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人生の便利屋 ~思考の整理~

最近のキーワードは
「事実と真実の違いを取り違える現代人」

職業柄・・・
結婚とは何か、結婚する意義は、結婚しなくても幸せな世の中。
こういった言葉がよく耳に入ってくる。
しかし、本当の意味での結婚というものを理解したうえでそういった言葉や思想が生まれているのかがはなはだ疑問です。

もちろん、日本のように「お家の縁つなぎ」といったような風習があったことは事実で、「お家の恥」という感覚が存在したことも否定はできない。
そういった意味での結婚は強制に近く、個人の自由を阻んでいることは事実であり、現代のような個人の自由を尊重する中では時代遅れ。
ここにきて、結婚も選択肢の一つであるから、「しなければならない」ものではなくなった。
しかし、ここで言っていることはあくまでも選択できると言ってあるだけであり、結婚しなくてもいいという意味とは若干違うと考えられる。
もちろん選択権は個人にあり、強制する気もないが、推奨されるべきことであると考えている。

元々の結婚の意味=結婚の真実は【お互いに信頼を持てる二人が、お互いのために喜びを享受しあう関係を保つことで、一人ではなし得ない幸せをともに分かち合えるという、人間が本来持ち合わせている奉仕の心による無償の愛を自身の心で感じられる幸せな状態】である。
これが現代では、結婚している人の表面的な現実を事実ととらえて、その内面的に存在する本来の意味である「真実」には光が当たらなくなっているのではないだろうか。
結婚している人を外から見ていると、経済的にも精神的にも苦痛が多く、自由度も減っているからなぜ結婚するのかがわからない。
これが結婚しない人の理由になっている。

厳しめに言うと、結婚という意味に関して、経験もない人が頭でっかちにその意味を考えてしまっているにもかかわらず、その思考はいたって貧弱なもので本来の結婚という意味を全く理解できていない。
そんな人が多くいる。
さらに面倒なのが、本来の意味を理解している人が敢えて結婚を選択していない現実を、さも自身が思考を続けて出た結果のように感じ取ってしまい、インターネットという情報採集で事実と認識して終わらせる貧弱な思考を持つ人が、より大きな声で世の中に吠えてしまっている。

これはつまり、情報社会になったことで、一見、より理解を深めているようで実は真実を見逃してしまっている、そんな現象が起きているのではないか。
これからの選択の時代では、選択した人の意見を事実として真に受けるのではなく、その奥にある真実を自身の思考と感覚で理解できるかどうかが問題である。

結婚だけにこだわらず、色々なことでこのような事実と真実の違いを理解できていない状態が目に付くようになってきた。
歴史から考えても、今ある現実は何かを成し遂げて存在するものであり、その表面的な状態を事実として認識するだけでは危険である。
なぜそのような状態になっているのか、個人で考え理解することが重要となっている。
それがいわゆる「個の時代」なのかもしれない。

個人の多様性を本当に人類が理解できるようになるまでにはまだまだ時間がかかる。
そう考えると、自身が目指しているものは何なのか。
何かを成し遂げ、その先に進むための指針となりうる存在となることは時代遅れのような気もしてしまう。
あくまでも個人が考える個人のための多様性と考えた場合、団体にいれば何もしなくてもことが進むといったような時代を生きてきた人々に、何かとの橋渡しをするような存在。
潤滑的、間接的、補助的、といったような様々な意味でサポートができる存在になることが、今の自分の求めている幸せなのかもしれない。

「人生の便利屋」というフレーズが思い上がってきている現状。
結婚相談所、地域活動、福祉活動、を通して「市」という大きな存在を個人がうまく利用し共存できる社会を作り、個人が生まれてから終焉を迎えるまで幸せを感じられる環境づくりを行うことが自身の幸せであると感じている。

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