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『記憶を語る,歴史を書く』刊行記念:「オーラルヒストリーの入口で」③

(①はこちら、②はこちら


生活史の読み方について

四竈 この話、私の個人的な引っかかりかもしれないんですが、ちょっとお伺いしたいことがあって。『家(チベ)の歴史を書く』について、さっき、何度も感動したし、笑えるし、っていうふうに申し上げたんですけどね。たとえば文庫版の98ページで延奎(よんぎゅ)伯父さんに、「最後にもう一度人生をやり直せるなら何になりたいか」と聞く。すると伯父さんのほうが「やっぱりね、教育者になりたい。今度は、もう、そんな偉くなくていいから」って、なんとなくこれを聞いてすごい切ない気持ちになったし、なんかちょっと泣きそうにもなったんですよね。この部分については、「なんでこの質問をしたんだろう?」ということをまず聞いてみたいんです。というのも、同じページに「いまなら絶対にしないだろう質問」だとも書かれていたからなんです。なんでしたんだろう? ってね。このあいだ伺ったら、「その質問はみんなに聞いていた」っていうふうに仰っていましたよね。

朴沙羅 そうです、はい。

四竈 みんなに聞いてたっていうのは、一体どういうことだったんですかね。

朴沙羅 その当時、学部生のときは「人生で一番楽しかったこと、嬉しかったことと、一番嫌だったこと、辛かったことと、それからもう一回人生やり直せるんだったらどうしたいですか?」みたいな質問をしてたんですね。それを聞くと、人生の振り返りみたいなのが得られるかなって思ってたんです。当時は、生活史を聞くからには人生を聞かねば、人生の語りを得なければ、と思っていたのがあります。それから、この3つを聞いておくと、なんかその人が自分の人生はこんな感じだったって思ってる、それについての描写が得られるかなと思って、その当時は聞いてました。

四竈 いわゆる「人生を聞く」っていうものですよね。

朴沙羅 そうですね、うんうんうん。

四竈 「人生を聞く」って、すごく伝わる何かがありつつ、ある種マジックワード的でもあり、なかなかそこで何をされてるのかわからないところもある気がするんです。私がお世話になっている著者でいうと、岸政彦先生はやっぱり「人生を聞く」っていうことをいろんなところで言われてますよね。「それそのものがおもしろいんだ」と。たしかに僕も同じことを感じるんですよね。岸先生の仕事、どれもすごくおもしろいなあと思って読んできたんです。
 同じような意味で『家(チベ)の歴史を書く』も、おもしろいな、と思いながら読みました。なんだけど、その一方で、もうちょっと射程の違うおもしろさもある、なんていうか、歴史の本としてもおもしろいのではないか。そして朴沙羅さんはそういうふうにも書きたいって思っているのかな、、、とも思ったんですね。

朴沙羅 うーん、今この質問をしない一番の理由は、この質問はその日のインタビューの振り返りであって、別に人生の語りじゃないだろうと思うからです。

四竈 ああ、なるほど。

朴沙羅 その日のお互いの都合で、一番いいことと悪いことなんて変わっちゃうかもしれない。私じゃない人が質問したら違うことを言うかもしれない。この質問は、その日のインタビューの振り返りです。じゃあ人生の振り返りは、人生の語りは、その日のインタビューの振り返りといかに違うのかっていう話になると、それはそれでまた難しいんですけどもね。「インタビューの場も文字どおりの意味でインタビュイーの人生の一部分である」って、小宮友根さんが書いてました(小宮友根, 2020, 「ウーマンリブ・三里塚闘争・有機農業」『思想』2020年4月号, p. 119)。私はそこがよく分かんなくなってきちゃったんです。

四竈 うん。

朴沙羅 私は、私には人生は書けないと思ってるんです。打越正行さんのように、暴走族の10年を書くために、自分の10年を捧げるところまですれば、その10年ぶんは書けると思う。

四竈 なるほど。しかし、まあなかなか同じことはできないです。

朴沙羅 そうなんですよ。それにやっぱり、人生を書くとはどんな活動について言っているのかっていう問いを別に立てて調査しないと、私にはわかんないなって思うんです。

四竈 たしかに。

朴沙羅 それが1つ。それから、単にわからないことがすごく多かったんでもうちょっと知りたかったんです。

四竈 うん、うんうん。

朴沙羅 何が書かれているのか、何が話されてるのかをもうちょっと分析したかった。「この元ネタはどこから来てるんだ?」って。

四竈 さっきの、相互行為のその精緻化みたいな志向と似てますかね?

朴沙羅 そうですね。でも、ヘルシンキ大学にいるエスノメソドロジストたちは、風呂場のパイプ修理中の会話を録画した5分のビデオを8人で見て2時間盛り上がれるぐらい分析できます。それに比べたら、このレベルで分析だなんておこがましいです。

四竈 持ってくる話が極端すぎると思うんですけど。

朴沙羅 でもね、それね、おもしろいんですよ。「パイプ修理すげえええ!」って感動します。

四竈 たしかにね、本当に精緻な話ってそれ自体になんか独特のおもしろさがありますよね。でもちょっと戻すと、「人生を書く」っていうのは、もうちょっとざっくりとしたこと、普遍的だけど、説明しにくい部分もある。それ自体はおもしろいけれども、またそれとはちょっと違う方向を向きたくて、それならばどういうふうに書いていけばいいのかってことを、今回まとめられた。

朴沙羅 だって常識的に考えて、岸先生がやっておられることを私がやっても分業にならないじゃありませんか。

四竈 たしかに、同じことをやる必要は……

朴沙羅 ない。もう私よりずっとキャリアも実績もある方がやっておられることと、同じことを私がやっても、何もできる気もしませんし。別に何かを成し遂げなきゃいけないわけでもないけど、違うことをする方がいいでしょう。

四竈 まさに分業というか、私も岸先生たちと一緒に『質的社会調査の方法』っていう本をつくって、おかげさまでどんどん重版もしてますし、あの本を念頭において他の教科書ができたりとかもしました(たとえばこちらの記事を参照)。もちろん、あの本を参考にしてフィールドワークや取材をしたりとか、それこそ生活史を聞いたりとか、そういうような話も聞きます。

 他方で、それだけがすべてである必要はないな、とも思ってはいて、というのもそもそも質的な社会調査のあり方とか、あるいは人の話を聞くっていうこと自体も、いろんなバリエーションがあるわけですし。その意味で、これから、ますます有力なバリエーションの一つになっていくのかなと思うんですよ。『記憶を語る』で掘り下げられたような、オーラルヒストリーが。

朴沙羅 だといいんですけど。でも石岡さんと岸さんと丸山さんですしね。プロ野球選手3人で打線を組んだところに、バッティングセンターに行くこともあります、程度の人が入るわけにいかないので。

四竈 そこは今ね、ヘルシンキリーグにおられるわけで。まあ、それは冗談ですけども。個人的にやっぱり社会学を間近で応援している身としては、この本に影響を受けて、やっぱり後続の研究者にオーラルヒストリーで社会学やってほしいなあっていうふうに思って、この本を出したところもあるので。本当にこんなに細かくというか、詰めて書かれた本もなかなかないと思いますし。

朴沙羅 そうですかねえ。……って、編集者の方にそんなこと言ったらだめですね。

四竈 そうですよ!(笑) この本はすごく独特の作り方もしていて、2年間にわたって原稿検討会を続けてきたんですね。SNSなどでご存知の方はご存知だと思うんですけど、酒井泰斗さんという在野の研究者、というか研究者の出版プロジェクトをいくつも立ち上げてオーガナイズされている方がおられるんですが、朝日カルチャーセンターで講師をされたりもしますけど、酒井さんの仕切りでですね、月に1、2回こってり原稿にコメントする研究会を続けてきた。もちろん著者には、毎回原稿を書いてきていただいて、それをこうみんなで「ここはどうなんだ」「こうじゃないか」「いや、違う」ってね。

朴沙羅 本当にありがたかったです。あんな贅沢させてもらってよかったのかなってずっと思ってます。誰かにこの話をする度に「ええ〜、何それ、いいなあ」って羨ましがられます。

四竈 でも補足すると、これなかなか稀有なのは、もちろんその会を開いていただくっていうこと自体が稀有なことではあるんですけど、その会がそんな頻度で2年間も続くというのは、朴沙羅さんの筆力の勢いと粘り強さがあって、しかも持続してっていう。その才能が、かなり特殊だったということは、申し上げておきたいなと。

朴沙羅 昔ね、さっき話題になった東洋史の授業に出ていたときに、東洋史の先生に言われました。「朴さんは、元気なのがいい」って。要するに他はだめってことです。

四竈 いやいやいや、また(笑)。でも、たしかに本当にね、ほとんど風邪をひいたことがないとか、なんかそういう伝説も。風邪はさすがに引きますか。

朴沙羅 1995年の1月に発熱して以後は、発熱らしい発熱はしてないです。

四竈 う、うーん……

朴沙羅 でも喉がざらっとすることはありますよ。

四竈 こういう話を聞くたびに、研究会に出られていた松沢裕作先生が印象深い表情になっておられたのを思い出しますね。

質疑応答より

四竈 質問をいただいていますので、読み上げますね。

  • 社会学の桜井厚先生の方法論を批判したことがあるお聞きしたことがありますが、どのあたりが批判ポイントでしょうか?

  • 自分が在日コリアンである属性と、日本のオーラルヒストリー状況との関係はどう考えられますか?

朴沙羅 まず一つめから申し上げます。批判したことはあります。そのときの批判内容と、いま私が思っている批判内容とどちらをお答えしたらいいのかわかりませんが、『記憶を語る,歴史を書く』に即していうと、私は桜井先生が、ご自身が批判なさっているところの対象と、認識や前提において同じではないかと疑っています。言い方を変えると、対話的構築主義は言うほど構築主義的ではないのではないか、と。

四竈 構築主義的ではない?

朴沙羅 つまり、対話に着目して構築の過程、過去の出来事なり、過去がこのようなものであるという想起がなされるプロセスに注目をなさるのであれば、もっとそこを見たらいいのに、と思います。

四竈 なるほど。

朴沙羅 桜井先生ご自身が出版なさった著書を読むと、正統的なエスノグラフィーの本であるように私は思います。そしてその作品自体は、素晴らしいと思います。でもそれは、桜井さんご自身が他の著書で方法論として書かれていることとは違います。

四竈 方法論や理論的な仕事と、エスノグラフィーの仕事、両者を読み比べてみると……ということですね。なるほど。
 話題が逸れるものの、便乗して宣伝まじりに言いますけども、桜井先生にいままさに1章分書いていただいている本がありますが、ものすごくおもしろい、価値の高い文章だと思っています。中野卓についての評伝的な文章です。

朴沙羅 2つめのご質問にいきます。自分が在日である属性と、日本のオーラルヒストリー状況との関係ですね。1つ挙げるなら、いわゆる「下からの」オーラルヒストリー研究において識字運動や識字研究、成人教育の果たす役割が大きいことは、オーラルヒストリーの学説史を勉強する前から感じていました。その理由のひとつは、先日出版されました、岸先生が編者をなさった『生活史論集』の方にも書かせていただきましたけれども、私が子どもの頃、母に連れられて、在日一世の女性たちの識字教室に行っていたことだと思います。そこで、人生譚を語る場面に居合わせたことです。その識字教室に通っていた女性の中で、自身の人生を詩の形で出版された方もいらっしゃいます。あの人たちはたくさん、とても雄弁に、語っている。私たちが聞いていないだけだ。そういう感覚は、あのときに得ました。

イベント終了後に言語化できたことですが、私の方では特に日本や日本人というカテゴリが有効である話題をしていないにもかかわらず、私のさまざまな属性のうち、在日コリアンという属性に関連するご質問を気軽にお寄せいただくあたりが、もっとも「在日コリアンあるある」ではあります。

四竈 ありがとうございます。次の質問に参ります。

  • オーラルヒストリー調査のプロセスで、あなたは差別されている、ということを気づかせることになるとしたら、それは良いことなのでしょうか?

朴沙羅 一般的にはお答えできません。

四竈 うん、そうですね。

朴沙羅 はい、調査者と対象者との関係や、どのような差別についてだったのかとか。どういうやり取りの中で――多分ここが一番大事です――どういうやり取りの中でどのようにして相手がそれに気が付くに至ったのかということがかなり複雑に関係してくると思いますので、ちょっとこれはパッとお答えはできません。

四竈 では、次に移りますね。

  • 本の題材から見て、幼い頃から聞いていた話、ストーリーをあらためてナラティブに練り直していくという過程をとったエピソードなどもあるかと思います。その際に難しかった点などはありますか?

朴沙羅 あらためてナラティブに練り直していくっていうこととはちょっと違うんですけれども、幼い頃に何度も聞いていたエピソードをあらためて話していただくことが難しかったです。「その話、もう何遍もやったやろう。聞いてなかったんか、おら。」「ごめんなさい」みたいなのが難しかったです。それから「私なんかじゃダメだよ。」とか「昔の話について聞きたいんだったら、私じゃなくてお父さんに聞いて。」みたいなふうに言われるのも難しいところでした。これは在日の一世、とも限らないかも知れませんが、お年を召した女性に多い反応だと思うんですが。

四竈 ありがとうございます。次は感想も交えて。

  • 筆力のお話がありましたが、博士論文は何年で書かれたのか気になります。パワフルなお話、楽しかったです。

朴沙羅 ありがとうございます。博士論文は3年で書きました。これも今にして思ったらバカみたいなんですけど、京大の文学研究科の社会学で、3年で博士論文を書いた人はいないと言われたので、「よし、書こう。」と思い立ちました。もっと長期の留学でもしておけばよかったと後悔しました。

四竈 いや、それも、普通はなかなかできることではないわけで……とりあえず質問についてはひと段落としましょうか。

次回へ続く


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