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人間は自分たちを神様にアップデートしようとしているのか? 『ホモ・デウスーテクノロジーとサピエンスの未来 上』 その1

ホモ・デウスの上巻で遊びました。上巻の目次は、このブログの一番下に載せております。読んでいない人は、ぜひ最初から順番にお読みください。すでに読んでいる人は、見直したい章を好きにつまんでいってください。

**それでは、第1章の「人類が新たに取り組むべきこと」から行きましょう。

**

この章での筆者の主張はとてもシンプル。それは、人類はこの過去100年間で、飢饉と疫病と戦争を克服した。そして、次の100年間で新たに取り組むべきことを、指摘している。それは、不死と幸福と神性だと言うのだ。

では、まず、人類が本当に、飢饉と疫病と戦争とを克服したのか、を読んでいきたい。

ちなみに、この本を読むときの注意点としては、あなたが、もしくは、あなたの友人や家族、知り合いの誰かが、今、貧困に苦しんでいるとか、疫病に苦しんでいるとか、戦争の被害にあっているとか、そう言った個人的な話を、持ち出さないこと。

ここで語られているのは、人類という全体の話であり、あなた、(もちろん、私自身も)という個人が、飢饉や疫病や戦争という恐怖から、完全に縁を切れたというわけではない。

ただ、人類全体として、すでにこの3つは、あえていうならば、目標とするには、ハードルが低すぎる、とでもいう方がいいのかもしれない。

それでは、「飢饉」から始めよう。

たとえば、フランスでは、1692年から94年にかけて、全人口の15パーセント(およそ280万人)が飢え死にをした。フランスは、たった400年前には、
6人に1人が飢え死にをする国だった。

この文章を読んでわかる通り、「だった」のです。筆者はこう述べています。

今日ほとんどの国では、過食の方が飢饉よりもはるかに深刻な問題となっている。

これを統計によって、補完しています。

2014年には、太り過ぎの人は21億人を超え、それに引き換え、栄養不良の人は8億5000万人にすぎない。

ご覧の通り、栄養不良の人も存在しています。

しかし、過食の方がよっぽど問題で、過食がが問題であると言うことは、ここで起きている食糧問題とは、純粋な食糧不足ではなく、食料の分配の問題というだけなのです。

次に、「疫病」です。

ヨーロッパで最も猛威を振るった疫病の1つが、「黒死病」、ペストですね。人類は、この病気によって、ユーラシア大陸の人口の4分の1を失った、とも言われています。

しかし、現代において、人類と病原菌との戦いでは、ほぼ間違いなく、人類の勝利で終わっていると、筆者は言います。たとえば、人類が開発した「テイクソバクチン」という抗生物質に対して、バクテリアは全く耐性を持っていないという。

つまり、病原菌や疫病が流行ったときに、多数の死者が発生するのは、疫病の勝利ではなく、人類の対策の失敗でしかないと考えられる。

最後に、「戦争」である。

かつて平和とは、戦争がされていない状態、ある意味で、一時的な状態でしかなかった。それが、現在において、戦争は考えられないと思われるようになった。

たとえば、

古代の農耕社会では死因のおよそ15パーセントが人間の暴力だったのに対して、20世紀には、暴力は死因の5パーセントを占めるだけだった。

(20世紀には、世界大戦が2度も行われたにもかかわらず。)

21世紀初頭の今、全世界の死亡率のうち、暴力に起因する割合はおよそ1パーセントにすぎない。

このように、私たちは、暴力で人を殺すことをどんどんとしなくなっているのである。それは、なぜか。

1つは、核兵器の抑止力。つまり、戦争をしてしまうと全てが終わってしまうからである。そして、もう1つは、あまり良いことがないから。

かつて戦争をして相手の領地に侵攻すれば、果樹園や畑や水源や、銅や鉄やレアメタルなどが手に入った。けれど、現代で最も価値があるもの、つまり、知識は、戦争で手に入れることが難しい。

ある国が、アップルのあるシリコンバレーを戦争で壊滅させたところで、なんの意味もないことは、誰もが理解していることである。
(アップルの資産を減らすことはできるが)

つまり、平和はすでに達成されつつあるというのだ。

以上のようにして、筆者は、飢饉と疫病と戦争とが、人類の最優先課題リストから外れたと主張する。そして、それと同時に、次の課題として、不死と幸福と神性を掲げる可能性が高いと考えている。

まずは、「不死」の話から。

不死と聞いて、気持ち悪さを感じる人もいるかもしれない。しかし、これは、いきなり不死が達成するという話ではない。

ここで筆者が言っているのは、癌の、心臓病の、アルツハイマーの、肝炎の、脳梗塞の、治療法や対策を、人類は探し求める。ということは、人類は、あらゆる病気を退治しようとする。死の原因をとにかく撲滅させようとしている。

それは、つまり結果的に、「不死」というものに向かっているというのだ。

次に、「幸福」である。

筆者のここでいう幸福という定義は、とても読み取りにくい。

個人的には、この部分がかなりしんどくて、結局何が言いたいの?って思ってしまったのです。私が文章を読んだ上での結論から言ってしまえば、「幸福」なんて難しいから、ひとまず「快感」にフォーカスしましょう。そんな発想のように見えます。

というのも、現代の人は過去の人よりも、物質的に、社会的に、生活的に、満たされている状態のはずなのに、(飢饉・疫病・戦争がこれだけ減っているのに)自殺率は、現代の方が圧倒的に高いのである。

こうなってくると、いくら成功しても、満足しても、飽くなき「期待」によって飢えていく、貪欲な人類像が描かれる。

そして、その結果、出てくるのが、幸福を得るためには、心理的な満足に頼るのではなく、(ずっと満足するということは、あまりにも難しいから)生化学的な快感に頼れば、幸福を満たせるのではないか、と。

つまり、

快感の果てしない流れを人間に提供し、決して快感が途絶えることのないようにできる製品や治療法を開発する
私たちの生化学的作用を変え、体と心を作り直す必要がある。

と筆者は主張する。

そして、この2つ、「不死」と「幸福」を追求するということは、人類を神にアップグレードすることを意味する、と筆者は続ける。

肉体的には、あらゆるパーツが人間によって生成可能となり、何か不都合があれば、それを入れ替えればいいのだ。心理的には、快感を感じるメカニズムを完全にコントロールし、常に快感を感じ続けることが可能となるという。

それは、かつて、創造主が製造した人類に対して、自らクレームを入れ、そのアップグレードまでを自ら買って出る。そんな状態なのかもしれない。

では、どうすれば人間を神へとアップグレードできるのか。

その取りうる道を、筆者は3つあげている。

・生物工学
・サイボーグ工学
・非有機的な生き物を生み出す工学

まず、生物工学は、何億年もかかる進化の過程を、早めようという考え方だ。

意図的に遺伝子コードを書き換え、脳の回路を配線し直し、生化学的バランスを変え、

人類を、神々にアップグレードしようというものだ。

次に、サイボーグ工学は、人間の体とサイボーグをつなげようという考え方だ。

このSFチックな考えは、すでに現実になり始めているらしい。たとえば、「読心」電気ヘルメットによって。このヘルメットは、頭で考えるだけでバイオニックの手足を動かしたりすることが可能になっているというのだ。

人間の脳みそとサイボーグをつなぐことで、アップグレードしようとする考え方である。

3つ目が、最も先進的で、革新的なものだ。

それは、人間の有機的な部分を全て非有機的なものに変えようという考え方である。つまり、神経ネットワークを知的ソフトウェアに、肉体を工学的なハードウェアにしてしまう。

もうこんなの人間ではない、とすら言えてしまう、考え方である。

2つ目のサイボーグ工学を突き詰めていくと、3つ目の非有機的な人間というものが誕生するという発想。

この3つ目に拒否反応が起こるのはとても自然なのだけれど、その拒否反応の正体を一度探ってみてほしいとすら思う。

全てを非有機的に変えてはいけないというのであれば、どこまでなら許されるのか?何パーセントまで?心臓だけはだめ?なら、心臓病の人は回復してはいけないのか。脳だけはだめ?なら、脳障害を持ってしまった人は回復してはいけないのか。

こんなことを考え出すと止まらなくなってしまいますが、兎にも角にも、この線引きの曖昧な領域において、筆者は、人類が自分たちを神へとアップデートしようとしている。そう述べています。

これが、この本のタイトルである、ホモ・デウス(神のような人類)の起源である。(デウスとは、神のこと)

このような不気味な予言めいた話が、語られているのが第1章である。そして、重要なことは、この話には、つまり、第1章には、続きがあるのである。

それは、なぜ筆者がこのような予言をたてたのか、である。

緻密に歴史を分析して、過去を調べ上げて、その延長線上に考えうる未来を仔細に描いたのはなぜか、である。その目的について筆者はこう述べる。

未来を予測するのではなく、過去から自らを解放し、他のさまざまな運命をそうぞうるためだ。

筆者は別に自分の予測が、歴史研究から導き出した予言が、当たることを望んでいるのではない。それよりも、この(筆者に言わせれば)かなり確度の高い未来予想図を客観視して、問題視することを望んでいるのである。

この内容について、以下のようにも述べている。

この考察によって私たちの選択が変わり、その結果、予測が外れたなら、考察した甲斐があったというものだ。

筆者は、第1章で、人類の未来を詳細に描いてみせた。その未来予想図は、われわれホモ・サピエンスにとっては、好ましいものではなかった。だからこそ私たちは、この未来予想図から目を逸らすべきではないのだ。

1つの可能性として、これを目前にしながら、どんな別の選択肢があるのか、を模索するために。まずは、第一候補を見据えばければならないのだ。

以上が、第1章の要約である。予想より長くなってしまったけれど、第2章へ!


『ホモ・デウス 上巻』の目次
第1章 人類が新たに取り組むべきこと(1/14公開)

第1部 ホモ・サピエンスが世界を征服する
第2章 人新世(1/15公開)

第3章 人間の輝き(1/16公開)

第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える
第4章 物語の語り手(1/17公開)

第5章 科学と宗教というおかしな夫婦(1/18公開)



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