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「傲慢と善良」

辻村深月さんの、傲慢と善良を読んだ。

かなり衝撃を受けた。読みながら「あーーーそれはダメだよ」とか「わかるわかる、わかるけど!」とか「ちがうよーそうじゃないよー」とか、幾度となく本に話しかけた。恋愛小説にカテゴリ?全然そんなふうに読めなかった。トピックはそうかもしれないけど、人が抱えてる日常のありきたりな中に埋もれてしまっていて見えないのか見て見ぬフリなのかわからない違和感を突き付けられていくような、終始痛くてたまらなかった。

自分が最近人と話して、自分の中で踏ん切りがついていると思い込んでいた内容をぐりぐりとほじくり返されているような、繰り返しだけどとにかく痛い。

たまに(よく)書くけども、私は社会で生きづらい。いまだに生きづらい。そして生きづらくて別によい。人と違って、生きづらくて、それでよい。そう思えるようになって心はたしかに楽になった。けども、社会の中で生きて行かなければならない以上、やっぱり人と違うことも生きづらいことも、本当は結構苦しい。だからたまに落ちる。

本の中で、そして文末の解説で、

「この世の中に、『自分の意思』がある人間が果たしてどれだけいるだろう。真実(主人公)を責めることができる人間が、一体どれほどいるというのだろうか」

とあって、これだけ自己主張の塊で生きてる自分でも分からなくなった。何かをするときに自分のことだけ考えて生きるってとても難しい。できることもあるけどできないことの方が多いし、それはかかわる社会や人間関係で意思の強弱も変わるし、なんなら嘘にしないとならないときだってある。本当に大事にしたいもののときに、自分の意思を出せているのだろうかと。

考えすぎて頭痛い(苦笑)

プラスで狭い価値観で生きてきた人から無意識に傷つける意図なくしてでてくるいくつものフレーズ。「あんたも親になればわかる」このフレーズを母から言われた娘はどのくらいいるのか。実際には「は?」案件ではあるのだけど、親にならない選択肢を排除されたこの問いかけとかって、ウザイとかではなくてやっぱり怖いものだった。

人生が狭い価値観の中で蹂躙されていく

全部「心配」という言葉で縛り、無言で不機嫌になって、私をこの家からあまり外に出したくなさそうだったのは、あなたたちじゃないのか。

なんてくだらない、差別的なことを言うのだろう。

本当に最近、例のアプリの人となのだけどちょうど上記のような話をした。母親に対して私がずっと感じてきたことであり、そしてある意味可哀想だなと思う。そんな狭い価値観でなぜ自分の娘を縛り付けようとするのか、心配って言葉を使って支配してこようとするのか、自分の価値観に合わないものを差別するのか、さすがにここまできつい表現はしなかったけども、私が母に感じるまさにその感じを、この本では鋭く鮮明に描いていて、痛い。とにかく痛かった。

読み切って、自分が吹っ切れたと思ってることや気にしないと思ってることが、いまだにちゃんとわだかまりとして自分の中に存在することを実感した。ただし、それによって振り回されることは少なくなったことも感じた。やっぱり社会で生きてくってそういうことなんだなぁと。

***

本を薦めるのも薦められるのも好きじゃないと思ってたし、今も多少思ってるけど、この本は薦めたい。誰にとかではなくて、多くの人に読んでほしいと漠然と思った。


さて、本日体調絶不調。朝早くに生理痛がひどすぎて起きた。眠れないほどの生理痛って久々。眠れないほど痛いけど気絶もできないって拷問。薬を飲もうにも胃がからっぽだから何か入れねばと甘酒を作るが、大好きな甘酒を身体が受け付けない。痛みが邪魔をする。ほぼ一気飲みして鎮痛剤を飲む。まずは甘酒効果(?)で痛みが引き出し、徐々に薬の効果で痛みが引く。そして痛みの引きとともに眠りに落ちる。

昼過ぎに起きて、そこから読書開始。そして途中、一つ前のnoteのことがあり、とりあえずコーヒー一杯で過ごす。涙がおさまってから再び読み始め、そこから一気読み。現在21時前。一日なんも食べてない。

新年早々極端な生活をしてて笑える。そして泣きすぎて、色々痛すぎて、もうとんでもない疲労感。冷蔵庫にはビールとワインと日本酒。そして申し訳程度の残り野菜。あ、あと餅。よし、ここはもう本能にまかせて適当に食べて飲んでそして寝る。明日は休みだから、やろうと思っていたことは明日やればいい。

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