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カフェでのひとり時間。自宅とは違う思考を広げるための居場所選び


カフェが好きだ。
ひとりでカフェに行き、おだやかな時間をすごすのが好きだ。

ただ、カフェと一口に言っても間口は広い。ファストフード店、チェーン店のコーヒーショップ、個人経営の喫茶店。さまざまなカフェに足を運ぶ。


マクドナルドに行くときは、100%朝マック。Sサイズのホットコーヒーと、マックグリドルソーセージエッグをそれぞれ単品で注文する。

ハイチェアのカウンター席に座り、甘いとしょっぱいが交互にやってくる罪のようなグリドルを味わったあと、残りのコーヒーを飲みながらiPhoneのkindleで本を読む。

スターバックスコーヒーも、平日の朝や日中に行く。定番のオーダー、ホットのドリップコーヒーをショートサイズで。カフェミストやラテを注文するときは、ソイ(豆乳)に変更するのが楽しみ。

空いているときは2人掛けの丸テーブル席を確保し、そうでないときは一枚板の大きなテーブルの隅に座る。紙のノートかPCを開き、何かしらを書き始める。

オフィスの近くにベローチェとサンマルクカフェがあって、昼休みの休憩でたまに利用する。ふだんは小麦粉をあまり食べないので、松屋で昼食をさっと済ませてコーヒーを飲みに行く。

たいていスマートフォンしか持っていないので、kindleで本を読むか、このnoteのような、つらつらとしたアウトプットに勤しんでいる。30分ほどであっても、場所が変われば気分も変わり、十分なリフレッシュになる。

足繁く、とまではいかないが、1〜2か月に1回の頻度で通っている個人店もある。

ひとつは、古い店舗をリノベーションしたコーヒーショップ。店主が目の前でいれるコーヒーを眺めたり、雑談をしながらいれ方を教わる。

コーヒーを受け取ったら、同じ施設内のシェアカフェスペースへ移動。通りに面したお店ではないので、人通りがさほど多くなく、ゆったりとした時間を楽しむ。

後からやってきた他のお客さんと店主の会話が聞こえてきて、人どうしの個人的なかかわりを垣間見て癒やされる。

もう1店は、1〜2名の座席をメインに配置している「ひそひそ話推奨」のお店。木目の家具をメインにした、シンプルで、ゆったりと心が広がるような空間。南部鉄器で沸かしたお湯でつくったお冷やを出してくれる。

この喫茶店では、紙のノートを開きたくなる。コーヒーはもちろん、体を労る意志が込められた小さなおやつがおいしい。


カフェでは、何かしらを読んだり書いたりしている。家でやれるにもかかわらず、定期的にカフェに通う。

ふと、どうしてわざわざカフェに行くのだろう、と疑問が浮かんだ。


家にいるときに目に入ってくる、内省のトリガーになるものたち。何かを見つけるたびに「あ、これやらなくちゃ」と思い出し、思考が回りはじめる。

あれやるんだった、これやらなきゃ、そういえばあれも……と、タスクベースの思考がずっと続く。目に入る情報で、タスクを思い出すトリガーを引いてしまう。

トリガーを減らす努力はしている。その一助としての断捨離だし、部屋の片付けだし、整理整頓だ。でも、トリガーをゼロにするのは無理だ。


カフェに行くのは、何を考えるかが、場所に規定されるからだ。

もちろん気分転換もあるが、家だと目の前の仕事やタスクについて考えてしまうから、あえてカフェに行く。

自宅とカフェでは、考えることの中身が変わる。


カフェに行くのは、目の前のタスクや生活からいったん距離を置く行為でもある。

店員さんとのささやかなコミュニケーション。客層や店のイメージに合った店内放送。さまざまな理由で訪れたであろう客同士は、お互いを認識しながらも、アクシデントがない限り会話はしない。
各々がスマートフォンやPCを扱ったり、新聞を読んだり、勉強をしたり、あるいはただぼーっとしている。

その一部に溶け込み、家にいる自分とは少し違う自分として、考えごとを始める。その空間と時間は、おだやかでありながら、集中力をもたらしてくれる。


私にとってのカフェは、自宅やオフィスから拡張する作業スペースであり、人がいるけれど、ここちよい、孤独な居場所だ。

そう認識できたとき、じんわりとあたたかい気持ちが込み上げてきて、嬉しくなった。

そんな愛すべき居場所に今日も感謝しつつ、この文章を書きつらねている。



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