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PAIN & GLORY #44 没入

最近このコラムに書く内容が、限りなくカンボジアと関係なくなってきている。ネタが尽きているわけではないが、感じたことを正直に綴ろうと思ったときに、最近はカンボジアだからとかそんなふうに感じることが少なくなってきたのかもしれない。生活にも、この国の人々の扱いにも慣れてきたのかもしれない。

そうなってくると

  "自分がカンボジア人化していないか"

というところに話の論点が至る。これはボスからも常々言われていることで、自分も常に意識しているのだが、カンボジアに長いこといると多かれ少なかれ、カンボジア人の考え方や話し方に近づいていってしまう。

最近感じるのは、長くカンボジアに住んでいる人の言葉ほど、言い回しや文法に違和感があるということ。テキストで無意識に倒置法を使っていたり、日本語の方が短くてわかりやすい言葉でも、わざわざ長ったらしい横文字使ってしまったり。きっと無意識のうちにカンボジアの文化や習慣が、自分の中に入り込んでしまっているのだろう。

だが自分はあくまで日本人で、日本をこよなく愛している。この気持ちは絶対に忘れないようにしたいし、自分はこの国に何をするために来たのかという、根本的な部分を見失わないようにしたい。

日本最後の夜の友人との1枚
この時の気持ちをずっと、ずっと忘れないでいたい

最近感じるようになったのが、何かを創っているとき(このコラムも然り)は、驚くほど時間経過が早いということだ。そしてその時間が妙に心地良い、というか心地良くないと時間経過は早くないんだけど。

クリエイター、職人、モノづくりと呼ばれる人々は、創作物を世に発表した時の賞賛や評価されることに喜びを感じているのだと、自分は思い込んでいた。しかし最近になって、実はその過程で何かをクリエイトしているその瞬間自体が楽しいから、ずっと仕事をしていられるのではないと、考えを改めた。

新しいことを始めるときは、常にネガティブとの戦いだ。この夏新しいプロジェクトを始めようとしている自分にとって、これは願ったり叶ったりだ。

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