正義とは、一概には語れない:ドラマ『天国と地獄~サイコな2人~』
膝の痛みに耐えながら綴って参りました、1ヶ月も前に終わっているドラマを、あたかも昨日終わったばかりの様にお伝えする、2021冬ドラマの個人的総括。今回で最終回でございます。
これまでの4つの記事にも目を通して下さった方がいらっしゃったのなら、これ以上に嬉しいことはありません(未読の方は、もしもよろしければ)。
膝痛とものもらいと歯痛とで地獄の苦しみを味わっている私ですが(そんなに重症化していない)、まさに天国にも昇る想い。
というわけで、皆さん、もうお気付きでしょう。
最後を飾るのは、TBS日曜21時の『天国と地獄~サイコな2人~』。
ドン詰まりな女性刑事とサイコパスな殺人鬼の魂が入れ替わる!「女から男」へ、そして「善から悪へ」…。人生が逆転した2人の愛と運命が交錯する究極の入れ替わりエンターテインメント!
綾瀬演じる警視庁捜査一課の刑事・ 望月彩子は、努力家で正義感が強く、気が強く、それに加えて上昇志向も強い、慌てん坊な35歳。物事を「~すべき」「~であるべき」と考える"べき論"タイプ。ゆえに、その物言いや性格は上司や周囲の人たちには煙たがられている。とにかく融通が利かず一直線で、頑張りすぎて失敗も多い存在。自分を馬鹿にする周囲に一矢報いるためには、大手柄をあげ、目にものを見せるしかない!そう意気込んでいたある日、独自の捜査でかき集めた証拠を手に、ある殺人事件の容疑者となる男を、自らの手で逮捕する大チャンスが到来!しかし、そんな矢先に彩子は…なんと不運にもその男と魂が入れ替わってしまうーーー。
あらすじや『天国と地獄~サイコな2人~』というお気楽そうなタイトル(天国と地獄と聞けば、運動会での徒競走を思い出すでしょう。)では、且つ、前半の数話を見れば、殺人犯と入れ替わってしまった、運のないおっちょこちょい刑事の、刑事コメディものっぽいが、見進めて行く内に、実はそうでもないらしいことがわかって来る。
当初の予想とは裏腹に、ヒューマンドラマ的様相を呈す、人間の愛を問う作品っぽい、のだ。
今になって考えてみれば、そうした趣向になるのは当然の気もする。
だって、そもそも、高い視聴率をキープし名作を生み出し続ける、日曜劇場だし。
脚本は、『世界の中心で、愛をさけぶ』『白夜行』『JIN-仁-』『とんび』『天皇の料理番』『わたしを離さないで』『義母と娘のブルース』の森下佳子だし。
そして、主題歌を歌うのは、手嶌葵だし。
そうなの。この、手嶌葵の歌う『ただいま』を聴いた時点で、私はそのことに気が付くべきだった。
皆さん、5分32秒、フルで聴いて頂けましたでしょうか。
いやあ、デトックス。
酵素ドリンク以上に、岩盤浴以上に、ファスティング以上に、デトックスさせてくれる、癒しの歌声。
先日の『マツコの知らない世界』で、森山直太朗が熱くプレゼンしていましたよ。「マイナスイオンを感じられる」「仕事に疲れた人に聴いて欲しい」「唯一無二の歌声」と。
彼女のデビューは、映画『ゲド戦記』で、なのだが(主題歌とヒロインの声優とを務めた)、その歌声に惚れ込み、劇中にも関わらず、一曲フルで歌わせた宮崎吾朗監督と鈴木敏夫プロデューサーに敬意を表したい。
彼女の美しく繊細な歌声が、ジブリの世界観と溶け合って、その映像美とも調和を奏でていて。
当時14歳だった私だけれど、映画館でしびれる程に感激して涙した記憶がある。
『テルーの唄』を久々に聴いてみて、これまた郷愁に浸ってしまったので、ぜひ皆さんのお耳にも入れて欲しい。
前述した『マツコの知らない世界』で「歌姫の世界」と称し、日本の女性歌手について語った森山直太朗だけれど、彼による歌声分類マップがあまりにも的確、且つ、変態極まりなかったので、ここにも載せておきたい。
この一覧に名前は無いが、手嶌葵を当てはめるなら、嚙めば嚙むほど系(自分を見つめ直したい時)になるでしょうかね。
ドラマ評ではなく、手嶌葵評となってしまいました。
肝心のドラマの内容ですが、本作のテーマは「正義とは何か」という一点に尽きるかと。
刑事の彩子(綾瀬はるか)は、自身の真っ直ぐ過ぎる正義感を信じ、それを支えとして自分を立たせ、自らの規範を他人にも押し付けてしまう様な人間。そんな彼女が、殺人鬼・日高(高橋一生)と入れ替わったことで、つまり、自分が容疑者として追われる立場に追い込まれたことで、自らの価値観を問い質されることになる(正義に則れば、自分を逮捕することになっちゃうからね)。
そうした、自分の信じていたものを根底からぐらつかせる出来事に遭ったとしたら、一体どうするだろう。
私であれば、早々に挫ける可能性が十二分に考えられるが、そこでしぶとく粘り続けるのが彩子ちゃんの良いところ。だって、彼女の中には、どうしたって捨てられない正義がめらめらと燃えているのだから(真実を解き明かし、あるべき姿に正したい、というもの)。
きっちりと杓子定規な人間も、どんなにいい加減な人間も、それぞれの中に正義を持っているはずで。
世間一般に於ける「正しさ」とは、社会の秩序を保つために設けられた一応のルールであって、それを常に遵守することが正義とは限らない。人間的・倫理的正義とは、あくまで別物なのだ。
正しさが全てではないし、間違いとされていることも一概に否定は出来ないことを前提として、私達はいつだって、物事の裏を見つめねばならない。
でも、それでさえも、結局は、自己保身や自己満足のためのもので、至極自分勝手かもしれなくて。
だから、人を守るって、難しいこと。
私の中では正しいことだと思っても、それが相手に当てはまるかどうかもわからない。相手を守ることに繋がるかすら、わからない。
善と悪とは、いつだって表裏一体であり、捉え方によって善にも悪にも転がってしまう。
それでも、たとえ上手く行かなくとも、「守りたい」という気持ちが根っこにあること、最後の最後で自らの正義を捨て切れないこと、それが救いであるし、それだけで十分なのだろう。
言語化してみると、こうしたメッセージ性を見出せるが、理論ではなく、エンタメとしてライトに見られる作品に仕上げていた点が、本作が多くの視聴者にウケた理由かもしれない。
入れ替わりものでは演者の力量が必須であるが、今回は、綾瀬はるかと高橋一生の演技力を改めて実感したという声も多い(綾瀬に関しては、思い出したという表現もちらほら)。
その、天真爛漫で天然なキャラクターも相まって、国民的女優にまで上り詰めた綾瀬。『ホタルノヒカリ』『おっぱいバレー』などでの明るく健康的なイメージが先行してしまってもいるが、彼女は、ちゃんと演技派であることを今一度思い出そう。
『世界の中心で、愛を叫ぶ』とか『白夜行』とか『わたしを離さないで』とか、みんな見ていたでしょうよ。
彼女は、涙を必死に堪える顔が一番美しいんだってこと、声を大にして、世界の中心で、叫びたい。
一方の高橋一生。
一生さんと言えば、私の好きな俳優トップ3に、かれこれ10年以上前からランクインしている(ちなみに、あとの2人はオダギリジョーと森山未來)。
だからね、私は、彼がブレイクするずーーーっと前から、彼を推していたわけ。
数年前からのブームに乗じて、「好きなタイプ?高橋一生って言っておけばいっか」的な、売り出し中の若手俳優が「尊敬する俳優?小栗旬って言っておけばいっか」、そこいらの20~30代男子が「男が憧れる俳優?小栗旬って言っておけばいっか」というのとは、訳が違うのですよ(小栗さん、ごめんなさい)!
私は、ananの「官能の流儀」特集を見て高橋一生を好きになった、そんじょそこらのキラキラ系・赤文字系女子では、断じてありません。
そのことを、念押ししておきたい。
だからね、正直に言えば、彼が売れて来た時に一抹の淋しさもありましたよ。「私の一生が…」という独占欲起因のもの。
こういう、ブレイクする前から好きだった俳優が売れてしまった結果、徐々に好きでなくなる、という傾向はあるあるなのだけれど(売れたことで主演ばかり演じる様になり、いや、お前主演だと光らないんだよ、脇役だから光っていたのに、という)、一生様はそんなことない。
『耳をすませば』の聖司くんから変わらず、私の中での一生のバイブル、一生。
芸人・永野の「ラッセンが好き~!」の節に乗せた「一生が好き~!」という脳内再生が止まらないのですが、それはどうしたら良いでしょう。
それから、彩子と腐れ縁を続ける同居人(というかヒモ)陸を演じる柄本佑の包容感がね、さいっこうでした(今更ながら『知らなくていいコト』を見たい)。綾瀬の凛々しさとは真逆の、陸の広さと大きさとに、私もすっかり沼に足を突っ込んだ一人です。
でもね、陸の様な「人が良い人間」というのは、大抵切ない結末を辿るので、どうか彼が報われて欲しいと願うばかり。
そして、もう一人。我らが北村一輝にも触れておかなくては。
現在映画も公開中の『シグナル 長期未解決事件捜査班』や『ガリレオ』『ニッポンノワール-刑事Yの反乱-』でも刑事役を演じているからか、私の中では北村一輝=刑事役のイメージが強い(もちろん、『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』でのダンディさも好き)。
そして、その顔の濃さも相乗効果を成すのか、不気味なまでに執拗に追い掛ける刑事役がぴったり(もれなく、叩き上げの現場百回タイプであって欲しい)。
そんな彼は、武田鉄矢に通ずるものがあると感じている。
武田鉄矢が『白夜行』『ストロベリーナイト』で見せた、真相に行き着くためならどんな手段も厭わない、違法捜査あっぱれ、な刑事達の濃ゆさったら。
もうさ、気付いたら後ろに立ってるの。眼光がキツ過ぎるの。その目で全てを見透かしてんの。私は法に触れる罪を犯した覚えはないのだけれど、あくまでテレビの前の一視聴者なのだけれど、ああ夢に出て来そう。うなされそう。
そんな圧を感じさせるのが、刑事・武田鉄矢であって、北村一輝にはその系譜に、ぜひ名を連ねて頂きたい。
武田鉄矢はね、『101回目のプロポーズ』からしてね、車の前に飛び出してプロポーズするくらいだからね、やっぱりしぶといんだわ。北村一輝の顔面も、しぶといもんなあ(どんな形容だ)。
入れ替わった彩子と日高が、運命共同体として感じてしまう「必然的連帯感と情」という要素は、同クールの『知ってるワイフ』とも共通していた。
しかも、いずれも「月」が重要なエッセンスとして登場する。
『天国と地獄』では、入れ替わりの条件の一つに「満月の夜」があり、『知ってるワイフ』では、恒星・ウルフがブラックホール化して、月が2つになった夜にタイムスリップが可能となる。
日本や中国では、古くから月を愛でる習慣があり、それは潮の干満や女性の月経周期と関係があるとか。一方で、西洋では月を忌み嫌う傾向にあり、故に、狼男は満月を見て獣化するとのこと。
日本人は、月でうさぎさんがお餅をついている、なんてファンシーに夢見ているというのに、西洋人は満月になると情緒不安定になるとはびっくりだ。
なのでね、私の気ままでタイムラグがあり過ぎる投稿も、月の満ち欠けに従っているのかもしれません。どうか、月に左右されてしまう人間を労わってあげましょう(膝よ、いたいのいたいの とんでけ~)。
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