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本質的な問題を見つめる

今回、地元のイベントの実行委員に途中から参加することができ、本当に少しではあるがお手伝いすることができた。

通常であれば(コロナがなければ)駅前にある広場で露天を運営して、お祭りを行うイベントであるが、この二年は実施ができず、今年は地域の(市内の各商店会を中心に)商業店舗に出店を求め、各店舗ごとに特典を提示してもらい、イベント参加者に楽しんでもらう目的だ。

子供へのPRとしては、スタンプラリーという形で3つスタンプを集めると駄菓子がもらえるという企画付。

今回の試みは、もちろん地域活性化による店舗利益向上も視野に入っているが、現在の商店会の活気低下は一目瞭然で、今回のイベントを1回やる程度では利益というにはほど遠い。

とにかく、どこに何があるのか、市民の認識を上げようというのが事実上の本題であった。

自身も生まれがこの地ではないことから、地域の状況はほぼ把握しておらず、商店街がどこに存在するのかの知識もほぼない状況。
2日目は家族を連れて、敢えて普段は行かない場所をめがけて出発し、とにかく普段使わない道を多少迷子になりながら進む。
所々、知っている店舗を通ると、なぜここなのかという疑問が商店街の名残から来ていると悟ることができ、新たな発見となった。

時代によって利便性や住居環境が変化し、一定の地域での永年的な繁栄は難しいのかもしれない、実際に商売をしている方の声でも、自分の代で終わりだから静かに暮らしていると言う声も上がるくらいだ。

しかし、田舎のように過疎化が進み人口が激減している地域であれば致し方ないのかもしれないが、都内であり未だに近隣には数多くの住居がある中で商店が減っていくことは本当の自然な流れのようには感じない。
やはりここでも、3つの要因が絡んでおり単純ではないと思えた。

時代の流れが繁栄されていない、商業店舗の進化が起こっていない、住民の生活環境が地域環境や時代環境に適合していない。

世の中は情報化社会の中、ものすごいスピードで変化しているが、地域の環境はそんなスピードにはついて行けていない。
あるのは極端に言うと、アスファルトの道路と建てやすい戸建て住居、ネット回線、といったところではないだろうか。

更について行けていないのが店舗である。
完全に時代錯誤な歴史を感じる店舗に、なんとなく流れをくんだ商品ラインナップ、決済方法はそれを動かす営業力が勝ってかキャッシュレスも可能にはなっているが全てが使えるわけではない。

ここまでは世の中全体的に見てもまだまだ変化し続けている部分になるのかもしれないので、まだまだ改善されていくだろうし、一般的にいうハード面の問題のため、国や行政、地方自治体が動くことで一気に変わる事もありうる話。
しかし、終始つきまとう違和感はそこではないことも感じる。
そこに住んでいる住人自体のちぐはぐな生活環境が、地域の環境や時代の流れとは違った形で存在しているのではないかと思える。
つまり、戸建ての値段も昔に比べれば比較的安くなっており、誰しもが手を出せる環境になっている。
ましてや、昔栄えた地域の土地代は繁華街に比べれば更に安くなる。
そこに、それ程余裕のない経済力で購入を試みる住人が増えている。
これにより、普段の生活では安価なものを求めてより安い大型商業施設で買い物をする。
つまり、近所にあるという利便性よりも価格という現実に流されるわけで、その行動がよりいっそう地域の活性化を妨げる。
しかし、子供の教育環境とうを考えると、地域で助け合うことは重要だと感じており、戸建てを持っているにもかかわらず、いわゆる児童館というような施設に親子で出かけたりしている。
近隣での買い物というコミュニケーションが取れていないことで近所付き合いができない結果なのかもしれない。

確かに色々な要素が複合的に絡み合うことで、地域の活性化が困難なことは理解しているが、原因をはっきりと把握するという意味では、この3者の状況と考えの違いが絡み合うこともなく気付かれずに流されてしまっている事に注目することが重要ではないだろうか。

なんとなく存在する矛盾、これを明確にして、各立場を理解して交流をもとに解決策を模索する。
ここに時代の変化に対応できる持続性を付け加えていくことができれば、同じような流れを生むことなく、繁栄を続けられる本当の地域活性化が起こるのではないかと思う。

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