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第10回 『ロビイングの政治社会学』をどう読む?

————:それでは中根先生、コメントをお願いいたします。

中根多惠:よろしくお願いします。お題に沿って『ロビイングの政治社会学』についてコメントしたいと思います。

まず、今回の座談会は初学者向け、あるいは一般の方や学生の方に向けて本を紹介する趣旨だと伺っていて、原田さんの本は博論をもとにされたこともあって、『問いから』『現在』とは違った位置づけが必要かな、と思います。つまり、どうやって読んだら楽しいのか、たとえば学部の1、2年生の学生さんでも、ここのポイントならおもしろく読んでもらえるんじゃないかというところを、ピックアップしてみたいと思うんですね。

————:ありがとうございます。初学者に読んでもらえるよう魅力を伝えたい、というのが、今回のそもそもの主旨なのです。

中根:本当に初級者向けの話題からはじめると、いま若者のなかで民主主義のあり方に疑問を持っている方はたくさんいると思っています。たとえば、香港のデモについて一連の報道を見て、「あれ?おかしいな」と思っているとか。私も授業のなかで、いま世界で起こっているさまざまなデモの話をしたりするんですけど、「やっぱり、社会っておかしいよね」と思っている学生はたくさんいると思うんですね。ただ、そんなふうに思っているものの、「それなら社会運動をしましょう!」となるかというと、そんなことにはならなくて。これまでの議論のなかでもそんな話題が出てきましたけれども、それはどうしてなのかというと、学生たちのなかでは、「社会運動って、本当に社会を変えられるのか?」という、そもそもそこに疑問を持っている学生が多い印象を持っています。これは、私の授業のレスポンスカードから勝手に引用するんですけど、「結局、派手なデモとか暴動をやっても、社会が変わるとは思えない。本当に効果があるかどうか、全然さだかではないんじゃないか」という意見があったりしたんですね。

————:手厳しいですね。でも、似たような意見を耳にしたことがあります。

中根:そういう派手なデモとか、報道されているような動態的な運動というものに、やはり距離を感じている学生に対しては、まさに原田さんが取り上げている「ロビイング」という社会の変え方は、新しい提案じゃないけれども、「こういう方法もあるんだ」という新しい発見みたいなものを与えることができるんじゃないかと思っています。まさにそれは、原田さんが本の冒頭で、

近年における草の根のロビイングの活性化は、特定の団体の利益促進ではなく、潜在化している社会問題に対して、公論を形成し、法律を変え、いかに社会を変えていくのかという、民主主義の問題に直結する。政治参加の手段は、投票やデモだけにとどまらない

と書いていて。「ここいいな」と思ったら帯にも書いてあって(笑)。これやっぱり大事なところなんだと。

原田:それは四竈さんが抜き出してくれたところ(笑)

————:ありがとうございます。嬉しいですね。

中根:ここを読んで、はっとする学生はいるなと思いました。個人的な話をすると、私は中高女子校だったんですけど、高校時代に「校則を変えたい」という生徒の運動が起こっていて。それはデモをするわけじゃないんだけれども、生徒会の先輩が中心になって、先生にミニロビイングみたいなことをずっとしていたんですよね。そのエネルギーがすごいなと思っていて。それは私の通っていた女子校にかぎらず、そういうことは若者のなかでは起こりやすいんじゃないかな。「大人に抗う」のと「社会に抗う」というのは、相性がいいというか、学生運動の話もそうですけど。そのあたりでひきつけられる方がいたら、ぜひこれを読んでほしいと思います。なので、まとめると、社会運動って本当に社会を変えられるのかなと疑問に思っている人にすごく読んでほしい、読んでロビイングに注目してほしいなと思いました。

————:「社会を変える」って、想像しにくいですけど、たしかにこの本にはその過程が書かれていますよね。

中根:NPO法の制定から法改正に至るまで25年間の事例、長期の事例を扱っているところもすごく魅力的だなと思っています。しかもそのプロセスがすごくていねいに書かれていて、因果関係もかなり明白なので、多少は内容の難しさもあると思うんですけれども、この25年間の社会運動がていねいに書かれているというところは、私としては読みやすいなと思いました。

もう一つ、これはかならずしも初学者向けの話じゃないかもしれないんですけど、いわゆる社会運動論ってすごく理論がガチガチに固まっていて、歴史がある分野だし、運動を対象として研究しようと思っている学生のなかには「政治的機会構造」「動員」、それから「フレーミング」という揺るぎない3つの柱に従わなくちゃいけないというか、「どれに当てはまるのかな」というところから考えはじめて、そこに無理くり合わせてしまいがちなひともいます。そこに合わせすぎちゃうともったいない事例とか、ユニークな事例であっても、3つのどこかに自分の居場所を見つけなければ……みたいな。じつは、それは私の実体験としてあるんですね。なので、研究をはじめて「当てはまらないんだけど、どうしよう」と悩んでいる学生さんには、ぜひ原田さんの本を読んでほしいなと思っています。やっぱり政策過程論と社会運動論の接合を目指されていて、それが見事に成功されているのを見ると、社会学じゃなきゃいけないとか、社会運動論じゃなきゃ切れない、みたいなことって、もしかしたら視点を変えたらうまくいくかもしれない、とも思うんです。もちろん、学生は先生のもとで授業を受けたりゼミに参加したりするので、どうしてもその意向に従いがちですけど、もうちょっと新たな、たとえば2つの地域をまたぐとか、全然違う領域をつくりだすとか、そうした発想の転換につながっていくんじゃないかな。理論上の貢献を目指す方にとって、すごく参考になるんじゃないかと思ったのが2つ目でした。

————:対象と向き合ったら、ときには柔軟に考えるべし、ということですね。

中根:あと、中級者向けになるかもしれませんが、『問いから』はまさに研究のスタート部分、問いというところから文字どおりスタートしているので、この原田さんの本は当たり前ですけど研究のゴールですよね。まさに研究成果そのものが本になっているので、そういう意味では博論をこれから形にしていかなきゃいけないと途方に暮れている学生さんにとって、すごくヒントになる部分があるなと。挙げたらたくさんあるんですけど、私が「なるほど」と思ったところは、アペンディクスなんですね。厳密には本文じゃないんですけど、「アペンディクス1」では、本書で用いたデータの概要ということで、どんな調査によってどんなデータを得たのか、調査の全貌をたんたんと、すごくていねいに書かれています。2つの科研費のプロジェクトに参加しながら得たインタビューデータと、そしてそれだけでは足りなかった部分に関して単独の調査を実施されている。あとNPO法の制定過程の記録保存と編纂については、後で述べる帰結のところの話にも関わると思うんですけど、実はNPO法制定時の資料をシーズ事務所、つまり調査対象の事務所が保管できなくなったところから始まるきっかけになっていた、というのが「なるほど」と。対象の事情によって始まったものからデータを得たというのは、私にとってはすごく興味深かったです。あとは重要なインフォーマントの方が病気になられていて、なかなかインタビューがかなわなかったという話が書かれていたり。調査もいろいろな偶然が重なって、意図せざる結果として調査のデータが得られた、得られなかったということを読ませていただいて、そこが非常に社会調査のプロセスについて、リアリティをもって説明されていたなと思います。このあたりのことから、『問いから』の原田さんバージョンを読んでみたい、と思っていました。

————:今回の連載記事が、それに近しい内容になっていれば嬉しいですね。

中根:最後に、上級者向けの、本当に博論をいま書いている方が原田さんの本を読んだときに着目してほしいなと思うところが、社会運動の結果帰結についてですね。終章でまとめられていたところなんですけど、帰結について「イシューにとっての」と「社会運動にとっての」という2つに分けて言及されているところが、非常に興味深かったです。今回は「社会運動論を読む」という主旨の座談会ですので、後者のほうに焦点を当てたいなと思います。

青木先生の話にもありましたけど、調査をして、理論枠組みがあって……と、研究が博論として一つ完結するときには、涼しい顔できれいな結論を持ってこなくちゃいけない、という悩ましさがあるわけです。私も、そこでなかなかきれいにならなかったという経験があるんですけど、「それって、きれいじゃないといけないのか?」というと、そんなことはなくて。原田さんの本の275〜277ページのあたりですね。「意図せざる結果」として、シーズがロビイングに対して中心的な役割を担っていて、引用された関係者の方も松原さんを評して「神」と表現されていて、運動としては、ロビイングの結果として成功した一方で、運動のプロセスのなかで経路依存的に中心的な団体が強くなっていくことによってキャパオーバー……という言葉がいいのかわからないですけれども。やはり負荷が集中してかかることで、運動のあり方が今後どうなっていくかが課題になる、というふうに、解釈をして読みました。そのあたりはこの運動の帰結ってなんだったのか、引き続き考察していく必要があると締めくくられていますね。

このあたり、運動の結果をどこに置くのか、あるいは運動の被説明変数をどこに定めるのかって、『問いから』でも議論になったと思うんです。何が運動の成功で、何をしたら運動って終わるのか。あるいは運動って終わらないんじゃないかというところ。このあたりの話とすごくリンクするところが、成果物として、ゴールとしてあるわけなので、『問いから』を読んでいただいた後に『ロビイングの政治社会学』を読んでいただくと、そのあたりの話を関連づけられて読むことができるんじゃないかな、とすこし思いました。

————:ありがとうございました。青木先生、続けてお願いいたします。

青木:中根さんが完璧なコメントをしたので、私からは手短に。大学院のゼミで、ちょっと読ませていただいたんですね。コロナのせいで、いまはなかなかインタビューとか参与観察ができないわけですが、この本はインタビューをたくさんされている一方で、膨大な文書資料を使っているんですね。ということで、文書資料を使った研究がどういうアウトプットを生むことができるかを学生に学んでもらいたい意図があって、ゼミで読みました。読んでみて、学生が「けっこう難しい……うーん」となっちゃったのが、税制度の話でしたね。とくに中国からの留学生が多いので、かなり彼らには、私も含めてなんですけど、難しいなという印象があったんですが、一方でかなりていねいな説明をしてくださっていたり、随所に表も入るので、この改正ではどこが変わったのかとか、そういうポイントを随所にわかりやすくまとめていただいたので、なんとか頑張ってついていけたというところがありました。そのように、学生に向けては「こういうふうにちゃんと整理するのは大事な仕事なんだよ」ということを伝えたのが一点ですね。

それからもう一点、とくに社会運動の研究でも、これは自戒を込めてなんですけれども、ある社会運動があったからこういう制度ができましたとか、ある社会運動があったおかげでこの事業が中止になりましたとか、ある公共事業とか迷惑施設の建設計画がなくなりました、ということを簡単に言いがちなんですけど、じつはそこの因果関係を厳密にいうのは難しいことなんですね。先ほどの長谷川先生の言葉でいうと「政策的な応答」というところです。ある事業が中止になったり、ある制度ができたり、ある法律ができたりするのには、本当にいろんな要因や経済的な理由、そのほかの政治的な理由も絡んでいる。そこを社会運動の効果、成果として安易に語りがちだなと、私は反省しているんですけど、そこをちゃんとつなげることを、ここで試みて、それを緻密にやっていらっしゃるというのが、すばらしいなと思って読んでいました。

かりに私が同じ事例を見ようとすると、たとえば私の趣味からいうと、62ページの下のほうに書いてある、辻さん、林さんがいわゆる全共闘世代で、松原さんが新人類世代だと書いてある。おそらくこれは、ロビイング活動とか政府、行政と手を繋ぐような運動のかたち、近づいていくような運動が比較的やりやすかったのは、この松原さんが新人類世代だったというか、全共闘じゃなかったのが一番大きいんだろうなと思っていて。小杉さんも興味がある点かと思うんですけど、やっぱりこれは全共闘世代にはできない運動だったんじゃないかというのは、考えたところです。私がこの事例をやろうとすると、そこを広げちゃうと思うんですね。本の中でも、もちろんそこにもきちんと言及されているんですけど、そういう担い手のところの議論を広げすぎずに、先ほど言った運動と政策、運動と制度を、きちんとつなぐ議論をされているのは、すばらしいなと思いました。

————:ありがとうございました。ご自身であればどこに注目する、というのは、おもしろい話題ですね。それでは原田先生のほうからレスポンスをお願いいたします。

(以下、第11回へつづく)


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