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枇杷の葉で布を染める ある染織家のこと(子育てのことも少し)

枇杷の葉で絹布を染めたことがある。

先日ふと思い立ってその布を見たくなり、よそいきの服をしまったチェストの最上段の抽斗(ひきだし)を開けてみた。
色をなんと表現すればいいのだろう。ピンクを数滴落とした輝くベージュ。ごく淡い朱色と金色を抱えた肌色。しっくりくる言葉がなかなか見あたらない。温かくて、深みがあって、けれど初夏の果実のみずみずしさ、みたいなものもあって。

ずいぶん前から草木染めの色に惹かれていて、いつか染めを体験したいと思っていた。それでも、近くによい教室が見つからないとか、わざわざ遠くに習いにいく余裕がないとか、あれこれ理由をつけては行動を起こさずにいた。
それがあるとき、願ってもない人が草木染めの体験教室を開くと知り、迷わず申し込んだのだった。

その日、白いテントの下にガスバーナーと大鍋をしつらえた体験教室に私はいた。集まった生徒は私のほかに3、4人。東京の屋外イベントの一角で開かれたその教室で「○○県から来ました」と自己紹介したら、居合わせた人たちの口から、へえ、と小さな驚きの声がもれた。
もうひとり、私の住む県の隣県からやって来た若いひとがいて、ああ、たぶん彼女も私と同じ、この体験教室を開いた染織学校に、いや、その学校を京都につくったあの染織家に引き寄せられて電車に乗ったのだろうかと心はずむ想像をめぐらせた。

先生はまず、バケツに盛られた枇杷の葉を私たちの目の前に差し出した。長くて、思ったよりも大ぶりな葉だ。実がなる前にちぎったものだという。取ってからしばらく経っているのですっかり乾燥して、葉の緑色もくすみ、茶色がかっている。中国の漢方薬局の抽斗から出てきそうな葉だ。
じっさい枇杷の葉には薬効があり漢方薬に用いられる。痰を取り除いたり鼻づまりを和らげたりするのだと漢方医に言われたことがある。
「枇杷茶には美肌効果もありますよ」とその医師に言われ、漢方薬局で取り寄せて煎じてみたことがあったけれど、結局長続きしなかった。

鍋に湯を沸かし、そこに大量の枇杷の葉を入れる。出てきた色は茶色でいかにも漢方薬といった感じ。淡い桃色や萌黄色、山吹色など、やかましくない華やかさとでもいえそうな草木染めの色が好きな私は、これっていったい何色に染まるんだろう、やっぱり地味な茶系かなと思いながら鍋に見入っていた。

細かいことは省いておおまかな手順をいえば、大量の煮出し液の中にしばらく布を浸したあと媒染をほどこし、水洗いして空気にさらすのである。
水気を絞ったあと布のしわをぴんと伸ばし、両端をつまんで風に当てる。布は空気に触れると染めが進むらしい。
「布を両手でかざしているときのようすを見ると、その人がどういうひとなのか、なんとなくわかります。目の輝きとか、こうやって持ってるときの持ちかたとかでね」
そばに立っている先生がそう言った。
私はいったいどんな表情をしていただろう。

取ってから日の経った枇杷の葉なので、うす茶色とか、少なくとも葉の緑色が出るだろうと予想していた。
が、布は枇杷の実の色に染まった。
薄い茶渋色に染まったかに見えた布に少しずつ桃色が差してゆくようすは、冷えてくすんでいた肌に血がめぐり、ほんのり紅潮して透明感が出てきたときのようでもあった。

実がなる前の葉には実の色が内包されている。
枝にも葉にも花や実の色が存在するんです、と先生は言った。
すでにそこにある色なんです。
草木染めは「そこにある色」をいただく手仕事なんですよ。

先生のこの言葉を思い返すたび、私は能動と受動について考える。
あるいは能動と受容。実践と受動について。

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志村ふくみという染織家がいる。体験教室の先生はそのひとのお孫さんである。
志村ふくみは京都の嵯峨野に暮らし、山野に出て植物を採っては、その煮出し液で糸を染め、機を織っている。染織家であると同時にすぐれた随筆家でもある。彼女の文章に触れるたび、こちらの日々の考えがいかに浅く、薄く、小手先のものにすぎないかを実感して、もっと寛く、深く、たしかなものを自分のなかに抱えておきたいという思いが強くなる。

この世にあふれた、我の強い、表層的な思考と言葉にさらされすぎて、なんとなく疲れた、と思うときがある。世界に言葉が多すぎる。
じゃあ、そういうあなたはどうなのよ。と自分の発する言葉の深度と密度をはかりたくなる。
そんなとき手が伸びる本の著者はだいたい決まっていて、そのなかのひとりが志村ふくみだ。色彩について語った彼女の随筆がとても好きなのだ。

染色とは、目指す色を求めて人間が知識を習得し、試行錯誤し、判断し、染め上げる行為のように思うのだが、彼女の文章を読むとこちらが思い違いをしていることに気づく。

色彩はすでに自然のなかに存在する。が、それでも世界には私たちの目に見えていない色があり、それを自然から受け取ることが染めという手仕事の本質だ。

色を再現するのではなく、存在する色を目に見えるようにすること。

「色は光の行為であり、受苦である」
これは志村ふくみが影響を受けたゲーテの言葉。
色彩について考えていた彼女は、あるとき、この言葉についてたしかめたくなり、訳者に問い合わせた。そして、「行為」と「受苦」がそれぞれ「能動」「受動」と訳されることもあると知り、難解な数学の問題がとたんに解けたような明瞭な感覚を得たという。

私はゲーテなどという偉人の著作とはおよそ無縁に生きてきたのだけれど、最近あるきっかけから、上の言葉が出てくるゲーテの『自然と象徴』をおそるおそる読むことになった。

ゲーテ氏の言わんとすることはまだ理解できていない。
色が光の行為だとか受苦だとか——そもそも受苦ってどういうこと?——観念で遊んでいる表現みたいでなんだかよくわからない。
それが能動、受動という言葉に変換されると、ああ、そういう感じ·······と霧がいくぶん晴れたような気分になるではないですか。
もしかして私は理解と無理解のボーダーライン上にいるとか?
頭では理解できていない。しかし、能動と受動の実感が体のどこかにある。

「色」を子どもに、「光」を親とか教育とか養育とかに置き替えると、もしかしてイメージしやすいかも。

子どもが誕生した直後の親は、ああよくぞ無事に生まれてくれた、あとはとにかく健康に育ってくれさえすればと思うけれど、そんな謙虚な願いは、子が成長するにつれ、根拠のあやふやな期待に取って代わられるようになるものだ。
「この子は○○が上手だから、その才能があるかも」とか、「この子はこういう性格なので△△に向いている」等々、親の期待と夢想は拡がるばかり。その見きわめが正しい確率は、私の経験からすると、そんなに高くはない。まわりを見ても自身の経験を振り返っても、勘違いが多かった。なぜなら、「この子は△△に向いている」の△△の部分が、往々にして子ども本人というよりは親自身の願望と強くリンクしているからだった。

たぶん親のほうは、自分が好む(あるいは憧れる)ある種の色を、子どもの中から引き出したいのだ。

私の知り合いに娘さんがりっぱな器楽奏者になった人がいて、おたがい子育ての渦中のときには、よくぞそこまで子どもの才能を伸ばすことに注力できるものだなあと私は感嘆していたものだった。私のように生半可な親にはとてもできるような努力ではなかった。しかし、いまだから思うのだが、彼女は娘の中にすでにある、ほんとうの「色」に気づいていたのではなかったか。たまにいるのだ、そういう慧眼の親が。

その人は、レッスンの送り迎えやら、度重なるコンクールの付き添いやら、自宅に防音室を作るやら、娘の進路のためにできることは何でもやり、自分のことはすべて後回しにしていた(ように見えた)。費やせる限りの時間と労力を(そしてもちろんお金も)かけていた。何もそこまでしなくても、とアウトサイダーの私は黙って見ていたけれど、いま思えば彼女はただ、娘の中からみるみる溢れ出てくる「色」を——そう、その子の場合、自然に色が出よう出ようとしている感じだった——しっかりその手に引き受けていた気がする。

高校進学を控えた頃だったか、その人は、このままわが子を音楽の道に進ませていいものか·······と悩みとも不安ともつかない言葉を私に漏らしたことがあった。高校と、さらにその先にある芸術系の大学に進むことを考えたとき、ごく普通の大学を出て平凡な人生を送るほうが幸せなんじゃないか、この子は本当にこの道でやっていけるのか、とためらっているようだった。うちと同じ、ごく普通の会社員の家庭だったから、音楽家として独り立ちさせるまでにかかる費用のこともあれこれ心配だったのだろう。
それでも娘さん自身は何の迷いもなく音楽の道をまっすぐ歩むつもりでいて、たしかに能力も秀でていたから、ご両親はどちらかといえばその勢いをそのまま受け止めて伴走するしかない、というような印象だった(結局その子は公立高校から芸大に進み、奨学金を得て英国に留学したから学費はどうにかなる範囲内に収まったようだ。めでたい)。

あの人は、子どもから意図的に特定の色を出そうとはしていなかった。
そこには親の自我など存在していなかった。

志村ふくみは、色を染めるとは言わず、色をいただく、と言う。

望む色を、人間の頭脳で、つまりは数字や化学の力で(要するに人間の意図のもとに)引き出そうとするのではなく、自然がおのずと色を顕すときまで待つということだろうか。
それが「受動」であり「受苦」なのだろうか。

しかし、ここでいう「待つ」とは何もしないことではない。
染織家は山野を歩き、葉や樹皮を集め、鍋に湯を沸かし、色が出るのを待ち、糸を入れ、また数十分待つ。実践の一部としての「待つ」。積極的な受容だ。
このときの「待つ」のなんと能動的なことだろう。

じっさいこの私も、絹布を染めているときに能動的な「待つ」をほんの少し体験したように思う。一連の手仕事を終えたら、あとは自然にゆだねて、自然の行いをじっと見守る。そのときには判断を手放して、目の前で起きていることをただ受け止めるだけだ。

待つ時間は少しも手持ちぶさたではなかった。色の変容を見つめていられたのだから。
使命感に急き立てられていない時間でもあった。
あのひとときこそが、志村ふくみの言う「作意も無作意もない。ものが生れてくる」時間だったのだろう。あのときおぼえた感覚はいまも体に残っている。

はたしてこれがゲーテのいう、そして志村ふくみが芸術家の目と手の感覚で理解したという、行為と受苦であるのかどうか私にはわからない。
『自然と象徴』を読み進めても、志村ふくみの随筆を読んでも、いまだ私の理解のおよばない深くて濃密なことがたくさん書かれてある。
いまの私にはこれが精一杯、もしもずれたことを言っていたらごめんなさい。

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いや、それよりも。
なんで私は、ここでこんなことを書いているのだろう。
それよりもずっと理解に近づける手立てがあるでしょう、と内なる声が聞こえているような。

液晶画面の前で小賢しい言葉を並べるより、手や体を動かすほうが何倍もいいはずだ。
両手で布を風にさらすことのほうが、きっと何倍も色を理解できるにちがいないのに。

ノートにメモするのではなく、心にメモを、と志村ふくみは弟子たちに言うそうだ。
書くだけでは大事なことを感受し損ねる。

私たちはつるつると滑りのよい言葉にさらされすぎて、省略と機能と合理で何でも理解した気になっている。
伝えるために言葉がどれほど大切かはわかっているけれど、つるつるさらさらと使っていては大事な何かが抜け落ちる。
私が手仕事を求めるのは、ひとつにはたぶん、その欠落を埋めたいと思っているからなのだ。

手仕事をしているとき、私は目の前のものだけを見つめている。そのとき頭の中はがらんとしている。が、手だけはちゃんと動いている。そのほかに何かがあるとすれば静寂だ。
そのほかに何が要るというのだろう。
静けさの中に下りてゆく時間が貴い。

思考の手のとどかぬところにあるもの。
自己表現とは別の次元のもの。
五感やからだで受け止めた、名づけようのない何かに身をゆだねること。
そういうものの力を、信頼に足る実感というものを、見くびってはいけない。

「同じ鍋で染めてもね、ひとによって出てくる色が微妙に違うんですよ、不思議と」
体験教室で先生は何気なくそう言った。笑っていたから冗談かと思ったけれど、もしかしたら自分の中に隠れている、自分さえ気づいていない色が布や糸に出てくるのかもしれない。
それを、確かめてみたい。

いま私には、できれば数年以内に始めてみたいことがいくつかあって、そのうちのひとつが草木染めだ。




こんなに言葉が溢れているなかから、選んで、読んでくださってありがとうございます! 他の人たちにもおすすめしていただけると嬉しいなあ。