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PAIN & GLORY #30 言葉

このコラムも30本目、自分が思っていたよりも続いてるなーと。言葉を扱うのは好きだし、自分の思いを正直に綴るのが自分のためになっている気がして。

昨日会社の上司の家に招かれて部屋で飲んでいるとき、ふとその上司が自分にある動画を見せてきた。ドイツはベルリンに住む日本人女性が、コロナをきっかけに右翼思想に目覚め、ワクチンを強制する国に対するデモに参加したり、YouTubeで自分の知見、考えを発信しているという、政治思想が若干強いものだった。

確固たる考えを持っているその上司には申し訳ないが、自分は右も左もないし、ましてやワクチンを打つことを強く非難しているというわけでもないので、その女性の考え方や発言に関して、特に眉をひそめたり不愉快な気分になるということはなかった。「そんな人も世の中にいるんだなー」と、どこか楽観的にその動画を眺めていた。

だがその中で1つだけ、自分として引っかかったというか納得できないことがあった。それはその女性の発言の中であった

  "言葉なんて所詮言葉でしかなくて
   もっと大切なものが人間の中にある"

というモノだ。

これに関して自分は言葉を扱って発信する立場として、そして今カンボジアで英語とクメール語を勉強中の身として、上記の考え方は間違っていると思う。

自分の中に強い意志や想いがあっても、それを外に対して発信することができなければ、それは何も考えていないのと同じなわけで、現にこの女性も言葉を使って自分の考えを発信している。まずその矛盾に気がつくべきだ。

そしてこの女性の発言は、どれも決め付けで身勝手なモノばかりだった。例えばAとBという人間がいて

①Aには友達がいない
②Aには友達がいないとBは考えている


これは明らかに異なるわけで、②に関しては事実ではなくBの1つの考え方にすぎない。しかしこれが混同してしまうと

  "自分の考えが全知全能で他は間違い"

という、ある種の危険思想のようになってしまう。これをこの女性から強く感じたのだ。

30本目のコラムで話したかったことってこれだっけ?違ったような〜、、、まぁ良い。私はカンボジアで強く生きている、明日はいよいよ日本からお客さんが来る。久々に会えるのが心の底から楽しみだ。

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