性を超える。差別も偏見も感じさせなかった初めての人たち。

アメリカに行ってから変わったというか、一つ得てきた大きなものの一つ。それがセクシュアルマイノリティの人たちのこと。

今から15年くらい前だから、芸能人で言えばおすぎとピーコとかが有名だった頃。はるな愛ちゃんもマツコさんもミッツさんもまだ出てない頃。日本が大きく変わって良かったなと思う時代の変化の一つは、芸能人に当たり前にセクシュアルマイノリティの人たちが出てくるようになったことだと思っている。有名人の力はすごいのである。

この友人はのちに有名なゲイになっていたみたいだ。インスタで検索したらフォロワー1万人超えで出てきた。腹筋がバキバキに割れていて、マッチョに刺青な姿を見ておぉと思ったが、それでも顔は私の知ってる当時の優しそうな顔をしていて嬉しかった。

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彼と一緒に行ったゲイパレード。楽しかった。

ゲイバーで彼がラテン系のゲイに拉致されて置き去りにされた時、たまたま近くにいた韓国人ゲイに話しかけられて盛り上がっていたら、その人の白人の彼氏にものすごい嫉妬されて、目の前で分かりやすくイチャイチャされたこと。いや、あんたの彼氏にそういう興味ないからご心配なくね。

トイレの列に並んでいたら超イケメンなゲイカップルがやってきて、私の前にいた別のゲイに「この女の子とキスしたら順番譲ってくれる?」「えー。そんな気持ち悪いことできない」と言われてなんとも言えない気持ちになったこと。結局私は頑なに順番は譲らなかった。っていうかトイレまで行ったら男性用がフルで女性用はスカスカで並んでいる意味がなかったという。

そして友人を拉致していたラテン系ゲイグループが戻ってきて、一緒に別のバーに行こうという話になり、タクシーで移動。4人のゲイと友人と私が一代のタクシーに。助手席にたしかガタイのいいゲイ1名、後部座席に私たちと残り3名。ゲイ・ゲイ・私・ゲイ、その上に友人、というギュウギュウな後部座席。あんなに密な濃厚な空間は後にも先にもないであろう。でも楽しかった。

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アメリカで出会った友人の一人にバイセクシュアルの男性がいた。しかもアフリカ系とヨーロッパ系のハーフ。彼は当時は彼氏がいたけど、その前に付き合っていたのは女性だと聞いていた。何かのパーティーで話したとき、「僕は男も女も好きになれるから、君の倍の確率で出会いがあるんだ、うらやましいだろ~」と言われ、本当にそうだなと思った。そういえば彼はバイトで下着のモデルをやっていた。ブリーフの。

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私がもう一人、影響を受けた人。大学の教授。背が高くて、パーマのかかったショートヘア、話し方もどちらかというと男性のよう、でも女性ならではの配慮のできる素敵な人だった。私にとって初めての学部の授業で分からないことだらけの中、この先生は差別なく私のことを評価した。毎週の課題で初めてExcellentをもらったときは嬉しくてたまらなかった。

学期の終わりの最後の授業、先生が改まってみんなに話したいことがあると話し始めた。

私は夫と結婚して子どももできてずっと幸せに暮らしてきたと思っていた。でも最近になって、子どもが大きくなって、私も仕事に慣れてきて自分なりのやり方が分かってきて、ふと、振り返ってみたとき、私は男性だけが好きではないって思い出した。私は夫を愛していたけど、でも本当は女性のことも好きだった。結婚するときに好きな女性がいた。けれども諦めた。その気持ちが今になって甦ってきた。

だから私は夫に正直に話した。今まで女性として、あなたの妻として、子どもたちの母として生きてきたけど、でも私は自由に人を愛したい。あなたのことも子どものことも愛しているけど、でも離婚して、もう一度自由に、男性も女性も関係なく恋愛してみたい、そう伝えた。そしたら、夫も子どもたちもそれを許してくれた。私の人生を生きていいって言ってくれた。

離婚してからとある女性に出会い、私は今その人とお付き合いしている。すごく幸せ。夫にも子どもにも感謝しかない。

授業中なのに思わず泣いたのを覚えている。先生の幸せそうな顔は忘れない。

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もう一人。バイト先で一緒だった女の子。ボーイッシュという言葉が本当に似合う子で、性的な話にもすごくオープンだった。卒業後もFacebookで繋がっていて、彼女の動向を見ていたら、女性と結婚したという投稿が。彼女は男らしく写りたかったのかもしれないけど、きれいだった。ウエディングドレスを着た二人、幸せしか伝わってこないような写真だった。

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そんなわけで私のアメリカでの4年間にはこんな方々との出会いがあった。書ききれないけどもっとあった。身近なところに何人かいて、みんなオープンだったので、本当に私の中で一つの当たり前になった。ちなみにミャンマーでは女性だけど男性として生きる同僚が二人いた。よくわからないのだけど、私は二人からすごく信頼されて、私も二人をすごく信頼していた。

どの人も、外国人である私を外国人として差別しなかった。どの人も、女である私を差別しなかった。どの人も、私が英語ができなくても差別しなかった。なんて平等な人たちなんだろうと思った。いろんな場面できっと差別を受けてきたと思うし、実際にそういう話も聞いてきた。だからこそなのか、偏見もバリアもない人たちだった。

いまだに偏見とか差別とかあるし、しばらくはなかなかなくならないことかもしれないけど、私はすごくどの人にも感謝してる。好きな人たちだ。

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