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たいち君の場合(5)

「#いま私にできること」と言うハッシュタグを見つけた。

表現することは物を救うことであり、物を救うことによって自己を救うことである。三木清「人生論ノート」より

高校生の時に読まされました。大学生の時はよく読みました。
「いま私にできること」とは、やっと確保できた時間(now)で、辛い思いを吐き切ることだと思う。吐き切って、自己=過去と現在の私を救う——、これが「#いま私にできること」だと信じて「たいち君の場合」を続ける次第です(殆どポルノ小説です……)。

たいち君の場合(5)

起きた。腹が濡れていた。真ん中も濡れていた。立っていた。たぶん僕は彼のことが好きなのだろうな(好きになってしまったのだろうな)、なんて思いながらシャワーを浴びに行った。カミング・アウトをしてしまおうか、もしくは(虫のいいことにも)彼からのそれを待とうか、とも考えた。もし彼が「そう」ではなくて、不用意に僕がカミング・アウトをしてしまったら、友人関係は終わってしまうのだうな——、そう考えると怖くなるし、何より切なくなった。一方で、僕の肥大した自意識は、もし彼が「そう」だったら、なんて切ない関係なのだろうとも思った。

たいち君は就職活動に、僕は大学院試験の準備に忙しくなっていった。それぞれが必死で、現実における「次」に向けて格闘をしはじめた。会うことも、ましてや連絡を取り合うことも殆ど無くなった。奇跡的に駅であっても、例のT字路まで軽く言葉を交わして、そこで別れる程度だった。お互いの進路が決まるまでの、二人が(辛うじて)共有していた時間は本当に短く一瞬で、あっという間に過ぎてしまった。彼は就職に失敗した。不本意な会社へ就職することになった。僕は試験を無事にパスして大学院で転科し、久しぶりに二年前のキャンパスに戻った。失敗してしまったことは、たまたま会ったときに、たいち君から事務連絡的に聞いた。志望していた業界すら入れなかったとのことで、淡々と話していたようだったけれども、彼の全身から生気が抜けているのを感じた。

詳しい近況にも触れられず、かつての二人のようなノリは影を潜め、どこかぎこちない雰囲気が漂うばかりであった。先にも書いた通り、不幸なことに僕はその時になって、いまさら彼のことが、色々な意味で気になり始めた。思慕という表現だけでは言い表せない感情を持ち始めて「しまった」。過去の彼の言動が気になって仕方ない。いったい彼は何者なのか。彼は私をどう思っているのか。高校以来の友情、そして趣味や生活圏の近さを通じて強化され、昇華した友情はどこに向かうのだろうか。今となっては、頼りなく細くなってしまった「リエゾンの糸」は、果たしてどこまで耐え得るのかという不安に怯えながら、それ切るまいと僕は、たいち君との「次」の姿を描こうと、もがき始めた。

たいち君とのリエゾンが、目に見えて細くなりつつあることを実感すればするほど、2年生の頃から堰を切ったように始まった「遊び」がエスカレートしていった。不特定多数の中から選んだ一人と深夜まで遊び尽くす。そして虚無感に襲われながらシャワーを浴び、それを抱きしめてベッドに入る。朝起きると、口と腰と指先には。昨夜の感触がまだ何となく残っている——。勉強や遊びに明け暮れる日々が続く一方で,僕はこのようなことを毎晩のように繰り返していた。

あの日の僕は、いつものように、寂しさと生理的な欲動に負けて「たまたま選んだ一人」と遊ぶことになった。相手を部屋に——彼がいつも帰り道にふと眺める部屋に——招いた。照明を落として、部屋を暗くして待っていた。通りの灯りがカーテン越しに漏れていて、部屋の雰囲気をうす暗く、朧げなものにしていた。たいち君が言う通りに「襲われるように」玄関の鍵を外しておいた。

物音がした。相手は無言で部屋に入ってきた。僕に背を向け、やはり無言で、着ていたものを一枚だけ残して脱いだ。大きくなった中心を、その一枚の中に浮き上がらせながら、僕に近づいてきた。華奢な体であった。歳は僕の一つ下だった。

顔を見た。漏れた光に照らされた相手の顔は、あの「たいち君」にそっくりであった。まるで彼が来たのではないかと錯覚するほどで、驚いた僕は、おもわず身をたじろがせた。相手には彼の面影があったのだろう。うす暗い中で会ったものだから、余計に似ていると感じたのだと思う。事前に写真を交換して、相手の顔を確認していたのだけれども、もしかしたら僕は、無意識のうちに,たいち君に似ている相手を探していたのかもしれない。声や身体の匂いは、残念ながら、彼のものとは違っていた。

僕は夢中で相手を貪った。口を塞ぎ、舌を絡ませ、耳を噛み、脰(うなじ)に舌を這わせ、腰を沈め、僕のよく引っかかる中心を相手の中に突き上げた。喉仏を隆起させ、喉を絞るように息を漏らす相手の口を,まるで窒息させるかのように再び塞いだ。舌が脰を這うたびに、中心が相手の奥を突くたびに、相手は仰け反るように腰を浮かせていた。相手はたいち君ではないのだけれど、僕は相手が彼である思いながら貪った。中心を反復させ、何度も引っ掛けた。「きっとたいち君は、こんな深夜に、僕の身体と熱を求めて、この部屋にやって来たのだ。だって、玄関の鍵が開いていたから——、こんなことを言いながら、疼いて求めて来たのだ」。こんな妄想を脈動させ、そう自分自身に信じ込ませながら、僕は相手を貪り尽くし、そしてばら撒いて果てた。そして、ばら撒かれた。

お互い興奮から覚めるのは早かった。相手はさっと着替え、帰る準備を始めた。僕は、まだ上を固く向いている中心から液を滴らせたまま、相手を玄関まで見送った。そこでどちらからともなく、口を軽く塞いだ。そのあと僕は急激な睡魔に襲われ、半分寝ているような状態で、まだ温かいベッドで果てたままでいた。先ほどの液は、萎えつつある中心の根元まで伝って、液溜まりになっていた。この日の虚無感は特別なもので、僕を凍えさせるような、体の芯まで凍えさせるようなものであった。

相手が残していった熱気と、お互いにばら撒いた液の匂いに耐えかねた僕は、その辺に散らかっていた下着や服を集めて着て、外の空気を吸うために玄関を抜け、廊下に佇んだ。灰色のスウェットは柔らかく膨らんだままだ。シミができ始めた。先ほどの残りの液が内腿を伝い始めた。それを無視するように、ゆっくりと深呼吸をした。鼻孔を刺すような冷たい空気が、とても、とても心地よかった。

向こうを見ながらぼーっとしていた。ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」の色々なシーンが浮かんでは消えていった。あの音楽も鳴っていた。アッシェンバッハも「エリーゼのために」のシーンの後、冷たい空気を吸いたかったに違いない。勝手にそう考えた。彼はタッジォを求めてあそこに行った訳ではないけれども。

右を見た。暗かった。
その日は彼の部屋も暗く、私の部屋もまた暗かった。
それは確か、冬の出来事であった——。

(6)に続く。

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