん達もどちらも生活しながら学校に行きながら学べるではないか、わりと良い選択肢かもしれない。

(しかもかなり学費が安く、生活費も安い、常夏で年中30℃前後、海に入れる、Tシャツ短パンビーサン!)

フィリピンの学生達

何故私に相談して来るのか??

もとを正してみると最初の依頼は「ダイビングとは関係ないんですが、そちらに移住、留学してみたいので相談にのってもらえますか??」から始まった。一度だけだと思っていたらドンドン増えて行った。

特に宣伝していないのに何で増えていくんだろう??と不思議に思っていたが、あまりにもダイビングとは関係ないのですがや、こんなことやっていないかもしれませんが、などの前振りが多くそう言うのも大変だろうと思い「じゃあやってみますかー」とコーディネーターをやってみた。

やってみると案外しっくりくると言うか、自分が今までやっていたことと結構つながっているし、活かしているんだなと2年ぐらいして気が付いた。

そうだ、そう言えばゲシュタルトセラピーや心理療法、心理学などを先生について東京とハワイで試験まで受けて2年ほどやっていたんだ。

その後マッサージやセラピストの仕事も合計5年ほどやっていたし、留学やワーキングホリデーの日本最大手の会社で新宿の三角ビルでカウンセラーとして働いていたんだ。

自分自身も日本の教育が合わずに登校拒否やいじめや落ちこぼれになり、海外に出る度に救われ、中学の時にアメリカに行きそれからアメリカの大学を目指し勉強し、高校の時にヨーロッパを一人で周り同じ年ぐらいのヨーロッパの高校生や世界の高校生の考え方や価値観に共感でき目からうろこが落ち、「俺が求めていたものはこれだったんだー!!」と雷に打たれたような衝撃と嬉しさが全身を走りそれから世界を目指した。

高校卒業後すぐにフィリピンに移住し、そこでもいろいろ救われ自分を変革させていったので、私自身の経験からも共感できたり相談に乗れるのかもしれない。

またフィリピンでも複数の都市や、他の国、マレーシアやタイにも住んだ経験があり日本でも沖縄やこうやって山口県に移住してきているので一つの所だけでなく様々な国や都市などを知り比較検討できるのも強いのかもしれない。

若かりし頃

自分がやりたいことは残り続ける

私自身がやりたいと思って始めたことではないが、少なからず求められて、私自身もそれに共感できまたよくよく考えてみると自分がそれをやってみるのが結構向いているのかもしれない、経験が活かせるのかもしれないと思えたこと、そういうのはわりと良い仕事と言えるのではないかと最近思えて来た。

正直今現在はこのフィリピン教育移住コーディネーターによって収入は得られてはいないが、続けていく意義はあると思えてきている。

少なからず求め続けられる限りは今現在は無償でも今やれる形でやり続けていきたい。

(お金をもらっていなくても続けていける仕事、仕事とは言えないかもしれないが自分が生き生きとできるし他人に必要とされることではある。)

自分が高校生の時に最終的に気づいた「日本の一般的な教育を受け続けるだけでは世界はおろか日本社会で活躍していくにもなかなか難しい、明るい未来が描けない」を早目に今の子供達や親御さんに気づいていただきより多くの選択肢を持って欲しい、選んで欲しい。

それには海外に出ると言う選択肢もあり、その中に教育費が圧倒的に安いがアメリカンな教育で今伸びている国フィリピン、生活費も安く環境も気候も治安も良い私が住んでいたドゥマゲッティという街を選択肢の一つにするというのもありだ。

マレーシアやタイでも良いと思うし、お金があればオーストラリアやニュージーランド、ヨーロッパでも良いと思うしそういう相談にも乗れます。

要するにお子さんも親御さんも「様々な選択肢が日本だけでなくこの世界にはあり、教育もそうだし、仕事もそうだしこれからの未来へ向けてできるだけ多くの選択肢を増やしていくこと、広げていくことは自分自身の小さな選択からやっていける。自主的に行うことにより自分達で自分達の未来を切り開いていくこと」そのお手伝いがどんなことであれできれば良いなと思っています。

自分がやりたいこと、やり続けられることは結果として当たり前だが続けていけるから残る。

フィリピンの子供達

職や家は失ったが全てを私から奪い取ることはできない

というわけでやっていた職は全て失われ、住む国も追われ、友人も親戚も母以外誰も知らない住んだことも遊びに来たこともなかった山口県で7キロの中身のリュック(LCCを使って帰ってきたので)と多少のUSドルをフィリピンから持ち帰り7年ぶりの日本の寒さに戸惑いながら暮らしています。

でも職は失っても今までの経験や思い出や感動したこととか人との繋がりとかそういうのはいくらコロナさんでも奪いようがないのでゼロではないんだよな。今残っているもの、続けられること、求められていることからまた始めてみようと思ったわけです。

こんな何もなくなった私でも必要とされること

とりあえず今少なからず求められ続けていることはフィリピンの教育移住(現地校留学)のコーディネート、サポートをすること

これを中心にここNoteでも書いてみようかと思います。

何かが皆様の役に立てれば、どこかが明るい未来へのヒントになればと願います。

お読みいただきありがとうございます。



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