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3年3カ月

その方と初めてお会いしたのは、2015年10月のこと。季節は秋に移り変わっていたけれど、暑さの残るよく晴れた日だった。彼はテレビで拝見するよりも小柄で、静かで、しかしその眼光は非常に鋭く、底知れぬ雰囲気を漂わせていた。当時、御年81歳。現役のジャーナリストだ。

彼はゆっくりと椅子に腰掛け、じっと私の方を見た。

「今日は、TPPの話をしようと思う」。

静かに、はっきりとした声で話し始めた。

 

彼は若い頃から報道のタブーに果敢に挑み、時代の寵児からマフィア、宗教法人、大物政治家まで、率直に問題提起をし続けてきた。あまりにも過激な取材をして警察に2度逮捕されたこともある。総理大臣にも物怖じせず疑問を投げつけ、納得できなければ痛烈に批判をしてきた。ご本人の看板番組「朝まで生テレビ!」では、癖のあるパネリストたちと夜中から朝方まで激論を交わし、30周年を迎えた今も話題を呼び続けている。

破天荒で、挑戦的で、議論が大好きな人。しかし、実際はどんな人物なのか。お会いするまでは想像もつかなかったが、いざ、ご本人を目の前にすると、あまりにも佇まいが静かで、穏やかで、緊張と安心という相反する感覚が交差していたのをよく覚えている。意外だったのは、テレビで見る姿とは異なり、消え入るような声で話をすることだ。ホテルの騒がしいラウンジの中で、彼の声を聞き取るのは至難だったけれど、一言一句聞き漏らさぬように話に集中した。

それからちょうど3年と3カ月間。私は毎週、彼の話を聞き続けている。

 

私は経済に関しては基礎を徹底的に叩き込まれてきたが、政治についてはド素人だった。こんなんで彼を取材することなどできるのか。正直なところ、全く自信はなかったけど、引き受けた以上はやるしかなかった。

もちろん、取材は毎回冷や汗もの。どこからどうやって話を引き出せば良いのか、本当に分からなくて、とにかく日々のニュースは片っ端から背景を調べていった。おそらく彼は一瞬で私のレベルを見抜いたと思うけれど、何も言わず、毎回、じっとこちらを見て話を続けた。

彼は、誰に対しても対等な目線で話をする人なのだと思う。あまり偏見がなく、自分の立場や相手の立場も考えず、ただ純粋に、人対人、という目線で話をしていたような気がする。だからかな、不思議と楽だった。本来であれば、こんな大御所を前にズブの素人が取材をするのだから、もっと緊張してもいいはずなのだけど、いつも、どこか安心していた。

 

ある日。取材が終わり、皆で雑談をしていた時のことだ。ふと彼が私の方を見て、質問を投げかけてきた。

「なぜ、JALは破綻したと思う?」

その時の彼は、いつもの穏やかさが消え去っていた。テレビで無数の政治家や有力者を相手に議論を投げかけてきた、日本屈指のジャーナリストの姿だった。この瞬間ほど、彼の凄みを感じたことはない。

そもそも私は「人の話」を書くライターだ。自分自身の意見を求められることなど、ほぼ皆無。むしろ、自我を滅して相手の思考をトレースしなければならない立場である。だから、彼に私の意見を求められたときは、とにかく驚いて言葉が出なかった。

私は数十秒考え、「お客様目線の経営ではなかったからです」と答えた。すると彼は「その通りだ」とうなずき、ニヤリと笑った。

彼はおそらく、そんな私の側面を見抜いていたんじゃないかと、今になって思う。「君はどう思う?」。お前の考えを持て、お前は何者なんだ。きっと彼は、私にそう問いかけたのではないだろうか。

 

3年3カ月。世の中は大きく動いた。安保関連法案の成立、TPPの大筋合意、イスラム国のテロ、ロシアのクリミア半島侵攻、東芝の不正会計問題、日韓の慰安婦問題、甘利経済再生相の辞任、北朝鮮の核実験及びミサイル問題、原発再稼働の議論、英国のEU離脱、米大統領選挙、天皇陛下の生前退位、森友・加計問題、米朝首脳会談、などなど、取り上げたテーマは無数にある。

 

時々、かつて活躍した政治家の話をしてくださることもあった。「あの時ね、こんなことがあったんだよ。オフレコね」。そう言って語る彼の話はいずれも想像を上回るもので、政治とはこんな風に動いていくものなのかと、いつも驚きながら耳を傾けた。

 

「僕の使命は、言論の自由を守ることだ」。

「大人たちがもっともらしい口調で言う話は信用できない。マスコミも信用できない。国は、国民を騙す。特に、権力とは信用できないものだ」。

取材の中で、何度も彼の口から出てきた言葉だ。特に、終戦時の体験をお話ししてくださる時は、この言葉に力が入っていた。

彼から何を学んだかと言えば、一言で収めることはできないが、一つ、大きなものとして「生き方」があると思う。彼の話を聞きながら、私はだんだん、自分は何をしたいのか、何を考えているのか、ということを深く追求するようになっていった気がする。

 

3年3カ月。長いようで短く、短いようで長い。いずれにしても密度が非常に高く、奇跡のような時間だったと思う。なぜ、私のような凡人が彼と出会い、こんなにも頻繁に直接話を聞く機会に恵まれたのか。その理由は、今も分からない。

いつか、私はその意味を理解する日は来るのだろうか。その時、私は自分自身で何かを生み出しているのだろうか。それを彼に手渡すことはできるのだろうか。

お元気なうちに、形にしたい。そんなことをイメージしつつ、残りの仕事を一つひとつ片付けていこうと思う。

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