聖女ミェゼの章(4)【掌編小説】
目を覚ますと、そこには僕の顔を覗き込むミェゼの姿があった。身体中がやけるように熱く、指一本満足に動かすことができない。
「私ね、お父様からこの命をもらったの。これはその印……」
小さな手に包まれた僕の指が彼女の胸の刻印をなぞる。それは翼を広げた鳥の形をしていた。
「私たちが最も愛した者に贈る印よ。今はあなたの胸にもある……」
何か喋ろうにも意識が朦朧として、喉笛がひゅうひゅうと音を立てるだけだった。
「――お父様はずっと、聖騎士として人々のために生きてきた。そして私にこの力を授け、この世を去ったわ。あなたたちが《英雄の力》と呼んでいるものよ……」
ミェゼがこんなにも近くで話をしてくれているのに、僕の頭はそれを受け取ろうとしない。そのことが悔しくて涙がこぼれてきた。
「魔女と呼ばれていたのは、私がこの姿のまま歳をとらなかったせい。だから魔導教会はある時から、私の姿が人目につかぬよう……この城に閉じ込めた」
私に脚がないのはその頃からよ――。ミェゼは微笑んだ。
僕はまだ夢を見ているのかと思った。しかし彼女の翡翠(ひすい)の瞳には、わけもわからず微笑み返す血まみれの男の姿がくっきりと映り込んでいる。
「そして、あの聖剣は……」
ミェゼは穏やかに笑っている。
「私から《英雄の力》を奪うために作られたの」
――雨が降り始める。
先程まで燃えるように熱かった身体の表面を、ぼたりぼたりと落ちる雫が覆っていく。
「……なんてね。この話も嘘。だから今度こそ、今までのことは全部忘れて」
僕は首を横に振ろうとした。なぜだかそうしなければいけない気がした。
ミェゼの指先が額に触れる。
鳥が羽ばたく音がした。
――さようなら、ナスカ。私の愛しい人。
✳︎ ✳︎ ✳︎
- epilogue -
深い霧の中を、ローブに身を包んだ初老の男が歩いている。手にはパンと、数日分の食糧を抱えていた。
魔王の出現により聖女ミェゼの加護が失われた今、身寄りのない魔障の子どもたちのより所となれる場所は少ない。
教会で彼の帰りを待つ子どもたちのために道を急いでいた時――ふと、泥の中に横たわる人影に気付いたのだった。
腕と脚に申し訳程度の武装。背中の大きく破れた服は黒く汚れていて、そこから見える肌の白さが痛々しいほどであった。もとは美しく輝いていたであろう白い髪も、地べたの泥と一緒になって固まってしまっている。
しかし幸いなことに――息はあった。
「しっかりなさい。王国兵の生き残りの方ですか」
神父の懸命な声かけによりその男は意識を取り戻した。しかし――。
男は自らの名を知らず、それどころか今までどこで何をして生きてきたのかもわからない様子だった。
そんな彼を神父は自らの教会で引き取ることにした。その理由はひとえに――。
彼の胸に浮かぶ白い鳥が、若き日に見た聖女のそれによく似ていたからであった。
(了)
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