家族について考えた年末年始
既に1月も終わりかけてますが、年末年始について書いていきます。僕はここ何年かの年末年始は受験やコロナ、バイトに沢山入っていたりして、親戚なども含めた家族と過ごす時間はほとんどありませんでした。
そこで社会人になる前の最後の年末年始くらいは家族でちゃんと過ごそうと考えました。そういった過ごし方を経て感じたことがいくつかあったので書いていきたいと思います。
おばあちゃんの涙
まずは父方の親戚とご飯に行った時のことです。僕の父方のおじいちゃんは11年前に50代という若さで亡くなっているので、おばあちゃんと父と母、そして僕の4人でご飯に行きました。
僕が社会人になるということで、家にあった僕が小さい頃の写真を持って来てくれました。そこにはまだ元気なおじいちゃんや他の親戚の人も沢山写っていて、凄く素敵な写真が沢山ありました。
その写真を見ながら「この頃おじいちゃん元気やったな」「~に行った時楽しかったね」といった思い出話を話していると、おばあちゃんは泣きそうになっていました。やはり記憶に刻まれてるんだと思います。
広い家に1人で住んでいる
母方の親戚の家にも行きました。僕の母方のおばあちゃんは5年前に亡くなっていて、今はおじいちゃんだけが家族で過ごしていた家に1人で過ごしています。
その家はかなり田舎にあるので結構広いです。かつては家族で住んでいた広い家におじいちゃんが1人で住んでいるのを見ると何となく切なくなります。正直2階とか結構掃除が行き届いていない部分もありました。
ただおじいちゃんは80代なのに野菜を育てていたり、株をやっていたりしてめっちゃ元気でした。少し足腰が弱くなっている所もありましたが、元気そうな様子を見れて良かったです。
あと僕のいとこが結婚することをおじいちゃんを通して知りました。いとこは「おじいちゃんに今度会わせるよ!」って言ってたそうで、凄く嬉しそうにしていました。
写真立てが増えた家
父方のおばあちゃんが写真を見せてくれた時に「そういえば僕らの家にも沢山写真飾ってるよな」ということに気づきました。母親に聞くと、昔の写真を飾っていて定期的に入れ替えてるみたいです。
また母親の思い出話が多すぎることにも気づきました。僕は思い出話を沢山するのって過去にすがって生きているみたいに感じてしまいます。僕的には母がその生き方をするのはまだ早いです。
あと僕の母がおばあちゃんに対して「どんな毎日を過ごしてるん?」「今楽しい?」とか色々老後について聞いていました。老後の過ごし方が不安なのかも知れません。
ただ僕が大学の文化祭に母を呼んだり、イギリス留学に行って、その話を聞いたりすることで、新たな経験も少しだけ出来てるみたいです。特に意識してなかったですが、それは良かったなと思います。
家族を作りたいと思った
こういった年末年始を過ごして、漠然と「家族を作りたい」と思いました。なんか「結婚したくない」と言う人とも結構話して、僕の中の結婚願望は無くなっていましたが、また芽生えてきました。
確かに今家族を養えるだけのお金があるわけでもないので、無責任な考えかも知れないし、彼女さえいないのに結婚したいと思うのは順番が逆だろって話かも知れません。
でも「結婚したい」という願望を持つのって、幸せな家庭で育てられてきて「自分もそんな家族を作りたい」と願ったからなんだと思います。そう考えると結婚願望は悪いことではない気もします。
それに付随して「幸せな家族を作って、おじいちゃんやおばあちゃんに見せてあげたい」とも思えてきました。どうせ結婚するなら出来るだけ早くしたいですね。それでスピード離婚に繋がらないようにします。
おわりに
中居正広さんが「この人と一緒なら不幸でも構わない」と思える人と結婚するべきと仰っていたのですが、僕もこの考え方は大事にしていたいです。
本日も読んでくださりありがとうございました!
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