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未知との遭遇 5 ~神の使者 7人の狼頭との出会い~

未知との遭遇4~神の使者 7人の狼頭との出会い~ を読んでからお進み頂けたら嬉しいです!「未知との遭遇シリーズは全八回」を予定しております。こちらのシリーズは、途中までは無料で読めますが、互いが【神事】として描いたところ、個人情報が大きく出るな~と感じた所は有料記事とさせて頂きます。どうぞお楽しみ頂ければ幸いです。

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私の目の前に現れた7人の狼頭は、来日してからは現れていない。それは、私が大人になってしまったからか、故郷じゃないと繋がらない精霊なのか、理由はわからない。

皆もそういう経験はないだろうか?「あれは一体なんだったのだろうか」「夢の中のことだったのか」など、それでも記憶から消えずに、かといって何か証明できるものでもないという不思議な体験である。

結局、私たちは肉体という有形資産を持っているかぎり、精神性や魂という無形資産の部分で捉えたものを証明することは不可能に近いことが多々ある。

肉体、精神(心)、魂の3つの連動は切っても切れない、ある意味でこの状態が「人として」の最初の修行だと私は思っている。魂はとても本能的なもので、そこに理性や感情といったものはなく、先祖や両親から受け継いでいるものもあれば、よくいう本人の天命や使命といったものが宿っている。つまり、魂はひとつだけではない。

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魂は無形資産であることから、色んな説き方がある。私たちアジア人にとってわかりやすいのは、これでしょうか、、、

以下 Wikipedia より ↓
中国の道教では「魂(こん、たましい)」「魄(はく)」という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)ともいう。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。
民間では、三魂七魄の数があるとされる。三魂は天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)であり、七魄は喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみ、欲望からなる。また、殭屍(キョンシー)は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる。(三魂は「胎光・爽霊・幽精」「主魂、覺魂、生魂」「元神、陽神、陰神」「天魂、識魂、人魂」、七魄は「尸狗、伏矢、雀阴(陰)、容贼(吝賊)、非毒、除秽(陰穢)、臭肺」とされることもある。)

日本の神道でも、荒御魂、和御魂という様相があるように、魂はひとつだけではない。荒ぶり禍をもたらす神もいれば、和ぎり福をもたらす神もいる。

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精神(心)=スピリットは、感情とつかさどっているが、各々の環境(育ち、対人、学んできたこと、住まいなど)でも整ったり、ブレたりもする、つまり一定ではないと私は考えている。

だからこそ人間らしいともいえるのだが、ここが病んでしまうと情緒の克服に時間がかかる場合もある。

つまり、よく言われる「御魂磨き=魂を磨く」というのは、この精神性と肉体をしっかりと人として修行を積み重ねることで=魂は磨かれる。

誰でも、だらしがない神職や、運にツキがない住職に拝まれたいと思わないもの。だから、福が集まるところに本能的に向かう。もちろん禍も集まるところに人も群がるが、自分次第である。万が一行きたくもないのに禍に巻き込まれている時は、バランスが崩れていると指針にしてみるといい。何が群れているのか、特にコロナ禍は如実にそれが見えてくるであろう。

前置きが長くなってしまったが、私はこれに気づいてからは、暦で指針を作り、環境学で人の運を拓くことをサポートし、アートで癒すことをモットーとするようになった。

今回のバナーは!拙著「運トレ」に少しだけ漫画で描いてもらった、7人の狼頭です^^いよいよ、どういうことが起きたのか、続きをどうぞ。

ここからは有料記事となります、目録は以下となります。

◆神の使い!7人の狼頭との対話
◆西洋と東洋の安息日について ~古代バビロニアとイエス~
◆7人の狼頭たちの不思議な持ち物
◆「7」という数字について

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