生きること、死ぬこと

死ぬことについてはあまり考えたことがなかった。
だけど、生きることや死ぬことについて考えるタイミングがあったから、自分の経験や考えを文字にしてみる。

死を感じた体験・経験

①3歳、「てんかん」という病気にかかる

3歳の時に「てんかん」という病気になった。
「てんかん」とは、簡単に言うと繰り返し発作が起こる病気のこと。

昔、親に聞いた話だと、
夜寝ている時に急に発作が起きた。
あと数分病院に行くのが遅れていたら、一生後遺症が残っていたかもしれなかったらしい。

治るまでの間、毎日朝昼晩欠かさずに発作を抑える薬を飲んでいた。

これは、中学生になる前に完治したから、今はなんともない。
普通に生活している。

最悪の場合、もしかしたら、今でもいつ発作が起きるか分からない不安と恐怖に怯えていたかもしれない。
車やバイクも乗れていないかもしれない。
普通の生活が出来ていないかもしれない。

そう考えると、今は普通に生活できているだけで幸せなことだと思う。

②19歳、バイク事故

友達と箱根にツーリングしに行った時のこと。
峠道を走っていて、結構スピードを出していた。
カーブを曲がろうとしたときに、バイクが滑って転倒。
山頂側(土や木がある方)に激突した。
土や木がある斜面とバイクに挟まれて身動きが取れなかった。
動くと痛くてどうしようもできない状況。
そこに友達が助けに来てくれて、バイクをおこしてくれて助かった。

もし反対側(ガードレール越しの崖)に転倒していたら、ガードレールとバイクに挟まれていたかもしれない。
もしかしたら、ガードレールを飛び越して崖から落ちていたかもしれない。
そうなっていたら、生きていなかっただろう。

バイクが転倒したとき、本気で死ぬと思って、見ているものがスローモーションになった。
気持ちはいたって冷静。
「あっ、死ぬ」っていう他人事な感じ。

そんなことがあって、バイクのハンドルが曲がった状態(フロントフォークが曲がった状態)でも家まで自力で帰った(笑)
肘や脚を擦って、6年以上経った今でも傷跡は残っている。
だけど擦り傷程度で済んだ。

③21歳、車全損事故

車で峠道を全力で走っていた。
通称走り屋みたいなことをしていた。
そんなことをしていたから、タイヤが滑ってガードレールに激突。
車はフロントがグシャリ、全損だった。
でも、自分は無傷。
むち打ちすらなかった。
車に守られた感じだ。

あの時は恐怖感が全くなくて、体全身が痺れるようなアドレナリンが出ている感覚がたまらなくて、生きている実感があった。
今は怖くて、当時と同じことはできない。

④24歳、会社の同僚が亡くなる

入社当時から一緒に研修したり、たまに飲みに行ったりする同僚だった。
その子が突然亡くなった。
夏、BBQして遊んだ帰り、海で見つかったらしい。
原因は不明。
自殺なのか事故なのかも分からない。

その子のお葬式に行ったとき、声に出して泣いた。
まだやりたいことがたくさんあっただろう。
人生まだこれからなのに、と。
やりたいこと、まだ何も出来ていないよ!
そう思うと、悔しくて悔しくてたまらない。

明日死ぬかもしれない。
明日も生きていられる確証はない。
時間も有限。
だから、毎日悔いがないように生きようと決心した。

でも実際は妥協してしまう意志の弱い人間なんだけどね。

考え、感じていること

上記のことがあっても、今も生きている。
しかも不幸中の幸いが続いている。
だから、なんか自分が生かされている感じがする。
「まだ死なせないよ」と言われているかのよう。
今までは無茶ばかりしてきたけど、今はもう自分の命を大切にしようと思う。
昔みたいなバカなことをやっていたら、そのうち本当に死にそうだから。

人は生きていることに価値がある。
人という存在自体に価値がある。
何が出来て何ができないということは関係ない。
センスやスキルの有無も関係ない。
生きている限り価値はあり続ける。
死んだら価値はなくなる。

追伸

生きることや死ぬことについて文字にしてみたけど、ただの体験談になってしまった(笑)
自分にとっては大きなテーマすぎてあまり書けなかったな。
まだ自分の考えが思いつかない感じ。
これからもっと向き合っていくべきテーマだろう。

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