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【日本一周 京都・滋賀編10】 棚から京博


 期待していた養源院が開いていなかったり、方広寺を思いの外すんなり観光できたり、昼食をすばやく食べられたりしたために、京都国立博物館を訪れる時間を捻出することができた。それも一時間半ほど。

 我々は国立の主要な博物館のキャンパスメンバーであるため、上野の科博や東博、西洋美術館などは無料で入ることができる。それの延長として、国立博物館たる京博も無料で見られるのではないかという淡い期待を抱いて、我らが学生証を振りかざして入場ゲートを通ろうとしたら、係のおばさんに申し訳なさそうになだめられた。それはそれは申し訳なさそうな対応だったので、こちらとしても申し訳なくなってしまい、申し訳なさが申し訳なくなる申し訳ないような状況になってしまった。

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 なんとか入場門を潜り抜け(お金を払って)、東博と同じ片山東熊設計の明治古都館の前で写真を撮った。東博も格好いいけど、こちらもなかなかである。厳かな「京都國立博物館」のロゴの上に横たわる、ギリシャ神話由来にも古事記由来にも見える男神と天女の姿、赤煉瓦のコントラスト、重厚感のある石造りの外観に対しての軽やかなガラスの入り口。チョベリグ。

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 とはいいつつ、明治古都館は開館しておらず、隣の平成知新館の常設展を見に行った。荷物をコインロッカーに預け(曼荼羅の細長いフォルムが凶器と相違ないため、そのまま入ろうとすると止められてしまう)、身軽な状態で展示室へ。すると、入ってすぐのところに京焼きの祖・野々村仁清の色絵若松図茶壺が展示されていた。アシンメトリーのモチーフの配置が優美なことよ。緑青の淡い“松葉”も綺麗(あ、鰊蕎麦)。野々村仁清の作品としては色絵釘隠しなんかもあって、釘を隠すためだけにコンセントカバーの感覚で野々村仁清の作品を壁に取りつけるなんてのは贅沢でつかぁさぁと恐れ入谷の鬼子母神。


 他の陶磁器作品としては、栄花物語を複数巻つみ重ねたのを表現した作品なんかもあって、巻ごとの厚みも計算されているという凝りよう(こんな作品を見た次の日、京都国立近代美術館で三島喜美代の陶製の漫画雑誌や空き缶、チラシを見たもんだからその系譜を垣間見た気がしてなりませんでした)。


 フロアを降りるとたくさんの仏像が展示してあった。その中でも目を引いたのは、20cm四方くらいのサイズの木に、千体の観音様がびっしりと彫られた作品。三十三間堂の縮図のような作品に度肝を抜かれた。たしかに人間と同じ大きさの千手観音像を千体並べるのも壮観だが、掌に収まるサイズに収めるのも同じくらい心を動かす。美術品への原動力としての宗教の存在の大きさたるや。


 他にはお雛様や短刀の企画展も開催されていたのだが、上記の作品ほど惹かれるものはなかったので割愛させていただきます。僕がうろうろと作品を見て回っていると、気づけば尾道の姿が見えない。どこにいるのだろうと探していると、彼は通路脇のベンチですやすやと眠っていた。深夜バスの疲労と食後のお約束で、それはもうぐっすり。なんとか意識しないようにしていたけど、思えば自分も眠いなぁ。二人して展示室を出ると、窓際の午後の光が差し込むベンチでしばし休憩した。


 ミュージアムショップには、40年ぶりに改訂されたという「国宝事典」(8,500円+税)が売られていて興味をそそった。出鱈目にページを繰ると、紙面には日本において指定された国宝に関する詳細な記述がずらりと並んでいる。これらの知識を全て頭に入れたならば、それはそれはえらいことになってしまうだろうと夢想したが、本のみにて国宝を知るのはぞっとしないので購入は踏みとどまった(金銭的理由もまた然り)。

明石

・メンバー
明石、尾道

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