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第9回 『ロビイングの政治社会学』はどんな本?

————:ここからは『ロビイングの政治社会学』の話題に移ります。著者の原田先生からまず本の紹介と位置づけをまずいただいて、その後に中根先生からコメントをいただき、青木先生にもゼミで輪読されたときのご感想などを交えて、ということで参りましょう。

原田:まず簡単に内容に触れてから、さっきの『問いからはじめる社会運動論』のスタイルにならって、自分のエピソードについてもお話ししようと思います。

————:よろしくお願いいたします。

原田:この本は博士論文をもとに書いたんですけれども、キーワードが2つあります。「ロビイング」「NPO法」です。まず1つ目のロビイングから説明しましょう。

これは簡単に言うと、「政治家とか、官僚とか、政策を決めているアクターに、影響を与える行動」のことを指します。基本的にロビイングというと、どちらかというと日本医師会とか経済団体連合会みたいな大きな団体だとか、アメリカでずっと問題になっている全米ライフル協会だとか、そういった大きなところが行うというのが、一昔前のイメージだったと思います。もちろん、今もそれはそうなんですけれども、他方で、あまり知られていない小さな「草の根」の団体とかNPOがやるようなロビイングがあるんですね。これは、「アドボカシー」という言葉で言い換えられたり、「草の根ロビー」と言ったりもするんですけれども。そういったものが、アメリカでも日本でも、世界的にも少しずつ広がっていて、けっこう盛んになってきていて、それを研究するのが、この本の一つのテーマです。

————:ロビイングというと、いわゆる業界団体とか、利益団体みたいなものが思い浮かぶ方もいるでしょうか。

原田:はい。そのような特定の、つまり自分たちの利益を要求するだけではなくて、社会運動として声をあげて、政治家などに影響を与え、法律を変え、それによって社会を変えていく、というのがこの本の一つのテーマなんですね。

では、そのロビイングの対象になったのが何かというと、この本では「NPO法」なんです。NPOについては『問いからはじめる』にも出てきますが、1998年にNPO法(特定非営利活動促進法)というかたちで制度化されて、福祉とか教育、まちづくり、環境、国際協力、いろいろなところで活動する団体が、法人格を取れるようになったんですね。NPO法の意義については、まさに『社会運動の現在』で長谷川先生が、1998年のNPO法が運動の制度化において大きな意味を持った、といったことを書かれていました。ちなみに今ではだいたい5万団体まで増えていて、これはもはやコンビニの数と同じくらいなんですね。NPOって、今ではそれくらいみなさんの身の回りにあるんだよ、ということを授業でも紹介したりしています。

————:「日本には、コンビニと同じくらいNPOがある」って、キャッチーですよね(笑)

原田:この本で中心的な取り上げた話題の一つに、NPOに対する税制優遇制度があります。これは、いったん2001年にできたんだけど、認定される条件がすごく厳しくて、それがだんだんと変えられていって、2011年の東日本大震災の直後に抜本改正された、という経緯があります。だから、NPO法をつくるところから、2011年の大改正、さらにその後の改正までを含めて議論したわけですね。

————:そこにロビイングが絡んでいく、と。

原田シーズシーズ=市民活動を支える制度をつくる会)という団体や、それを中心とするさまざまな運動団体のロビイングがあったということが、法制定と改正の背景としてあるわけですね。たんにNPO法をつくって、NPOが法人格を取れるようになったというだけでなく、法律の制定・改正のプロセスも含めることで、政治参加の事例として取り上げられることができる。その視点でNPO法が注目されることは以前にもあったのですが、この本の特徴をあげるなら、射程を長くとっていて、NPO法のロビイングを事例に、だいたい1990年代初頭から2016年までを対象にして、約25年間の政策と社会運動の相互作用を分析しつつ、運動団体がどういう条件でロビイングをして、どういう戦略を使って、どういうところと結びついて、その結果どうなっていったのか。こうしたかたちで明らかにした、とまとめられると思います。

————:理論的には、どんなポイントを押さえているんでしょう?

原田:今回の座談会に即して、まさにさっきの『問いからはじめる社会運動論』でいうなら後半の因果関係の分析、私自身はそこに位置づけられる研究者だと自認しています。古くは「政治過程」モデル、1990年代くらいだと「政治的機会構造論」、最近では構造という言葉を取って「政治的機会」と呼んだりもしますが、その理論が大きな枠になっています。それに加えて、2000年以降に出てきた議論で、運動間の連携に関する議論とか、「レパートリー」といわれる「運動の戦略」に関する議論、あとは「運動の帰結」に関する議論などを少しずつ織り交ぜて、自分なりに枠組みをつくって分析した……とまとめられるでしょうか。

————:分析や方法の面では、いかがですか?

原田:さっきの『問いからはじめる』での話を思い出す流れですね。方法論的には、基本的に自分がおこなったインタビューと、文書資料の分析の2つを組み合わせました。NPO法の制定・改正に関わった政治家とか政党の関係者、あるいは衆議院法制局の方とか、経団連の方、あとは市民団体としてシーズの結成に関わった方が中心的なアクターで、シーズ以外の立場でNPOに関わった福祉団体とか芸術団体、各地の地域のNPOの方とか、自分なりに網羅的なインタビューを目指して行いました。あとは関係団体のニュースレターとか、シンポジウムの資料、法案の資料等々を使って分析をしています。

————:ありがとうございます。簡潔に要約していただいたので、あとはもう「興味をもったら、ぜひ読んでね!」という感じですね。

原田:そうですね(笑)。せっかくなので、さっきの『問いから』にならうかたちで、なんで私がこういう研究をしたのか、お話しさせてください。

私はもともと修士論文で住民運動の研究をしていました。神戸のある住民運動を研究していたんですが、さっきの青木さんみたいに、まさに突撃で電話をかけて接点をつくったりもしました。そのなかで神戸の団体にたまたま知り合って、そこに住民運動の調査をしに行ったわけです。さかのぼると、卒業論文から地域社会学を専門にしていたんです。私は地元が埼玉の浦和で、浦和といえば浦和レッズですが(笑)、2002年の日韓ワールドカップのときに埼玉スタジアムがつくられて、地元でずっと見ていたわけです。巨大なスタジアムがつくられて、地域が変わっていって、そこが浦和レッズのホームスタジアムになって、でもスタジアム周辺の開発が一部頓挫して……というのがすごく気になっていて。なので、卒業論文では埼玉スタジアムの開発問題をテーマにしていました。

————:『問いからはじめる社会運動論』でいう「きっかけ」に近くなってきました。

原田:地元の問題から地域社会学に興味を持って、修士に入ってからも「地域とスポーツ」をテーマに研究をしようかと思ったんですが、スポーツ関係でやろうとしても、なんか違うなと思ったんですね。スポーツの振興をしたいんじゃなくて、あくまでスポーツを媒介にして「地域」を見たかったんだな、と気づいて。それで、何かないかと考えていたときに、たまたま雑誌で読んだんですけど、神戸のある地域に、1960年代からずっとスポーツのことをやっている住民団体があるというのを知ったんです。ためしに、まさに青木さんみたいに電話をかけてみたら、「じゃあ、おいでよ」と。代表のご家族のおうちにたびたび伺って、まったく縁がなかった神戸で調査をして修士論文を書きました。

そこの団体っておもしろくて、団地の敷地に自分たちで土地をつくって、ならして野球場にしたり、テニスコートにしたり、そんなことを40年間くらいずっとやっている団体で、自分たちの土地をいかに活用して、住民スポーツみたいなのをやっている、ときには神戸市の当局ともいろいろやり合ったりしながら取り組んでいるんです。この話を、似田貝香門先生の住民運動論とか、クリーシという社会運動研究者の理論を使って考えて、修士論文で書いていました(修士論文を元にこの論文を書いています)。なので、そのままそういう研究をやっていこうと思って博士課程に入ったら、じつは行き詰まってしまって、テーマが「空っぽ」になっちゃったんです。何をやったらいいか自分でもわからなくなって、ちょっと迷走して、いろんなテーマに手をつけては、「これは違うな」みたいな感じで……。今だから言えるんですけど、当時は大学院をやめようと思ったこともありました。

————:そんな時期もあったんですね。

原田:そんなときに、たまたま声をかけてくれたのが樋口直人さんだったんです。ちょうどそのとき民主党政権に変わって、「政権交代と社会運動」というプロジェクトが始まったんです。政権交代が社会運動にどういう影響を与えたのかを、反貧困、外国人参政権、水俣病、夫婦別姓、脱ダム、教科書問題というテーマで比較する。メンバーでいえば樋口さん、稲葉奈々子さん、成元哲さん、申琪榮さん、高木竜輔さん、松谷満さん。樋口さんの『日本型排外主義』もこのプロジェクトの成果なのですが。これらのテーマのほかにNPO法改正が先に動き始めたけど、担当者がいないので、「原田さんそういえば住民運動とか研究やっていたから、NPO興味ある?」みたいに樋口さんと成さんが声をかけてくださって、それが博士2年の暮れくらいでした。私は研究テーマを迷っていた時期だったので、「ぜひに」と加えてもらいました。

加えて、もう1つの幸運がありました。NPO法に大きくかかわったシーズという団体で、当時代表理事をされていた林泰義さんという方が、まちづくりの分野でも有名な方なんですね。私は以前に大学のまちづくりの授業で林さんにお世話になったことがあって、「NPO法改正やシーズのことを聞かせてくれませんか」とご連絡したら、ちょうど林さんたちがNPO法の制定当時の資料編纂プロジェクトを立ち上げたところで、そのスタッフとしてお声がけいただきました(プロジェクトの詳細は「NPO法制定10年の記録」)。こうしてあれよあれよという間に、一方ではNPO法の2011年の改正をリアルタイムで追いかけて、当時のシンポジウムなどに参加して目の前で法律が改正されるプロセスを分析しながら、他方で1998年法制定時の資料、ダンボール何百個分だったかを整理するお手伝いをしたり、当時の関係者の方々にインタビューしたりしました。こうして1998年の法制定と2011年の法改正を同時並行で研究するスタイルができてきたんですね。このあたりでようやく博士論文を書くことを決めたと思います。

ちょうど同じ時期に3.11が起こって、さいたまスーパーアリーナの避難所ボランティアをきっかけに、西城戸誠さんと今も続けている、避難者支援の研究『避難と支援』として公刊)も同時並行で動いたりもして……まさに2010年の暮れから2011年の春くらいが、私にとってのターニングポイントだったと思います。あのあたりの出来事がなかったら、私は研究者の道を辞めていたかもしれないんですけど、こういったかたちで自分のテーマに出会ったんですね。

そういった出会いがありつつ、住民運動研究をやっていた自分がこの本を書いたのは、けっこう運命的なものがあるかなと思っています。博士論文も、結果的に住民運動研究がベースにある自分だからこういう分析になったのかな、と思うところがあります。自分なりに住民運動研究を国政レベルで応用した試みになったのかな、と。後々になって気づいたことですけれども。学部生時代からいろいろ遠回りしたものの、そういったところもこの本の端々に反映されているかな、と思っています。

(以下、第10回へつづく)


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