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遺品整理で元小学校教諭の祖母からのメッセージに出会った(2)

祖母が亡くなって2年。大分県にある父の実家は空っぽなので、年に数回両親が戻って庭の手入れや家の掃除、遺品の整理をしています。今回は引き出しの中の洋服を大量に処分。お洒落だった祖父の洋服の一部は長男に渡りました。わーい。

この記事の続きです。

さて、しばらくするとクッキー缶のようなものが出てきました。宝箱?またぎっしりボタンが詰まってたりして、、、と思ったらたくさんの紙が出てきました。よく見ると生徒の名簿だったり、孫たちからの手紙、そして新聞。本当に最後まで捨てられなかったものが一つの箱に入っていました。感動。

たった一枚の学校だより

その中に、こんな新聞が入っていました。調べてみると大分県は臼杵市の小学校。おそらく祖母が晩年勤めていたところ。

臼杵市の福良ヶ丘小学校の福良ヶ丘だより(1971年12月20日発行)

なぜこの一枚だけ残っていたかというと…裏には祖母の書いた記事がありました。その内容とは。

評価のむずかしさ

祖母の書いたお手紙なら見たことがありましたが、教師をしていた頃のものをちゃんと読むのはこれが初めてです。私自身も評価については日々頭を悩ませ、心を痛め、どうすれば「正当な評価」ができるだろうと考えてきました。ちなみに、江藤由布 評価でサーチすると色々出てきます。今までずーっと考え続けてきたテーマです。

Google検索画面

さて、祖母の記事に戻ります。書き出しだけで、もう共感しかない。そして、祖母が評価をするためにいかに多面的に生徒についてみとっていたかが伺えるような気がします。

 長い間教師をしていて一番気になるのは学期末になり、ひとりひとりの子どもの評価をすることである。
 ある人は、人間が人間を評価するほど大それたことはないという。でも私たちはどうしてもそれをしなければならないので、いろいろな資料を整理しながら、ふと心にふれたことを書いてみますと、

江藤テル子、1971年

一、二の中で「美しい子供の心に打たれました」とあります。祖母の声が頭の中に蘇る瞬間でした。三では、「かわいい願いのことばの中に、両親のことを書いている生徒は素直に育った子が多く、あれこれ買ってほしいものの多い子は、落ち着きがなく迷惑をかけている子が多いことに気が付きました。」とあります。時は1971年で高度経済成長期の終盤。もしかすると、親もモノで釣るようなことが増えていた時期なのかも知れません。教え子でも「成績が上がったらモノを買ってあげる。」と言われて育った子は目先のことに気が散りがちのような気がします。

面白いのは四の「よく発表する子の調べ」です。今で言う、LOTsよりもHOTsということにも通じます。よく発表する子は本や資料を調べた上で理解を深め、結果的にLower Order Thinking Skillsである知識も身につけているということでしょうか。LOTsとHOTsについてはこの記事の中でチラッと書いています。

何より、「思わないところで教えられたりして」という言葉。私もむしろ生徒から教わることが多いなあと日々思っているので嬉しくなります。

評価は多面的に

最後の締めくくりです。

 ひとり、ひとり、精一杯に生きている子ども、良い点をたくさん持っていて毎日を充実したものにしてくれるこの子どもたちをできるだけ伸ばすように、多面的に評価していきたいものと思っています。

江藤テル子、1971年

それこそ、マルチプルインテリジェンスの考え方がそうですが、そもそも文字ベースでの評価しかしないこと自体がおかしいのです。小学校だとまだみとりが大事にされていますが、高校では定期テストだけでほとんど評価します。「精一杯に生きている子ども」がどうすれば評価を通して成長できるか。私自身も2023年は真剣に向き合いたいと思います。

さいごに

実は他にも入っていたものがあります。それは昭和48年の生徒の文集と手書きの住所録。私が生まれた頃ですから、祖母は52歳。今の私とそう変わりません。もしかしたら最後の担任学級だったのではないでしょうか。私自身も、定年である60歳まであと10年となりました。(本校、早いのです…)どのクラスが最後の担任になるやもしれません。今年の受け持ちの子たちともっときちんと向き合い、彼らを多面的に「正当に」評価しないといけないと改めて思うのでした。


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