大衆居酒屋と社会不適合
久々に学生がたむろする大衆居酒屋で飲んで、大衆居酒屋が苦手という話から、社会不適合との関連を考えた。
とにかくうるさい場所が苦手。そしてそういううるさい場所で声を張るのはもっと嫌い。なぜ金を払ってまで私が声を張らねばならないのか。仕事以外で声を張るとか無理である。コロナ禍で黙食とか言っていたがやや賛成。コロナという問題が収束したら、騒音という問題が復活である。困った困った。
多分、私がHSP的なやつだからだと思う。五感を刺激するもの、光、音、におい等の刺激が苦手。人より多めに感じてしまい、シンプルに疲れる。余計なエネルギーをこれでもかって吸い取られてしまう。
若い時は平気だったのが、年を取り、コロナを経て、以前の半分くらいの耐性になったと思われる。人混み、騒音、うるさい場所、無理。つまりほとんどの大衆居酒屋が無理。室内のレジャースポットがほぼ無理。だから行かないを選択する。なんなら最近は海や山も人だかりがすごいので無理になりつつある。インスタ映えスポットは超絶嫌い。みんなが同じ行動を取ろうとすることが気味悪い。
必然的に人と行動することを避けるため、友人関係もどんどんと減っていく。人嫌いの極み。自動断捨離である。
一番平和なのは近所の河原と公園。または誰も迷い込まないであろう裏山的な場所。または僻地。好きなものは太陽と青空と風と土と水。
これがプライベートの本来の私の姿なのだと思う。こういうのを巷で言う陰キャというのでは?知らんけど。でも私自身は暗いわけではなく、笑いが好きなラテン系の面もある。この辺がバランスおかしいのだろう。
って言う話を、Bさんにしたらやや引いてたって話。私も自分で話してて、だから社会不適合なんだなぁとしみじみ納得してしまった。普通の人が普通にできて疑問に思わないこと、例えば大衆居酒屋でちょっと声を張って話すこと、そんなことができないしたくない、楽しめない、それだけでも生きづらいってきっと普通の人には理解し難いし、理解してもらおうとは思わない。普通の人たち私も理解できないし。
何度も同じこと書いて馬鹿の一つ覚えと思われてるだろうけど、昔と比べて多様性のある社会になってきたと言われているところで、それはある意味でより一層に違う人を際立たせてるような気もしていて、普通の人たちはそれにあまり気づいてない。そりゃそうだ、自分は安全なところにいて何も脅かせられない限りは気づけない。
きっとこれを読んで、「たかが大衆居酒屋が苦手なだけで何を言ってんだ」と思った人は普通に日本で社会生活を営むことができている人。世間的に言うまともな人ではと思う。それって幸せだと思う。マジョリティでいることは守られているから。だからせめてほっといてほしいのだ。私みたいな変ちくりんなやつを。あなたに危害を加えない限りは。
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大衆居酒屋とかうるさいところが苦手だったら、少しお金出してでも多少いいお店に行かないとだめだね、とBさんに言われたが、貧乏性で自分に金をかける価値はないと思っている自尊心ゼロの私としては、お金がもったいないから結局安い店に行くと回答した。絶対にめんどくさいと思われたと思うけど、事実なのだから仕方ない。そもそも外って、他人がいる場所って落ち着かないのだと思う。だから結果として一番心が穏やかに食事ができるのは家である。
大衆居酒屋で頑張って声を張ったせいで喉がガラガラで調子が悪い。なぜ人は、酒を飲むと声のボリュームが大きくなるのか。人が少なくてもリーズナブルなお店ってないのだろうか。静かな大衆居酒屋を実現した人がいたら、永遠に感謝したい。または飲むと小声で盛り上がれる酒とかね。
偏屈で、天邪鬼で、自分勝手で、わがまま。それが自分なのだ。生きにくくてもやっぱりこのままがいいって思ってしまう。不思議だけど。