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もう1度給食当番になりたい

 小学校の頃、給食当番がめんどくさくて仕方がなかった。マスクを持っていかないといけないし、かっぽう着の帽子で髪の毛はぐちゃぐちゃになるし、昼休みは減るし、30何人分を均等に配膳するなんて小学生の私にはなかなか難しいものだった。帰りの会で先生が給食当番表のマグネットを私のグループに移すとき、いつも顔をしかめていた。
 特に嫌だったのは4時間目が体育だったとき。体は疲れているしにも関わらず、素早く着替えて、机を班の形にして、机の上にランチョンマット、お箸、牛乳の下に敷く口拭きハンカチを用意。かっぽう着に着替えて配膳台を出して…。とにかく忙しない。今思えば幼稚園上がりたての小学生1年生からあんな高度な事を行っていたのか、と感心してしまう。普通にすごい。
 めんどくさくとも真面目な私は、当番なのに友達と喋りながらちんたらと着替えていたり、行方をくらます男子の事をこの野郎と思いつつ、小さな体をテキパキと動かしていた。あいつの配膳のとき人参いっぱい入れてやろう、とか、フルーツポンチ少なめにしてやろう、とか思ってた。懐かしい。(ひどい)

 給食当番にはチームワークが不可欠である。配膳途中で“おかず小”が足りなくなったらみんなで寄付の呼びかけをし、お味噌汁を溢してしまった時は1人が雑巾とバケツを準備し、1人は他のクラスを回り、少しずつ分けて貰う。おお…懐かしすぎて震えてきた。なんだかさ…美しいよなぁ。給食当番を通して言わば部活のような青春をしていたような気がする。同じかっぽう着ユニフォームを着て、それぞれのポジションで己の役割を全うする。そしていかに速く、均等に美しく給食を提供できるか。“目指せ!30分にいただきます”。給食の放送が始まる前までに配膳できた時のあの達成感。最後の1人で鍋を空にできた時の喜び。その満ち足りた心で戦友と「お腹すいた〜」とかっぽう着を脱ぐあの瞬間…。当番中に築かれた絆があの頃確かにあったのだ。そんなのもうスポ根じゃないか。ジャンプ+の読み切りくらいにはなるのでは?アツい。

 なのに、私はもうあのパリッとかたい、前の週に使ったあの子の匂いがするかっぽう着に腕を通す事は2度とないのだ。7、8人でご飯をあんな風に用意する事も、金曜日に体操服とかっぽう着を重たい足で持って帰る事も。土曜の夜にはやく洗濯に出しなさいとお母さんに怒られる事も、月曜に持って行き忘れ、次の当番の子に必死に謝る事も、これから一生無いなんて寂しすぎる。“かっぽう着”や“配膳台”なんて、思い出さなかったら死ぬまで口にしていなかっただろう。想像すると怖い。忘れているだけでそういう言葉が沢山あることがなんだか悲しい。国語の授業で読んだ詩とか物語をまた音読したい。

 今更だけど“おかず小”よく思い出したな!くだらないことの記憶力だけはいいから困る。経験上、おかず小が1番難易度が高いポジションなんですよ。サラダ系。ご飯も難しいけど、パンの時は楽。ちなみに私は進んで牛乳を配ってました。楽だからね。小分けのストローも班の人数分切り取って配ってた。でも冬は汁物やりたかったなあ。あったかいから。けどあれも途中で足りなくなっちゃうから難しい。デザートはやりたくなかったな。だってちゃんと均等にしないとみんな怒っちゃうんだもの。
可愛いな小学生。

戻りたいな小学生。


もう1度、給食当番になれたらな。


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