爪痕
ふー
ふー
吉田は爪に塗ったマニキュアを、得意のアヒル口を尖らせながら乾かしていた。
今日は彼氏との待ちに待った初デートの日。
最近連絡をしても返事が返って来るのが遅く、今日は何としても爪痕を残しておきたかった。
彼氏が初デートに選んだのは東武動物公園。
自宅のある船橋からはどう考えても遠すぎるし、あまり乗り気ではないが、彼氏がライオンを見たがっていた。
初デートなので彼氏の要望をすんなりと受け入れた。
春日部に住んでいる彼氏とは東武動物公園の駅前で合流する。
東武動物公園は小さい頃、親戚と名乗る、佐々木のおじさんに一度だけ連れて行って貰った事があるので覚えている。うさぎのエサをあげた思い出が印象に残っていた。膝の上で震えていた記憶しかない。
背筋がゾッとした。
入口にはリアルなライオンの爪痕が施されていて、
生々しい爪痕は、技術の進化を感じた。
券売機でチケットを2枚購入し、お釣りをそのまま無造作にカバンにしまう。
今日は何も気にせず、彼氏とのデートをひたすら楽しむ事だけを考えた。
ホワイトタイガーや、ゴリラに興奮し、ナマケマノを見て彼氏そっくりだなと笑った。残念ながらライオンは居なかったが、14時からうさぎのエサやり体験が出来る。
係員の市川という、ほっぺたに米粒をつけた、ポケットがパンパンの情報量の多い男性に、うさぎのエサの野菜セットを手渡された。
係員さんに、ほっぺたに茶色いお米がついてますよ、というとハニカミながら米粒を取り、何故かポケットにしまった。気さくな係員だ。
うさぎを膝の上に乗せられると、どっしり座りエサを食べ始めた。
〇
おじさんとはあの日以来、1度も会っていない。
親戚と名乗っていたが、両親には兄弟がいなかった。
おそらく誘拐犯だった佐々木のおじさんの膝の上で震えながらうさぎのエサをあげていた当時を思い出すと、また背筋がゾッとした。
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