人間と動物が違うなんて誰が決めたのか? 『ホモ・デウスーテクノロジーとサピエンスの未来 上』 その2

ホモ・デウスの上巻で遊びました。上巻の目次は、このブログの一番下に載せております。読んでいない人は、ぜひ最初から順番にお読みください。すでに読んでいる人は、見直したい章を好きにつまんでいってください。

それでは、今日は第1部の「ホモ・サピエンスが世界を征服する」の前半部分、第2章の「人新世」です。


第1章では、これからの「人類が新たに取り組むべきこと」について整理しました。しかし、この話かなり半信半疑なものです。そこで、筆者は自分の未来予想図がたどり着いたそのプロセスを明らかにします。

そのために、この第1部では、未来ではなく、過去に目を向ける。まずは人間と動物との関係性について整理しようというのだ。その理由は、私たちの進んでいる道。この道の正体を見極めるためだ。

つまり、私たちが、ホモ・デウスの道へと歩いているこの道は、動物からホモ・サピエンスへと進化した道と同じ道だからだ。具体的には、どのように動物の1種から、ホモ・サピエンスという征服者になったのかを詳しく見ていく。

まず、第2章の人新世では、人間がどのように動物と違う地位を確立したのか、を。次に、第3章の人間の輝きでは、この地位を獲得できた原動力はなんなのか、を。

まずは、第2章の人新世。

地球の歴史を表す言葉に、完新世や更新世がありますが、現代までの一番新しい時代を、人新世と呼ぼうというのです。というのも、地球の環境や生態系に最も影響を与えているのが、「人」だからというのです。

他の生物や自然現象とは、次元の違う影響力を持っている存在。それが人間である。

そこで改めて、人間がここまでのポジションを手に入れるのに、どのような歴史的な経緯があったのかを、見ていきましょう。

まず、前提として、

太古の狩猟採集民はおそらくアニミズムの信奉者だった
彼らは、人間を他の動物と隔てるような本質的な溝はないと信じていた

私たちは、昔から、動物と違うと思っていたわけではないのです。しかし、いつからか、人間と動物は違うと思うようになってしまいました。

たとえば、聖書。

聖書の中で、人間と動物が会話するシーンは、いくつあると思いますか?実は、1つだけなんです。それも一番最初のシーン。ヘビがイヴをそそのかす時だけなのです。

つまり、人間は動物と口を聞いてしまったがために、エデンの園を追放されてしまうのです。

エデンの園では、アダムとイヴは、採集民として暮らしていたが、禁断の知恵の木の実を食べてしまったせいで、(動物の言葉に耳を貸してしまったせいで)採集民として暮らすことができなくなる。

そして、どのような生活になったかというと、農耕民である。

この聖書から得られる教訓は、動物や植物と話すのを避けるとろくなことがない、
というものである。

そして、農耕民になるとともに、誕生した動物がいる。アニミズムから脱して、動物と決別した人間が作り上げた動物。「家畜」である。

人間の食料や衣料を提供させるために、動物を飼育して、都合の良いところで殺す。動物も植物も、である。このアニミズムからすれば、はなはだ傲慢なこの行為を誰がどうやって正当化してくれるのか。

それが宗教だったのです。

筆者はこう述べます。

有心論の宗教は偉大な神々を神聖視すると考えている。だが、その宗教が人間をも神聖視していることは忘れがちだ。(中略)サピエンスが主人公になり、森羅万象がサピエンスを中心に回り始めた。

これ実はとても複雑というか、回りくどいことをしているのです。

というのも、人間はわざわざ唯一神のいる物語(聖書など)を描き、その物語によって、自分たちが動物よりも優れていることを証明する。

だったら、最初から、人間は動物よりも優れているという物語を描けばよかったのでは?

なぜ、それをしなかったのかについては、人間が神に与えた役割を見ると、答えが見えてくる。その役割とは2つあるという。

1つ目は、人間に対する説明責任。

神はサピエンスのどこがそれほど特別で、なぜ人間がほかのすべての生き物を支配し、利用するべきなのかを説明する。

2つ目は、ルール説明。

神々は人間と生態系との間を取り持たなければならなかった。(中略)木にもっと多くの身をならせてもらったり、牛にもっと多くの乳を出してもらったり、雲にもっと多くの雨を降らせてもらったり、イナゴに作物に近づかないでいてもらったりしたかったら、どうすればいいのか?ここで神々の出番となる。

つまり、人間の理解の及ばない自然法則・因果関係を神様に請け負ってもらうということだ。

こう考えてみると、人類が必要としていたのは、有神論の宗教そのものではなく、自分たちが特別である理由と、この世界の説明だった。

科学が進歩した時代において、つまり、動物にはできない力を生み出した現代において、人間が周りの動物よりも特別であることは説明の必要がなく、世界の説明は、自分たちでできるとなってしまえば、宗教の有用性が、減じてきているのは当然の話といえるかもしれない。

この流れを、筆者は次のように説明する。

近代の科学と産業の台頭が、人間と動物の関係に次の革命をもたらした。農業革命の間に、人間は動植物を黙らせ、アニミズムの壮大なオペラを人間と神の対話劇に変えた。そして科学革命の間に、人類は神々まで黙らせた。

人類は、神々にこう宣言したのだ。

科学を手にした私たちが、動物たちよりも優れていることは自明で、この世界の仕組みは、科学が全て教えてくれます。ですので、もうあなたたちの説明は必要ありません、と。

これが、人間至上主義の誕生である。

このようにして、人間は自分たちが他の動物とは圧倒的に異なることを、最後には自らの科学という力で証明したのである。

しかし、ここにはまだ疑問を挟む余地がある。

科学があるから、「賢い」から、人間は動物を搾取していいと言えるのだろうか?家畜を自分たちの好きな時に殺していいと言えるのだろうか?

ベトナム人とギリシャ人のどちらかの命を犠牲にしなければいけない、という選択を前にすると、誰しもが迷うにもかかわらず、人間とブタとのどちらかの命を犠牲にしなければいけない、という選択を前にすると、誰しもが即決するだろう。

この違いは、本当に道具や科学技術だけで説明がつくのだろうか。

この問題の答えは、第3章「人間の輝き」で明らかになります!


『ホモ・デウス 上巻』の目次
第1章 人類が新たに取り組むべきこと(1/14公開)

第1部 ホモ・サピエンスが世界を征服する
第2章 人新世(1/15公開)

第3章 人間の輝き(1/16公開)

第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える
第4章 物語の語り手(1/17公開)

第5章 科学と宗教というおかしな夫婦(1/18公開)


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