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『記憶を語る,歴史を書く』刊行記念:「オーラルヒストリーの入口で」①

本連載は、2023年4月26日にジュンク堂書店池袋本店の主催で行なわれた、著者による刊行イベント「オーラルヒストリーの入口で」の内容を元に構成し、加筆しています(聞き手は編集部・四竈佑介)。抜粋版は有斐閣のPR誌『書斎の窓』でもご覧いただけます。


執筆の動機

四竈 三月に『記憶を語る、歴史を書く』が刊行されました。執筆された動機から聞かせてください。

朴沙羅 そもそもは、オーラルヒストリーの方法論って、たくさんあるように見えて、いざ読んでいくとあんまりないなって思ったんですね。オーラルヒストリーの方法論って、たくさんの方々がご研究なさって、書かれたものもかなりあるんですが、意外と話のバリエーションがないと思ったんです。いろんな方がレビューをしておられるし、レビュー論文も多いと思うんですが、レビューされている論文はけっこう同じじゃないかなって。

四竈 なるほど。それで、もっといろいろあるでしょう、と。

朴沙羅 そう思って調べ始めはじめたのが、この本の執筆のきっかけです。オーラルヒストリーに関しては、教科書的なものも複数出ています。ポール・トンプソンのThe voice of the past、日本語だと『記憶から歴史へ』という、酒井順子先生が翻訳なさった本が代表的ですし、他にもヴァレリー・R・ヤウのRecording Oral Histoyオーラルヒストリーの理論と実践として翻訳されています。

 それでポール・トンプソンの本を読み始めると、「中国では、紀元前3世紀に、宮廷歴史家司馬遷によって普通の人々の歴史伝承の体系的収集がなされた。8世紀の日本では、天皇に命じられて貴族から口述伝承が収集された」(『記憶から歴史へ』p.61-62)、「紀元前5世紀のヘロドトスは、証人を探し、いろいろな角度から証言を聞いてみる歴史手法をとった」(『記憶から歴史へ』p.62)と書かれています。はじめてこの箇所を読んだときに「オーラルヒストリーの先駆的な例に、司馬遷や稗田阿礼やヘロドトスを入れるの?」と驚きました。もちろん、トンプソンは冗談でヘロドトスを引いているわけではありません。そもそも歴史叙述は口述史料を、あるいは口述史料も使っていた、と主張したいからヘロドトスを引いているんです。でも、そうすると、そもそも何がオーラルヒストリーなのか、それを誰が、どういう基準で決められるのか、そこから問題になってきます。

四竈 手法の歴史をさかのぼれる一方で、定義は取り出しにくくなる、と。

朴沙羅 この本のあとがきに書きましたが、数年前に、政治史でオーラルヒストリー研究をなさっている、東京都立大学の佐藤信さんに誘っていただいて、サントリーから助成をいただいた研究会に参加したことがありました。はじめて佐藤さんとお会いしたとき、佐藤さんは私に「朴さんにとってオーラルヒストリーとは何ですか?」と尋ねてこられました。私はそれまで、実はそこを真面目に考えたことがありませんでした。でも、佐藤さんに質問されて、これに答えられなかったらまずいな、と思いました。

四竈 なるほど。違う分野の、同じ手法の研究者から。

朴沙羅 佐藤さんは東大の政治史でトレーニングされてきた方なので、「公開されていて、使おうとしたら誰でも使えるような形のものがオーラルヒストリーだ」という考えをお持ちでした。それで私は、オーラルヒストリーという言葉の意味する中身を、いろんな人に聞くのはおもしろそうだと思いました。その研究会では、放送大学の白鳥潤一郎さんや、日本美術史オーラルヒストリープロジェクトをやっていらっしゃる辻泰岳さんといった方々とご一緒させてもらいました。そのとき、このオーラルヒストリーという概念に、それぞれの分野で共通性があるのか、ないのか、あえて文献ではなく口述、オーラルというところにどういう気持ちが込められていて、どういう経緯でそういう気持ちが込められるようになったのか、そういうことをもっと知りたいと思いました。これが、この本の執筆動機というか、目の付け所です。
 それはそれとして、オーラルヒストリーの教科書やレビュー論文を読みながら、同時並行で困っていたことがありました。他人の話を聞くと、嘘っぽい話もあるし、体験を大袈裟にいう、いわゆる「盛ってる」話もあります。結局それでどうやって論文書いたらいいんだろうっていうのが、わかんなくなってきたことです。聞くことは楽しいんだけど、その後のアウトプットをどうしたらいいんだろうって、私はすごく困りました。それで、オーラルヒストリーの方法論をレビューしながら、社会学なりのオーラルヒストリーとの付き合い方を見出せるといいなと思うに至りました。これが、この本の執筆動機の3つめです。

四竈 オーラルヒストリーって、いろんな分野でやられているわけですよね。日本語でそのものズバリな本だと、御厨貴先生のオーラル・ヒストリー――現代史のための口述記録が有名でしょうか。オーラルヒストリーを使って書かれた本だと……

朴沙羅 これとかどうでしょう? 『情と理』、後藤田正晴のオーラルヒストリーです。

四竈 政治史のなかでやられていたり、歴史学でも本が出ているわけですよね。他方、社会学をみると、類似の議論はあるものの、オーラルヒストリーそのものを扱う本は、あるようでなかった。

朴沙羅 「昔の体験談を聞きました」だと、取ってきたデータをどうするんだという問題があります。桜井厚さんや小林多寿子さんはその点はとっくの昔に気づいておられて、アーカイブ化に関して科研を取って、研究しておられます。そのデータ収集と蓄積の問題が一方にあって、他方に、この体験談をどうすると社会学的だと言えるのかという問題に答えないといけないんじゃないかと思ったんです。
 どうして「社会学的」にこだわるかと言うと、ちょっと恥ずかしいんですが、私は学部の時、歴史学、特に東洋史を勉強したいと思っていたんです。専攻を決める時に人生に迷っていて、間違えて社会学専攻になってしまったんですが、正気に戻った時には手遅れでした。それで東洋史の授業を取りながら、大学院では東洋史に進学しようと思っていました。ところが、学部4回生のとき、東洋史の先生に「卒論、どうするの?」と質問されて、「親戚の生活史で書きます」と言って、後で『家(チベ)の歴史を書く』になる伯父の生活史の話をしました。そうしたら、その先生が「朴さん、それ、ハックが降りてるよ!」「モンゴル帝国の史料はこれから増えるけど、朴さんの史料はなくなってしまうから、そっちをやりなさい」とおっしゃいました。要するに、お前に東洋史は無理だと匙を投げられたわけです。でも授業に来たければ来たらいいよ、と言われて、ペルシャ語の写本を読んだり、モンゴル式の漢文で書かれた法典を読んだりしていました。アラビア文字も知らないのに手書きのペルシャ語の写本のコピーを渡されて「これを1/4ページでいいから、来週までに読んできてね。わからなかったら、このペルシャ語の教科書を読めばいいから」と言われて「おお、それは無理」と思いました。

ハック:現代ペルシャ語では「権利」。この文脈ではモンゴル帝国でいうところのテングリの力、すなわち天の力や加護のようなもの。

四竈 すごい(笑)

朴沙羅 しかも、そのとき一緒に授業に出ていらした助教の先生が、宮紀子先生という方なんですが、とんでもなくすごい方なんです。私のレベルが低いこともありますが、決してそれだけではありません。それで、なるほど歴史学者というのはこんなにすごい人たちなんだなと実感しました。調べる量も読む量も私なんかとは桁が2つくらい違います。「こちらのペルシャ語写本はイスタンブール本ですが、該当箇所のテヘラン本とタシケント本とパリ本のコピーを渡しましたので、全部見てきてください、わからないトルコ語とモンゴル語の単語があったらこの英語とドイツ語とフランス語の辞書を引いてください。固有名詞や書かれている内容に『聖武親征録』と重なる箇所があります」みたいなことを言います。私には「なんだこれは」としか思えなかった。だから、あのレベルで読んだり調べたりする人たちと同じ土俵に乗れないと思いました。

四竈 一生をそこで決定づけるような覚悟が要りそうですね。

朴沙羅 ちょうど私が大学に入学した時は、上野千鶴子がナショナリズムとジェンダー(岩波書店)という「慰安婦」問題の本を出して、吉見義明と実証史学なるものについて議論がなされていた頃でした。そのときに、「いや、このレベルで戦う歴史学者に、社会学者が同じ土俵に立って言えることはないだろう」と思ったんです。社会学にとってオーラルヒストリーって何だろう、と考えたのは、そういう事情もあります。

『記憶を語る,歴史を書く』というタイトル

四竈 「オーラルヒストリー+社会学」で行くんだ! みたいな力点が、タイトルにも込められていると思うんですね。「語る+書く」って、いっけんすごく素朴な行為を二つ並べているんですけども。「これ!」と決めたのには、どんな思いがありました?

朴沙羅 いや、それがその、私は人生で大事なことをだいたい勢いと思いつきで決めていまして、これも勢いと思いつきでした。『記憶を聞く、歴史を書く』というタイトルも考えましたが、私が興味があるのは、書き手サイドの話だけじゃないよなと思ったんです。体験したことが全部語られるわけではないし、何が語られるかは場合と話し手・聞き手の組み合わせによって違うし、それが全部ちゃんと聞き取られるわけでもないし、その中で書かれて残されるものはものすごく少なくなるし、そのいろんなステップみたいなのがこの本で書けているといいな、というふうに思いました。

四竈 特に本の前半では、今おっしゃった、個人の体験が歴史化されていくことはどう考えられてきたか、精緻化されていますよね。それは主観性という概念の処遇や負荷としても整理されています。オーラルヒストリーを理論的に整理することで、少なくとも議論を深めやすくなったと思うんです。

朴沙羅 とっくの昔から、みんながたくさん勉強したり書いたりしているはずなのに、方法論の話となると、どうしてこんなことになるのか不思議でした。たとえば「主観」あるいは「主観性」という言葉が入った瞬間に、調査しているときにやっていないであろうことが議論されはじめます。この主観って何だよ、という問題に答えたかったんです。まあ、「ネタにマジレス」っていうやつかもしれないんですけれど、別に私は構いません。

四竈 よいと思います。いっけん抽象的ですが、具体的な話でもありますよね。

朴沙羅 他人の体験談を聞く時に、「この人の言ってること、本当かな?」と思うときがありますよね。書きながら「やっぱり話していることと違う」とわかることもあります。それこそ後藤田正晴のオーラルヒストリーにも、後藤田は自分が最重要人物だ、みたいに語っているけど、実は違うと書かれています。そこも含めておもしろいわけですし、その語りを引き出すところにも政治史学者の専門性がありますよね。だから、主観、あるいは主観性というとき、その謎の単語を使わずに対応できるし、その方がわかりやすいことも多いし、実際にやっている例もある。でも、そこで「主観性」という言葉を使ってしまうところに何かの期待が、おそらく時代的な背景で生まれてきたいろんな期待や思いが、込められているはずです。それは、使いはじめたときなら、もしかしたらみんなわかっていて、あえて言ったり書いたりしなくても通じる常識だったかもしれません。でも、そんな常識って忘れられてしまうんです。

文献採集と『家(チベ)の歴史を書く』の経緯

四竈 この本の特徴の一つには、世界各国の文献が集められていて、本当に広くいろんなものにあたられていることがあります。朴沙羅さん、何カ国語できるんだろうとか、どうやって進めていったんだろう、っていうのは素朴に思っていたんですけど、いかがですか?

朴沙羅 それは卒論指導とかで言われるようなやつです。私が通っていた頃の京大では、そういう引用の仕方や調べ方の指導はなくて、全部自分で勉強しておいて、できて当たり前って感じでした。私はできていなかったので卒論のときに大変だったんですが……普通は1回生くらいのときに勉強するんじゃありませんか?

四竈 正直にいうと、あまり覚えていませんね(笑)。ゼミに出るうちに、見よう見まねで覚えていったような……。大学院に入ったときには何かあったかもしれません。私たちの頃よりも、いまの大学はその種の指導も充実していますよね。とはいえ、それをちゃんとやるかどうかは別の話だと思います。そう愚直に、ここまで読んで積み重ねられたものが、この一冊に仕上がることに、「なんかすごいなあ」って、思ってしまったんですけど。

朴沙羅 いや、でも読めるっていっても英語ばっかりです。それにほんのちょっと、本当にちょっとだけ、フランス語とドイツ語とスペイン語です。どれも英語っぽい言葉です。それから日本語と韓国語の文献を、これもほんのちょっと。日本語っぽい言葉と英語っぽい言葉のものを、ほんのちょっとずつ読んでいるだけです。たとえばアラビア語とか、ペルシャ語とか、1つも文献をレビューできていませんし。アメリカやイギリス、ドイツやポーランド、フランスやイタリア、中国や韓国、南アフリカやオーストラリアなどなど、各地の歴史学史をご存知の方からすれば、あれもない、これもない、なんでこれを引用するんだ、の嵐でしょう。私みたいなのが1人でやることではないんです。やってしまいましたが。

四竈 版元がやらせてしまった、とも言えます(笑)。ちょっと戻りますけれども、さっき卒論指導の話が出ました。この本にかぎらず朴沙羅さんの文章を読むと、いろんなところで「卒論がなかなか書けなかった」っていう話が出てきますね。

朴沙羅 どんだけ嫌だったんだよって話ですよね! ちゃんと書けなかったのは卒論だけじゃないんです。修論も博論も、合格させてもらったのが奇跡的でした。

四竈 いやいやいやいや。

朴沙羅 本当です。博論の試問は怖かったです。まず、朝鮮現代史の水野直樹先生という有名な先生が副査に入っていただいて、「じゃ3ページからいきます」みたいな感じでした。だめだこりゃ、落ちたわ、と思ってしょんぼりして廊下に出て、同期に「うちほんま研究向いてないわ〜」と愚痴っていたら、後ろから伊藤公雄先生がいらして「向いてるか向いてないかじゃないからさぁ」と言いながら通り過ぎていかれました。たしかにそのとおりです。

四竈 伊藤先生が通り過ぎる様子が目に浮かんでしまった(笑)。指導としてはある意味では正しいのかも…?

朴沙羅 そうそう。試問のときに、伊藤先生が「朴さんの博論って、インタビューがなくても成立する章の方が多いよね。」「これどう説明する?」っておっしゃったんです。「そんなきっついコメントがあるんやったら、もっと前に言うてよ!」と心の中で叫びました。あなたの博論で書いている主な発見は、文献資料だけでも言えてしまうところがかなり多い、あなたはオーラルとか何とか言ってるけど、それでこの内容とは、どういうつもりだ?ってことです。

四竈 なるほど……当たり前かもしれませんが、やっぱり研究の特色というか、領域の特徴が表れるものですね。先程の伊藤公雄先生もおっしゃったある種の宿題があって、『家(チベ)の歴史を書く』に繋がっていったんですかね?

朴沙羅 そうですね。『家(チベ)の歴史を書く』は、人生の宿題みたいな感じでした。これを書くために社会学に進んだけど、これがあるから社会学者にはなれなかった、みたいな。これを出させてくださったのは、岸政彦先生です。

四竈 あの特集ですか?

朴沙羅 そうです。『atプラス』という雑誌で、生活史特集されたことがありました。その時に『atプラス』の担当をなさっていた方が、後に筑摩書房に移られた柴山さんという方です。柴山さんは、上間陽子さんの『海をあげる』も出版された、すごい方なんですけど。

四竈 そうですね。『東京の生活史』も担当なさっていて。同業者からも注目されていると思います。

朴沙羅 その生活史特集の研究会で、執筆者がそれぞれ、特集号に出す原稿をみんなで読み合わせしました。そのとき岸先生が柴山さんに、私について、「この人は、書いてないことが一番おもしろいんですよ」っておっしゃったんです。で、それで柴山さんが「じゃあ、それを書きませんか?」と言ってくださいました。それを最初は『atプラス』で少し連載させてもらって、そのあと柴山さんが筑摩書房に移られてから、この『家(チベ)の歴史を書く』を出してもらいました。

四竈 なるほど。いろいろとつながっていくわけですね。

朴沙羅 だから、私は岸先生に、人生的に返せないレベルの恩義があるんです。

『atプラス』の「生活史」特集は、のちに修正や増補を経て、ナカニシヤ出版から『生活史論集』(岸政彦編、2022年)として刊行されている。

次回に続く


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