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介護的なことと死後の手続きで感じた地獄

寒くなってきましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
最近のわたしは、地獄のような気持ちを味わっていました。しんどい。


身内(叔父)が亡くなった

相続人は奥さんと兄弟3人の合計4人。うち2人は介護施設に入所している。

うち2人は家にいるが、話が噛み合わなかったり、忘れっぽさが目立つ。プライドの高い面もある。言い訳が多い。知ったかぶるような発言。否定的な発言。攻撃的な発言もある。主にその人物とのコミュニケーションにより地獄の気分を味わっている。

施設に入所していない2人は、手続き関連などの話のとき、的外れな話で盛り上がっていたりする。

「もうその話は終わっているよ」
「それは何度も説明したけどまた忘れたんだね」
「最初はそんな感じだったけど実は違うって職員の人が言っていたよ」
「それは来年の話だから今はまだいいんじゃない?どうせ忘れるでしょ」
「それに関してはわからないから今度聞こうね。今話しても想像の域をでないから」

なんてことを100回以上は思っている。最初のうちは、柔らかく伝えていたが、何度も忘れるし、謎の思い込みにより感情的で攻撃的になるし、それがムカつきすぎるし、教えてるのにその言動は気持ち悪いなどと感じるので、もう伝えることを辞めた。そんな感じなので、なんでもない雑談ですらまったく楽しくない。会うもの話すのも最低限にしようと思っている。できるだけ感情を殺して無でいようと心がけている。

こういう感じの人、ぱっと見とか普通に見えるんよな。1週間2週間1ヶ月とか一緒にいる時間が多くなってきて少しずつわかってくる。家事もできる。買い物もできる。お散歩もできる。ただ少し複雑な話が理解できず、忘れっぽい、話が噛み合わず、プライド高い、言い訳が多い。職員さんなどにはできる風な人間を装うので気づかれづらい場合もある、気付いたとしてもちょっと話がずれるなーくらいでそれ以上はあまりなにも思わないのではないだろうか。こう言う状態で一番苦しむのは本人より身内なんじゃないか。わたしはエグいストレスを感じる。

亡くなった叔父の奥さんが介護施設で手続きできない状態。子供はいない。なので、兄弟に手続き関連がくる。兄弟が職員さんの話などの理解が難しいので、その子供(わたし)までおりてくる。とかなかなかないやろ。確かに客観的に見て仕方がない部分もあるが、納得はできん。時間と脳が8割くらい持って行かれている。まだ手続きだけなら100歩譲っていいとしても、それに関して動いているわたしにたいして攻撃的なトゲトゲした発言が多い親戚が一番ムカつく。悪気がないのだろうが、ムカつくはムカつく。マジでエグい、しんどい。悲しい。

不愉快が多くなったのは春から

亡くなった人から見てわたしは甥となる。相続人ではない。しかし、なぜかストレスが半端でない。死後の手続き関連で一番思考し動いているのはわたしだと感じる。身内の中で全体像を把握しなんとなくの優先順位などがわかっているのはぼくくらい。共有できる人がいない。寂しい、しんどい。味方がいない感覚。

亡くなった方は春から入院していた。そのあたりから焦燥感を感じているし、攻撃的な発言の多い身内とのコミュニケーションが増えるので不愉快を感じることが多くなった。

車があるからという理由が大きいのだろうが、入院に関して足りないものの買い出しや必要書類の準備、亡くなった方の奥さんのケアマネージャーさんとのやりとりもあった(亡くなった方の奥さんは今は施設にいるが、春までは家にいた)病院とのやりとりや、入院している本人の介護申請の手続きなどもあった。それだけならまだイケた。

が、それらをすべて攻撃的な発言の多い身内に話す必要があった。それが一番の苦痛。私は甥なのでなんの決定権もない。決定するのは、奥さんや兄弟などになる。なのでわたしは、身内に現状をわかりやすく説明し、よさげな提案などをするなどにとどめる。

現状を伝えているだけなのだが、毎回感情的になられる身内をどうにかかわしながら。今は関係ない話を始める流れを毎回のように引き戻しながら。前言ったことを綺麗に忘れていたり、謎の思い込みによって、頑固になっている会話にエグいストレスを感じながら。攻撃的な身内と一緒に行動することもあったが、毎回毎回イラついた。恩を仇で返していただくような感じ。何度も「ぶん殴りたい」と思った。

色々あって怒鳴るなどした

色々あって怒鳴るなどした。夏に1回、秋に1回。わたしの人生史上トップレベルで怒鳴ったが、言い訳ばかりで特に意味はなかったように思う。特に謝罪もない。遠くにいるその人のお子さんに「よろしく」とは言われているから頑張っている節があるが、マジでしんどい。

最高の怒り、最高の悲しさ、最高の悔しさ、こんなに綺麗に経験する時期はそこまで多くないと感じる。こういうとき味方になってくれるような人に寄り添ってくれるような人がいない。寂しい。しんどい。褒められたい。認められたい。愛されたい。「すべてが壊れて欲しい」と思った。

死後の手続きはわりと多い

お通夜、火葬、お葬式、市役所、年金事務所、法律相談所、銀行複数、郵便局、介護施設、家庭裁判所、税務署。退去予定の部屋の片付け・・・

FPの資格勉強で相続についてもサラッと勉強をしていたからか一つ一つはそこまで難しくないと感じる。ただ非常にめんどくさい。しかし、簡単とも言い切れない内容もあるので、それらが一気に来ると混乱しがちになる。

お通夜やお葬式の疲れも残り、脳が疲労している状態というものあるのだと思う。動作スピードが三分の一くらいになったり、明らかにぼーっとしたり、注意力散漫になったりした。一番のダメージは攻撃的な発言などから受ける気持ち悪いほどの負の感情なのだが。

それら影響もあり5年ぶりくらい車を軽く擦った。

一番大変なのは生きている人間とのコミュニケーション。地元にいて車がありわりとフリーに動けて小難しい話をある程度理解する便利な道具。というような立ち位置である。さぞ便利なことでしょう。

全体像をなんとなく把握し、小難しい説明をわかりやすく通訳し、優先順位を決めながら、最終決定権は相続人に任せる。縁の下で活躍している。昔からこういう立ち回りが多かった。一番気を配って動いているが誰にも評価されない。先回りしすぎて理解されない。結局先回りの思考は当たっていて「だから最初に言っただろ」ってよく思っていたし、今でも思うことが多い。

わたしが説明していてもよく話を遮られる。話を遮られた上で的外れな会話が繰り広げられたりする。「ぶん殴ってやろうか」「話を聞け」「お前らがお願いしてるからやってるんだが、どういう態度だよ舐め腐りやがって」100回以上は思った。

相続人たちは「死後の手続きって大変」とか思っているのだろうが、わたしはそれ以上に「介護的な動きエグい」と思っている。いや、死後の手続きって大変なんよ。大変なんだけどそれが気にならないくらいに、味方であるはずの身内からの悪気のない「トゲのある言葉での不愉快」がエグい。悲しい。

圧倒的に距離をとることはできる

自分がコントロールできないことはストレス値を跳ね上げるらしいが、本当にその通りだと思う。「会わなければならないような状態」「やらなければならないような状態」いつの間にかそこにいた。

そんな中でも、距離をとることができないわけではない。70代で膝と股関節と腰の調子が微妙で杖をつきながらゆっくり歩く人と、80代で忘れっぽく話が噛み合わないことも多い90近い旦那さんと二人で暮らしている人。どちらも30年くらいの付き合いがある。を見捨てるような形になってもいいのなら距離を置いて身をひそめることはできるだろう。

現実的にそれができる人はかなり少数派だと思う。「仕事を辞めたくても辞められない」に少し近い気もする。親戚付き合い、それはそれでむずいなと感じる。そいつらに会うたびに毎回ムカつく。介護している人、尊敬します。

トゲのある発言が気になる身内の方のお子さん(従兄弟)は優しかった

攻撃的な発言の多い身内のお子さんは、お葬式に来て2泊とかしていき、わたしの大変さをいくらかわかってくれたようだった。だけど、2泊だけではわからないことの方が多いと感じる。ちなみに大人になってから会ったのは2回目くらいだった。

しんどすぎたので、その身内のお子さん(従兄弟)に相談しようと文章を創作した。そして送ろうと何十回も思った。しかし、地元にいてFPも学んだことあって仕事していないような状態のやつから自分の親について相談がきても・・・なんて考えたりしながら送れていない。

まとめなど

最初の10日くらいは食欲がなくて3kgくらい痩せた。次の10日くらいは酒の量が増えて5kgくらい太った。プラス2kg。心身ともにあまりよろしくない状態である。

春からの積み重ねもあるんだろうけれど、2週間もあれば人って壊れるんだなと思った。数年ぶりに一人で泣く孤独を過ごした。良くも悪くも環境の力は偉大だなと思った。

舐められやすいことが問題なのだろうか。自己主張が控えめで声が小さく身体も小さい。まあ、舐められやすいんだろうな。自責思考が強めなので、舐められる方が悪いという思想に毎回行き着くが、それだけではメンタルがやられるので、舐めてくるようなやつはしっかりと軽蔑している。相手を尊重しないような言動は最高に嫌いなことのひとつである。それでもしんどいことに変わりはないが。

精神科や心療内科なども考えたが、マジで余裕がないときに電話予約からの待ちの期間ありとかやはり厳しいものだなと感じた。一般的には数回行って回復するようなものでもないだろうし。

死後の手続き関連で一番忙しい時期は過ぎたと思うんだけど、完全にひと段落するのは来年になりそうである。

今年は春からイラつきや悲しさや悔しさを多く感じた。今も毎日のように感じる。内面の膿をうまく吐き出せず、酒の量も増えてしまいがちで負のループがすごい。こういうときこそ、学ぶこと、行動していくこと、継続していくことが大事だと思うのだが、こういう低エネルギーな状態で頑張ろうとして痛い目を見てきた経験が多く、今はできるだけ休息をしようと心がけている。

まずは、休息。元気になってきたら、断酒・筋トレ・発声・文章・お金を稼ぐことなどに力を入れていきたいなと思う。

介護は仕事にしないと誓った。介護している人尊敬します。

頑張りました。頑張っています。スキが欲しいです。

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