「国語」-発端
この記事を書く前に、皆さんに一つ感謝の言葉を…。
最初の自己紹介の投稿にスキを押してくださった方々、ありがとうございました。
現時点で8人の方のスキを頂いていて、使用人口が他のSNS媒体よりも圧倒的に少ないnoteで、どこの馬の骨とも知らない一大学生の投稿に1ミリの興味を持ってくれた事に、本当に感謝しています。個人アカウントを作ってよかったなと少しでも思えました。ありがとうございました。😊それでは、今回の話に移りますね。
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「国語」-その国家を代表する言語で、公の性格をになう言語のことを指す-。
最近、2年生最後のゼミ課題として「国語」に関するレポートを書いたんです。
内容は、
「国語」という言語イデオロギーが近代日本から戦時中、どういう経緯を辿り、何を動かしてきたか。
なんか面白そうでしょう?
え、そんなことない?国語なんてそんなん考えたことないし、小中高って学んだだけでしょ?…って感じ?
私はその反応、正しいと思います。
自分たちにとっての国語が日本語なのは当たり前だし、普段生活する上で、特に困ったことなんて起こり得ないですもの。
なのにどうして私がこのトピックに興味を持ったのか。
これから「国語」に関する投稿を幾つかしていきます。今回の「発端」編から3つくらいですかね?
なにせ文章量が多いので、分けさせて下さい。数少ない読者の方を考慮して…。(笑)では。
事の発端は、浪人してた私が河合塾で国語の問題を解いていた時。
その時解いていた国語が、2012年度の早稲田大学 法学部の問題でした。(因みに法学部に行こうなんぞさらさら思っていなくて、たまたま解いてたやつ)
現役中は史学か言語学を大学でやろうと思ってた私は、浪人生活中に志望を言語学に決めていた為、「言語」というキーワードに凄く反応していました。
なんか見るだけでワクワクするし、ちょっと嬉しくなったり、"Language" が英語の問題で出てきたら、解くのが楽しくなったり。
そしてその2012年度 早稲法 国語の大問二。問題を見た私は…
柳田國男は『国語の将来』のなかで、「国語という言葉は、それ自身新しい漢語である。これにあたる語は、古い日本語の中にはないように思う」と述べている。
「語」が、1,2,3…5回も出てる!…嬉しかった。(柳田國男って聞いたことありますか?日本民俗学の大^100くらいの大ボスなんですが、実は国語に関しても書いてるんです。彼についてはいずれ話します。多分。)
この文章は、一橋大学のイ・ヨンスク先生が2009年に出版された『「ことば」という幻影』からの出典でした。
解くこと忘れて、この文章が大好きになった私は、イ先生をネットで調べ、こんなことを大学で勉強したいなぁ。って物思いに耽ってました。
そして大学に合格し、入った学部は英米文化学科。あれ?日本系じゃないの?って思った方いるかな。(笑)
言語学が学べる大学、特に統語論と呼ばれる領域を勉強したかった。加えて「英語で」授業が受けられる学科に行きたかった。気づいたらそこにいたんです。英語で言語学学んでました。
でもうちの大学には、統語論とかを含む理論言語学の先生はいなくて、応用言語学の先生しかいなかった。でもそれをやりにきたし、実際応用言語学でも統語論はやるから、応用言語学ゼミに入ったんです。
私はメジャーの専攻が国際日本学、マイナー専攻が応用言語学。どっちも研究できる今の立ち位置が凄く好きです。
ある日、応用言語学の授業で「言語政策」に触れたんです。メジャー言語が、マイナー言語を喰っちゃう政治的?恣意的?政策のことです。
今現在、英語が世界のメジャー言語ですよね?その昔、アメリカには先住民が多く住んでいて、彼らの話す言語も、英語に飲まれてしまいました。ナバホ語や、チェロキー語。大陸ではないですが、併合されたハワイのハワイ語。
そんな時、たまたま再度イ先生の文章に触れる機会があって、あれ、日本って前どっかで言語政策やらなかったっけ。なんか気になるな…
ってなった所で、今回はお終い。ちょっと専門的過ぎましたか?? 固有名詞も沢山出ましたよね。でも、この専門的なことばの羅列が私は好きなんです。ご了承ください。(笑)
それでは、また次の投稿で。😶
今日も良い一日をお過ごしください。
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