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1杯のソイラテから考える、損得のものさしと満足感の話


ある朝、500円分のドリンクチケットを片手に、近くのスタバまで歩いて行く。自然光が入って居心地がよく、何か考えたいときに利用するお気に入りの店舗。

注文カウンターで、あらかじめ決めていたソイラテのトールサイズと、朝食にシュガードーナツをオーダーする。
ドリンクチケットを提示すると、丁寧な接客の店員さんに「お釣りが出ませんがよろしいでしょうか?」と尋ねられ、数秒フリーズした。

スタバには「SIZE UP MORNING」というサービスがある。
朝11時までに、コーヒーorラテと一部のフードメニューを合わせて購入すると、ドリンクをワンサイズアップできる。ショートの金額でトールに、トールの金額でグランデに…といった具合。

飲むと決めていたのはトールサイズのソイラテで、選択肢はふたつ。ショートサイズの金額でトールにしてもらうか、トールサイズの金額でグランデにしてもらうか。
前者だと450円で、店員の言う通り500円には達しない。
「ドリンクチケットを使ってトールサイズのソイラテを飲む」と決めていたにもかかわらず、いざ店員さんに尋ねられて迷ってしまった。

店員さんが困ったような表情でこちらを見ているのに気づき、慌てて「トールサイズのソイラテでお願いします」と伝える。
注文した商品を受け取り、座席に腰を下ろしたあたりで、時間差でじわりと嫌な気持ちが滲み出てきた。


損をしたくなくて行動を変えようとしたことに気づいた

この嫌な気持ちは何だろう。ソイラテを飲みながら考える。
おつりが出ないと言われてフリーズしたとき、「損をするかもしれない」葛藤がぶわっと渦巻くのが分かった。

500円のチケットで500円に満たない商品を買うのは損であり、損をするのは悪だと思った。そうでもなければ葛藤はしない。
しかし、必ずしも「損をするイコール悪」とは限らない。
さらに言えば、この日に使ったドリンクチケットはキャンペーンで手に入れたもので、購入したチケットではない。
金銭的な損は一切ないにもかかわらず、500円未満のドリンクを買うことは「損である」と認識した。

「ショートサイズでトールの金額にすると50円くらい余って損をするよ、それは悪いことだよ」
「50円分カスタムを上乗せして元を取ろうよ」
「同じ値段でサイズアップできるんだからトールの金額でグランデにしてもらおうよ」

フリーズした瞬間、そんな囁きが頭の中を駆け抜けていった。その囁きに揺らいで選択を迷った自分自身が、いちばん嫌だったのだと気づいた。


損をしたくない、得をしたい衝動に囲まれて日々を暮らす

得をしたい、あるいは損をしたくないからと、簡単に選択を曲げようとする自分と相対した。その自分が嫌で、情けないと思った。

買い物はあらかじめリストを作るし、衝動買いはしない。支出に関しては冷静に考えられるほうだと思っていた。
でも、注文したい商品と違うものを買うことと、買う予定のなかった商品を衝動買いすること、このふたつは大して変わらない。根っこにあるのは、目の前の損を回避したい気持ちだろう。

身の周りには、さまざまな「お得」が溢れている。同じ金額ならSサイズよりMサイズ。2つ入りより3つ入り。15%増量。あるいは1個あたりの単価の安さ。今しか手に入らない期間限定の品。
損をしたくない、または得をしたいからと、そういった商品やサービスに飛びつきたくなる。経済活動の中にいる以上、その衝動とはずっと付き合っていくのだろう。

朝井リョウの「正欲」にあった一節を思い出す。

「明日死なないこと」。
目に入ってくる情報のほとんどは、最終的にはそのゴールに辿り着くための足場。
たとえば商店街なら、今イチオシの商品とか期間限定の割引セールとか。

出費が抑えられることも、同じ値段で多く購入できることも、どちらも結局は【誰もが「明日、死にたくない」と感じている】という大前提に根差した歓びだ。

朝井リョウ「正欲」より

当然のように私自身も、「明日死にたくない」と感じている前提のなかで物を買い、生きている。


迷いや葛藤を見つめ、感情や価値観を自覚することで得られる満足

お得そうな商品やサービスが溢れるなか、金銭的な損得感情を抜きにすべてを即決するのは難しい。
これからも、損をしたくない(得をしたい)気持ちと、選んだものに支出したい気持ちの間で揺れ動き、迷い、葛藤するだろう。

でも、そういった迷いや葛藤を見逃さず、丁寧に紐解いていけば、抱える感情や価値観、損得に対するものさしを自覚できる。

「ちょっと待って、今どうしてモヤッとしたの?」
「なぜそう思ったの?」
「何を選んだら満足した?納得できた?」
「違う選択をしていたらどんな気持ちになっただろう?」

自分自身に問いを投げ、立ち止まり、俯瞰して考える。醜い感情や浅ましさもじっと見つめる。言語化を試みる。そうやって感情を自覚してはじめて、取ろうとした選択にも自覚的になれる。
自らの選択に自覚的になることで得られるのは、どんな選択をすれば満足できるかを判断する基準であり、日々の暮らしや生活、ひいては人生を機嫌よくすごす方法そのものだろう。

トールサイズのソイラテは、滞在時間で飲み切るのにちょうどいい量だった。損をしたくないからとグランデサイズにしていたら飲みきれなかっただろう。

そんな満足も、自分を納得させるための後づけかもしれない。
だとしても、毎日を機嫌よく生きられるならそれでいい。


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