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たいち君の場合(3)

あの夜の出来事の後、たいち君に急に彼女ができた。僕が知っている相手で、かつて同じサークルにいて、確か僕と同じタイミングか、少し遅れて辞めた女の子(仮名・みどりちゃん)だった。彼女も違う大学から、僕のいたサークルに入っていた。彼がどのような理由で彼女を選んだのか(同様に、彼もどのようにして、彼女から選ばれたのか)は判らないのだけれども、少なくとも「見た目」の点だけで言えば、彼女には大変失礼なのだけれども、とてもアンバランスだった。成宮君似(少し崩した感じ)と小柄・寸胴・エラが張った気の強そうな女の子——、組み合わせがとても奇妙だった。たいち君に曰く「急に付き合いたくなった」とのこと。不思議な感じがした。

ある晩のこと、例のごとくお食事を作ってもらって、彼の好きなチェロの演奏家(チェリスト)の演奏を観せられながら、だらだらと夜を過ごしていた。二人でワインを飲んでいた。シャワーを浴びてくるといって、上半身裸で僕の目の前に現れて、僕の視線を確かめるかのように着替える。ただの華奢な体だった。たいち、お前は何がしたいんだ——。時々シリアスな話になったり、くだらない話になったり、そんな風に過ごしていた。

11時を過ぎたあたりで、彼の電話が鳴った。例の彼女からのようだった。終電を逃してしまったので、泊まりたいとのこと。あと20分くらいで着くらしい。そろそろ彼女が着く頃になった。Gのわたくしといえども、その辺を弁えているつもりであったので、お茶漬けを作ってもらう前に、失礼しようとした。ちょうど玄関のドアが開く。みどりちゃんの顔が見えた。軽く手をあげて、挨拶をして帰ろうとした時、彼に引き止められた。「別に帰らなくても良いよ。いてよ。みどりは疲れてるんだから、適当にシャワー浴びて、ロフトで寝てて」。こんな風に僕を制するのであった。

リクエストはありがたいのだけれども、そもそも僕が気まずいので、3人で少し話したあと、帰ることにした。まじまじとみどりちゃんの顔を見ていると、ますます不思議になった。付き合った経緯とか、色々聴きたかったけれども帰るタイミングを逃してしまいそうだったので、逃げるように帰ってきた。そのあと僕は、次の日の午前中が暇だったので、掲示板で獲物を探して、美味しくいただいたあと、ぐっすりと寝た。寝入るまでの時間、たいち君のことを考えていた。ストレートの男の子(ノンケさん)は、ああも彼女を扱えるのだろうか。それも付き合いたてなのに。ノンケではない僕は、分からなかったので、いつの間にか寝ていた。

またこんな時もあった。お互い徒歩で30秒もかからない距離に住んでいるのに、そういえば彼は僕の部屋に来たことは、それまでなかった。いつも僕が足繁く通っていた。よくよく考えると不思議だった。

ある日、メールが来た。レポートで教えて欲しいことがあるから、部屋に行っても良いか、と。彼は心理学を専攻していた。国文の僕と何の関係するのだろうと不思議がりながら、待っていた。5分もすると、手ぶらで来た。部屋をまじまじと見回しながら、その辺に座った。僕ご自慢のぶどうジュース(ワインのぶどうから作るアレ)を差し出して、まずは、という感じで世間話が始まった。「最近彼女とはどうよ」的な振りをすると、ごくごくそれを飲みながら、「さっき遊びに来たんだけど、いま部屋にいるわ。ゆういちのところに行ってくるって言って、置いてきたわ笑」なんてケラケラしている。驚くわたくし——。

どうやら、適当な理由をつけて僕の部屋に来たようだ。近くに谷崎の細雪があったので(ぶん投げてあったので)、パラパラとめくりながら「けんか、しはった?」なんてふざけて聞いてみると、どうもそうでもないようだった。たいちさん曰く「なぜか来た。単純に貸して欲しい本もあって」と宣う。僕はだんだんダルくなってきて(=色々と穿っているのが疲れ始めた)ので、ベッドに横になりながら話していた。思えば、部屋に入ってから、彼の様子が変だった。そわそわしていた。世間話をしていても、なかなか目を合わせない。いつの間にか、僕のデスクに座って、堆く積み上がった本を取り出しては、パラパラめくっている。

わたくしは、チャラいと言われがちな学生(建築学科の意匠に居そうな雰囲気らしい)ではありましたが、大学の講義への出席は最小限にして、本を乱読したり、お勉強をしていました。むしろそれを隠すために、チャラい雰囲気を演じたり、そのストレスをLGBT仲間と、時には夜遅くまで酒を浴びるように飲んで、発散させていたのかもしれせません。あと狩りをしたり。——すみません、話が逸れました。

話していても、ずっと僕に背を向けたまま。僕はベッドの上、僕の机に向かう彼——。ベッドに横になる僕を見ようとしない。机の上のアレを取ってと言っても、まるでテスト用紙を後ろに回すように渡す。何か雰囲気がおかしい(何かまずいものでも見つかったのかと、僕は僕でドキドキしていた)。耐えかねた僕は、やはりその辺に座って待っていた。何か目的を果たし終えたのか、彼は帰る準備を始めた。何事もなかったかのように、僕の本を手にして、帰ろうとしてる。残っていたぶどうジュースに気づいたのか、飲みほそうとして座った。

グラスを眺めながら飲み干す彼——、僕は世間話をもう一度しようとした。本当に単純な世間話を。そのころ僕は、遅くまで飲んで帰って、午後起きて、大学と図書館、そのあと書店に言って、また飲みに行く(もしくは帰って遅くまで勉強をしたりして、そのあと狩る)という生活を繰り返していた。そんな生活をしていたから、グダグダで帰ってきては、玄関の鍵をかけ忘れるなんてことが何度かあった。そのことを話そうと思った。もちろん特定の目的を持っていた訳ではなくて、ふと思い浮かんで話そうと思った。

目を合わせた。「この前、玄関の鍵をかけずに寝てしまってさ、何かがドアに挟まっていてみたいで、ドアが半開きだったのよ笑。あぶなー」こんな風に話した。すると彼は、満面の笑みで、けれども気まずくて、恥ずかしそうに照れを隠すようにして、また、同情を乞うているようにも取れる表情と声色で、こう仰った。

ゆういち、よかったなー。けつ犯されなくて。

固まるわたくし、照れ笑いをする彼、そのまま何事もなかったように本を携えて帰る彼、それを見送るわたくし。部屋から遠ざかり、エレベーターに乗ったことを確認した僕は、玄関の扉がきちんと閉まっていることを確認してから、鍵をカタンと閉めて部屋に戻った。

照明を落とし、ベッドに仰向けになって考えた。とかく意味深な発言はむつかしい。整理してみよう。僕は犯されない。犯す側だ——。いや、そうではない。ノンケさんはこんな発想を「しはる」のだらうか。普通は「強盗に入られなくて〜」とか「不審者に〜」なんていうのが相場だろう。だんだんと眠くなってきた。彼の匂いが残る部屋で、溜まっていた僕は、適当に自分を慰めて、ある意味スッキリして寝た。

次の日、学科の友達や女の子に話してみた。「この前、玄関の鍵をかけずに寝てしまってさ〜」。あんなリアクションはなかった。むしろ「ずっとバイトもせずに、毎日いいご身分だな」なんて、男女から説教をされて終わった。で、僕のケツ論は、普通のノンケは「しはらない」と、一旦はした。

僕にカマをかけているのか。見抜いているのか。それを弄んでいるのか。それとも「我もGなり」とのアピールだったのか。とたん僕は、怖くなってしまった。色々と彼に翻弄され始めた。彼は僕をどう思っているのだろう。僕は彼にどんな感情を持ち始めたのか。スッキリしない。

たまたま駅でみどりちゃんと会ったことがある。相変わらずの雰囲気で、周りの空気に重量感がある。乗る方向が違ったので、改札を一緒に通ったあと少し話しただけだった。最後の彼女の言葉が今でも忘れられない。軽い話をしていたのだけれど、別れ際は表情が少し曇っていて、迷惑そうな、なんだか邪魔者扱いをするような雰囲気で、こう言った。

たいちは、いつもゆういち君の話ばっかりしている。
何の話をしても、すぐゆういち君の話になる。

何か気の利いた言葉を返そうとしたが、見つからず「そうなんだ」としか言えず、笑顔を作って別れた。

(4)に続く。僕は僕自身の感情と向き合わざるを得なくなった。

ねえ君に 君にひとつ伝えときたいんだ
もう止まらない 隠しきれない 想いがここにあんだよ
ベイベー 思い出というフィルムの中へ
君が溶けてしまう前に 届けたい言葉があんだよ

——ぼく「受け」じゃないんですわ。

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