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最近体調が悪くて、アウトプットがかなり遅れてしまいました…
めげずに頑張ります。

第2回目の講座では、以下のことを行いました。


ディスカッション1

まず、前回の講座で学んだ「絵と言葉の関係」について。その関係を考えられる絵本を1つ選び、今回の講座に持参するというのが課題でした。

私が選んだ絵本は、

My Red Hat. by Rachel Stubs. Walker Books Ltd, 2020.


My Red Hatは、絵と言葉がお互いの空白を埋め合う補完的な絵本だと思い、この絵本を選びました。

この絵本のあらすじは、祖父が孫に自分の赤い帽子をプレゼントする場面からはじまり、その帽子にはどのような使い道があるのかを絵と言葉で描いていくものです。
絵は、言葉が伝えない空白、ギャップを埋めるように機能しています。例えば、最初のページの文章は「I give you my hat.」で、文章のみだと誰が I で誰が you なのか分かりません。しかし、最初のページの絵には祖父と思われる人物が小さい子どもに赤い帽子を差し出す様子が描かれており、I が祖父で you が孫であることが分かります。

また言葉については、例えば、帽子の使い道の1つが見開き2ページにわたって描かれている箇所があるのですが、そのページの文章にはカンマがあり、帽子の1つの使い道の説明が次のページまで続くことを、カンマが表現しています。

グループメンバーが紹介してくださった絵本の1つに『ZOOM』という言葉のない絵本がありました。
そこから、言葉のない絵本については、言葉と絵の関係をどのように考えたらいいのか、そもそも考えることはできるのかという疑問が出てきました。

自分たちが持ち寄った絵本から新しい疑問が湧いてくる、これがグループで学ぶということか…!というお手本のような経験でした。

疑問の答えとしては、言葉のない絵本には、今回の言葉と絵の関係という分
析方法ではなく、言葉のない絵本だけの分析方法が他にあるそうです。言葉のない絵本も奥が深そうです。


講義


講義では、絵本で用いられる技法を学びました。

特におもしろいと思ったものは、「裁ち切り」という技法です。「裁ち切り」とは、大きいものを描きたいときにその全体像を描くのではなく、一部分を描くものです。
例えば、巨人を描きたいときに巨人の全体像を描くのではなく、巨大な足のみを描いたり。読者はその裁ち切られた絵を見て、絵本の世界がページの境界を超えて広がっているように感じられるそうです。つまり、裁ち切りによって、読者はその絵本に入っていくことができるのです。

裁ち切りは、読者の想像力を刺激し、その想像力によって絵本が提示するギャップを埋めるように読者に働きかける技法だと思いました。私は、裁ち切りのように、一見、受け身にみえる絵本を読む行為のなかで、ハッと気づいたときには読者が積極的に読む行為に参加しているように仕向ける技法が好きです。おもしろい!!


ディスカッション2

次のディスカッションでは、絵本の読者とは誰か?絵本は誰のものか?という問いについて話し合いました。

私は、絵本の読者には子どもに加えて大人も含まれると考えています。
絵本を買って子どもに与える親、図書館の本棚にどの絵本を並べるか決める司書さん、どの絵本を仕入れるか決める書店員さん、さらにはどの絵本が売れるのかを調べ企画する出版社の編集者さん、そして絵本をつくる絵本作家さんはすべて大人です。絵本、児童文学は必ずしも子どものものではなく、必ず大人が絡んでいます。(実はこれは大学院の授業で学んでいました!)

ただ、グループの1人の方が、ブックスタートで赤ちゃん向けの絵本を選んでいるが、どれが赤ちゃん向けの絵本なのか判断するのが難しいとおっしゃっていました。例えば文字数が少なくても哲学的な絵本もあり、それは赤ちゃん向けには難しいそうです…

大学院のアカデミックな世界では、絵本の読者は子どもだけではなく大人も含まれるという主張で一旦落ち着くように思いますが、実際の現場では異なる問題があるのだと学びました。私は、〜歳向けといった年齢制限はその子どもの可能性を奪ってしまうようであまり好きではないのですが、現実には子どもの年齢に応じた絵本や児童文学を選ばなければならないこともあるのだと、気付かされました。


講義続き

このディスカッションから、絵本の読者である「子ども」とは何か?という講義に移りました。フィリップ・アリエスの『子供期の発見』から、昔は「子ども」という存在がいなかったことについて触れました。


感想

第2回目の講義を受けて、やはり児童文学はおもしろい!と思いました。児童文学は、作り手と受け手が異なる存在、つまり大人と子どもであるだけでなく、その「子ども」「大人」という存在は、私たちが作り出したものであり、異なるという前提そのものも私たちが作り上げたものである…そこにジェンダーを加えると、児童文学のなかの少女らしさや少年らしさも作りあげられたものである…
精巧に作られたパズルをひとつひとつ分解していくようで、とてもおもしろいです。

書き出すと止まらなくなるので、ここまでにしておきます。
もっと文献を読んで勉強します。
今回の講座でもあたたかい刺激を受けられました。一緒に参加しているみなさんありがとうございます。

引き続きがんばるぞー!


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