自己紹介①生きづらさMAX


こんにちは!
さくらゆらこです。
改めて自己紹介させていただきます🥰
生きづらさMAX、
勇気を出して大きなものを手放し、
自分と真摯に向き合い続け、
自分を愛せるようになり、
自分の生き方ができるようになった、
ゆらこといいます。

夫と子供3人の5人家族。
夫の地元の田舎でのんびり暮らしつつ、
オンラインで潜在意識コーチングをしています。

いまでこそ、
この暮らしに納得できるようになりましたが、
以前は全くそんなことはありませんでした。
なぜなら、私、医師なんです。
のんびりしている場合ではなかったのです。


真面目にコツコツと脇目もふらず勉強を続け、
県内一の進学高校に推薦合格。
成績優秀にて国立大学医学部にも推薦入学を果たし、
もちろん医師国家試験もストレート合格。
そんなザ・真面目、ザ・優等生だった私。
しかし、
医師生活、
そして働きながらの結婚生活、
出産後のドクターワーママ生活で、
挫折を味わい、自分を失い、生きる意味を失い、
どん底に落ちました。
今日の自己紹介①では、変わろうと決意するまでの過程について書きたいと思います。

【この1,2年での変化】
〈Before〉
・理由なく辛い          
・なにか胸に引っかかっているものがある
・頭がすっきりしない
・家族もお金も家も健康もあるのになんだか満たされない
・自分が何者かわからない
・何をしたいかわからない
・このままでは望む人生ではなさそうな気がする
・人に優しくなれない
・自分の器が小さくてへこむ
・親切を素直に受け取れない
・子どもは可愛いはずなのに可愛がれない
・素直に愛情表現できない
・夫にいつも得体のしれない不満を抱いている
・全部否定されているように感じる
・まだまだやれる気がする、こんなもんじゃない、と心のどこかで感じている
・こんなに頑張っているのにうまくいかない
・もっと頑張らないといけないのかとライフハックの情報をかき集める
・あの人はできているのに自分はできない、と落ち込む
・全部自分でやるのがかっこいい、ひとに頼みたくない
・人との関係に一枚膜があるような感覚がある
・人に迷惑かけてはならない
・仕事場ではプライベートは持ち込まない
・仕事は絶対、プライベートは融通が効くのだから後回し
・まわりと同じように働けない自分には価値がない、発言権はない

〈After〉
・なにがなくとも、幸福感がある
・胸の突っかかりがなくなるとともに、自分の違和感にすぐに気づける
・自分の感情、希望、したいこと、がわかる
・自分の行きたい方向に人生が動いている実感がある
・人にも自分にも優しくできる
・親切を素直に受け取れる
・子供や夫にイライラしなくなった
・人の発言に過度に反応することがなくなった
・自分のエネルギーをコントロールできるようになった
・頑張ることが必ずしも良いことではないことを知った
・人を信頼することができるようになった
・自分の魅力が何かわかってきた
・自分を信じ愛せるようになった

【2年前の私】
3人の子供を産み育てつつ、産育休をとりながら1年でその都度復帰し地域の中核病院の麻酔科医として働いていました。

専門医も取得、産育休でいったん資格消失するも、再び子育てをしながら猛勉強して再取得。

そのレールから振り落とされないよう必死でした。
ただし、夜や土日の当番は免除、2人目育児の途中からは週3勤務まで労働時間を減らしていました。

夫も医師。もう一人のドクターと交代で24時間対応しています。そして住んでいるところは県境の田舎。シッターやお手伝いさんは圏外で、保育園が頼みの綱でした。

義母は近くに住んでおり協力的でしたが、昔ながらの内助の功で義父を支えてきた義母。「男たるもの…」「女の子は…」とよく口にする義母は、出産後も仕事をしたいという女性の気持ちにはなかなか理解を示しているように思えませんでした。そのため義母に対して自ら応援を頼むことが憚られました。

私の、キャリアを積みたいという気持ちや生活に対する憤りについての夫との話し合いは、いつも結論ありき、「私が仕事をセーブする」でした

男性の上司からは、働き方に関して嫌みを言われるのは日常茶飯事、そして腫れ物に触るような扱いでした。

田舎から私が麻酔科医として働ける大きな病院まで、自家用車を運転し高速道路も使って往復2時間以上。帰ってから食事と子供の世話。時短勤務として週2日は仕事がないのに、そんな日もなぜか心は休まりませんでした。
職場では同僚が気兼ねなくプライベートの話で盛り上がっていても、子どもの話や、家庭の話しかできない私は、ワーママである自分を出したくない気持ちもあり、雑談に入れず。飲み会にももちろん参加できず、同僚との思い出も作れない…。

一方、仕事の話であっても、私が帰ってからの臨時手術の話題、私が行けない学会の話、知らない論文の話…なかなか会話ができずにいました。

【そんな生活を送っていた私は、精神的に限界を迎えていました】
・とにかく、心が晴れない。
・本音で話せる相手が周囲にいない。
・イライラする、モヤモヤする。
・そのせいか、簡単な手技がうまくいかなくなる。
・研修医の方が難なくこなす手技すら出てくる。
・失敗が怖くて消極的になる。
・恥をさらしたくなくてますます委縮する。
・私の存在価値って?自己価値がどんどん下がる…


その限界を告げるように体も悲鳴を上げ、
とある日、便器に血便を目にすることになりました。

じつは半年前からたびたび出ていました。
血便と言っても深刻なものからそうでないものまで
原因は様々あることは知っています。
とはいえ、麻酔科医としてたくさんの癌の手術に立ち会っている私。
若年で癌が見つかって手術する人も多いし、大腸癌が急激に増えていることも知っています。
若年だとすでに全身に転移していることだってあり得る。

もしかしたら、もしかする。
私は、決意しました。
まだ死にたくない。
この病気が問題なかったとしても
明日、事故で死ぬかもしれない。
なのに、貴重な自分の人生の時間を、
こんな状況下で過ごしていていいのだろうか。

もっと自分の人生にちゃんと向き合わなければ!


「時間通りに帰らせていましただき申し訳ありません」
「当番を免除していましただき恐縮です」
「今日子供が熱を出しまして申し訳ありませんが休ませてください」
「お義母さん今日はどうしても仕事に行かなければならないので熱のある子どもをみてもらえませんか?申し訳有りません。」
「保育園から呼び出されまして申し訳ありませんが早退させていましただけませんか?」
「この日、〇〇に行きたいんだけど、子どものことみていてもらえるかな?」

そんな頭を下げてばかりの生活。
360度許可取り人生。

そして誰の役にも立っていないように感じる自分。
誰からも頼られることのない自分。
だれにも感謝されない自分

そんな人生、そんな自分とはもう決別する、
そう決めました。

何のためにこんな思いをして仕事をしているのか。
いったい何のために生きているのか。

考え始めると、どこまでも遡り、
どこで人生のボタンを掛け違えてしまったんだろう、と
途方に暮れていました。

続く。

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