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朝の挨拶200711 読むRadio

皆様おはようございます。7月11日土曜日。一週間が早い。我が家の菜園、きゅうりとサンチュが育って実を結んでくれました。本日は、世界人口デー、セブン-イレブンの日、職業教育の日、真珠記念日、YS-11記念日、アルカリイオン水の日、ラーメンの日、UDF(ユニバーサルデザインフード)の日、ロコモコ開きの日、ロールちゃんの日、めんの日、VSOP運動の日、おかあちゃん同盟の日。暦を見ると、今日は歴史の深い日ですね。

”VSOP”とは何ぞや?気になって見てみると「一日社会貢献活動」の頭文字。

画像元:ニッポンサイコープロジェクト
「VSOP」とは、「Volunteer Service One day Project」の略で、「一日社会貢献活動」という意味である。
VSOP運動は、会社に評判・信頼・関係・文化・知識などの「目に見えない資本」を蓄積し、会社と地域の経済循環を活性化させ続ける。その人の本業を活かした社会貢献で、無理なく、しかし定期的に行うことが重要である。

社会貢献…エコバック、マイ箸、マイボトル、3R、ネイキッド、ゴミ削減、食べ物を粗末にしない。あとヘアードネーションで髪を伸ばすくらいかな。
貢献できていないなぁ。(深々)

おかあちゃん同盟の日、岐阜県羽島市の「世界おかあちゃん同盟」が制定。

2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災で多くの人が「人とのつながり」「支え合い」の大切さを強く感じた。おかあちゃんが幸せだと家庭も子どもたちも幸せになる。そう信じて毎月この日におかあちゃんたちが集い、語らい、学び、交流を深め、支え合うコミュニティーを作ろうと記念日とした。日付は大震災を忘れないとの思いから同じ毎月11日に。

子供は親を見て育つので、わかる気がします。私の尊敬する人は母。家のことも商売のことも全部やってたマルチ・プレイヤーのような人間。一生かけてもそんな人間になれるかどうか。笑


朝のルーティンの時間

本日はアイスティーです。久しぶりに2層挑戦。背の高いグラスがない、どこかに追いやられたか。3層もできますが、材料もない。笑
買い物、入場制限にひっかからなければ、氷と一緒に買いますかね。

天気はくもり。7時の気温は24℃。湿度65。PC前はちと暑いです。

サーカス・叶ありさ出産前

もうすぐ出逢える新しい命。「家族写真」歌がじんわり胸に響きます。

昨日ニュース見てないから拾う情報が多い。電磁波に弱くなってます。

不具合は出るものと認識していますが、緊急を要する件なので気になる。

そうなりますよね。緊急事態宣言中の報道を見ていて引っかかったことは、”ゴーストタウンのようです”というネガティブな言葉。”皆様の努力で”と付け加えればポジティブになったのでは?

高校野球、頑張ってますね。青春の1ページです。

どのチームを応援しているということはない。笑
有観客初日に嬉しいニュース。

アートが好きでもルールを守れ!と思わず叫んだ。

2016年03月09日 The Huffington Post 安藤健二
アートに関連して見た過去の情報。楽しい写真、好き。

最近、地震と大雨がセットになっている気がする。此度はコロナも加わって三弾パンチ。丹下段平の叫ぶ「立て立つんだジョー」が頭を駆ける。そんなセットいらない。”ハッピーセット”なら父が喜んで食べるぞ。笑

好きな音楽家:TRAPP FAMILY SINGERS(トラップ・ファミリー・合唱団)

トラップ・ファミリー合唱団は、オーストリア出身のファミリー合唱団。
ザルツブルク・ノンベルク修道院で修行するマリア・クチェラは、トラップ家の子供たちの家庭教師となり、後ち父親のゲオルク・フォン・トラップと結婚。
1933年、金融恐慌の影響で財産を失い、マリアは邸の空き部屋を神学生に貸し出し、歌を披露し収入にしていこうと提案。最初の入居神父フランツ・ヴァスナーが、歌の指導と編曲を担当。
1935年、ザルツブルク音楽祭の大衆歌手コンテストに参加し優勝。当時の首相クルト・シュシュニックが、歌声をラジオで聴き、一家をウィーンに招きます。これを機に合唱団は人気を博し、「トラップ室内聖歌隊」という名前でヨーロッパを巡り、コンサート活動を行います。
1938年、ナチス政権下のドイツに併合されたオーストリア。生きるための意志・尊厳を失ってしまうと考えた一家は亡命を決意。一家と共にヴァスナー神父も亡命を決めます(以降、一家にはヴァスナー神父を含む)。汽車を乗り継ぎ、スイス、フランス、イギリスへと渡り、サウサンプトンから船でアメリカへ渡ります。アメリカでのビザが切れるとヨーロッパに戻り、そこでコンサートを行って、再びニューヨークに渡る生活を送ります。

1940年、「Trapp Family Choir」(トラップ・ファミリー聖歌隊)から「Trapp Family Singers」(トラップ・ファミリー合唱団)に改名、聖歌を減らしてフォークソングを中心に歌うようになります。アメリカを巡ると再び人気を得ます。

1948年、一家はアメリカの市民権を取得。1956年までコンサート活動を続けます。活動を終えると、バーモント州ストウにトラップ・ファミリー・ロッジ(Trapp Family Lodge)を開き、自給自足の生活を営み、訪問者を歓迎しながら、各地で講演活動も行います。

マリアは『The Story of the Trapp Family Singers』(1949)、『Around the Year with the Trapp Family 』(1955)など、家族の歩みを綴り、出版。ベストセラーとなり、映画会社が権利を買い取ります。ドイツで映画化、後にアメリカでミュージカル化し、世界中で大ヒットしますが、本の映画化権を安く売ってしまい、一家にはお金が手に入りませんでした。

ゲオルクは1947年に、マリアは1987年3月28日にこの世を去りました。ロッジ一角の墓地に家族と共に眠っています。

「Der Lindenbaum」(邦題:菩提樹)

「Es Wollt ein Jägerlein Jagen」
ドイツ語で”小さな狩人”と訳せますが、邦題についてはわかっていません。知っている方がおられましたら、コメントいただけると助かります。

こちらのCDの13曲目に収録されています。

トラップ・ファミリー・シンガーズ 『インスブルックよ、さようなら』
美しく重厚なハーモニーを聴くことができます。素朴なリコーダーの音色が歌声と重なり、聴きごたえがあります。

好きな本:『サウンド・オブ・ミュージック』、『サウンド・オブ・ミュージック アメリカ編』

マリアの著書『The Story of the Trapp Family Singers』を谷口由美子さんが訳した本です。
『アメリカ編』は、ゲオルグが亡くなり、残された家族が、コア・ウヌム(ひとつの心)と名付けた家で、あらたな結束を誓うまでの物語。マリアの闘病についても少し書かれています。

トラップ一家の紋章には、ラテン語で「どんな困難にも負けるな」という言葉がある。これまでのわたしたちにとっては、まさにうってつけのことばだったと思う。わたしたちは、嵐の海をなんどもあぶない目にあいながら、乗り切ってきた。(P,451)

アメリカに渡って難民となり、家、祖国、財産、権利…あらゆるものを失った一家に残されたもの、それは歌と家族です。決して成功物語ではないトラップ一家の辿ってきた、人生という名の長い道のり。物語の終章に綴られたこの一文は、トラップ一家が生きていくうえでのモットーとなっています。
興味を持たれた方は、マリアが綴った家族の物語を読んでみてください。

Documentary on the Von Trapps
トラップ・ファミリー合唱団の歴史を語るドキュメンタリー番組です。

映画、ミュージカル、アニメ

ドイツ映画『菩提樹』(1956)、『続・菩提樹』(1958)
ブロードウェイ・ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』(1959)
アメリカ・ミュージカル・映画『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)
日本・アニメ『世界名作劇場 トラップ一家物語』(1991)

これらの作品を観てご存知の方も多いと思います。

『サウンド・オブ・ミュージック』では山を越えるところで、アニメ『世界名作劇場 トラップ一家物語』は、アメリカに渡り、家族を囲んだシーンで終わっています。『続・菩提樹』が唯一アメリカに渡った後の話を扱っています。
現実とは異なる話、ゲオルグの性格・人物像がかけ離れており、マリアたちは、映画を好ましく思っていません。アニメは子孫が参加しているので、”家族思いで木工好き”といったゲオルグの人物像を反映しています。

本日はここまで

トラップ・ファミリー合唱団、いかがでしたでしょうか。
語りはじめると止まらなくなって、かなり詰め込んでしまいます。反省点を踏まえつつ、トラップ一家の歴史をお送りしました。ちなみに、150以上の作品をつくったヴァスナー神父は、合唱団が解散した後、宣教師として再びローマに行き、ザルツブルク大聖堂支部の一員となります。一家を語るうえで忘れてはならない人物です。


本日はここまで。読んで下さった皆様、ありがとうございます。感謝!

今日も元気に過ごしましょう。笑顔は幸せの素。”Your smile makes everyone happy!!”

それでは良い一日を。 Have a fine day.

200711 YUHUA O.

あなたのおかげで、勇気と希望が湧いてきますッ!