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脳卒中後遺症を抱えた僕が42.195kmを「歩く」(前編)

走れよ!と感じるのは皆さんが健康な証だろう。僕もどうにかして走りたいのだが、今の身体ではまだ走ることができない。なので、仕方なく歩く。
走り終えてからまとめて書けば良いのだが、実施前に自分へプレッシャーを与えるために、この記事を投稿する。このnoteは内容発表と決意表明的な意味合いなので、詳細は後編で書くこととする。

2020年5月17日、脳動静脈奇形という先天性疾患が直接の原因となり、当時31歳にしてまさかの脳内出血×クモ膜下出血×水頭症のトリプルコンボを経験した。半年経過後、後遺症の軽度(医学的には)運動麻痺と、重度感覚麻痺で身体障害者(肢体不自由2種4級)にジョブチェンジした。今後もこんな自分と向き合っていくことになりそうなのが今だ。
急性期が過ぎて回復期に入った当初に書いたnoteがこちら。

満たされないまま終わった2020年

2020年は大半を病院で過ごした。新しいことへのチャレンジも、社会への貢献も、何かに追われることもなかった。とは言えこの期間に自分の人生と向き合い必死で取り組むことは、当時の僕にとって確かに最重要事項だった。
自分の身体と自分の人生。当然ながら責任を取ることができるのは自分だけだ。
脳内出血を起こす原因となった脳動静脈奇形の治療をしないまま、リハビリを始めた。明日にも脳内出血を再発して、次こそ死ぬかもしれないという恐怖に怯えつつも、リハビリはやればやった分だけ確実に結果として現れた。一時は前進するしかない現実に絶望さえ覚えたが、そんな自分を置き去りにしてでも無理矢理取り組んだ。久しぶりに、気合いとか精神力というものの必要性を実感した。
回復期病院では1日3時間のリハビリが平日休日関係なく毎日続く。この時間以外に病棟を2時間歩いた。入院中の歩行距離は1日あたり10kmを超えた。ゼエゼエと肩を揺らしながら杖をついて病棟を猛スピードで歩く。汗はビショビショ。スタッフステーションの前を通る度に、病棟責任者は「彼は大丈夫なのか」という顔をしてこちらを見る。
理学療法士と作業療法士に自主トレーニングメニューを考案いただき、もちろん動けなくなるまでやる。言語聴覚療法のテキストを最終部まで印字していただき、食事のわずかな待ち時間や消灯ギリギリまでやった(いや過ぎていたかもしれない)。そんな感じで脳の再構築に没頭した。それでもなぜか、心底つまらないと感じた。何かが足りなかった。

現在の身体的ステータス

決して種別や等級が高い訳ではないのだが、身体障害者手帳が発行されたくらいなので、身体の制御についてはそれなりに制約がある。
一応、ブルンストローム・ステージは入院当初のⅠからⅤまで回復している。そう思うと、急性期当初に主治医から聞いた「一生車椅子」というのは、患者の期待度を下げるために毎回用いられるdoor in the face的なマジックワードだったのかもしれないと感じる。
良い調子で回復してはきているものの、現在も左片麻痺に伴い左下肢に保護装具を装着している。一応はシューインタイプにまで軽量化できた。スポーツをやっていた人にだけ伝わる表現かもしれないが、とても硬めの足首サポーターみたいな感じで、それを装着した状態でも市販のスニーカーを履くことができる。
屋外では補助杖を利用した状態で5.5km/h程度の歩行速度。これで毎日最低でも4〜5kmを歩いている。日常的な連続した歩行は30分程度で、この距離なら5.5km/hで歩行しても息は上がらない。それ以上の距離はテストしていないのだが、2km圏内程度なら杖なしでの安定歩行も可能。

桁の違う目標へのチャレンジ

ということで、直近に歩行した最長距離の4倍かつ、いつもの歩行距離の10倍ほどのチャレンジになる。こういう数字を久しぶりに見てとても興奮している。
スポーツ心理学的には、常に110%の目標にチャレンジすることが推奨されているが、そのように恵まれた環境で育った覚えはないし、順当に進んだ先に何かがあるならONEPIECEは1000話まで続かないよなという感じもするので、今回は110%の原則をガン無視してスタートアップ感のあるエキサイティングなチャレンジにしたいと思う。

42.195kmを「歩く」"理由"

とは言え、別に今からパラリンピックを目指すわけでもない。スタートアップ界隈の人たちは嫌いそうな表現かもしれないが、僕はそのへんにいる普通の会社員だ。
この距離を歩くこと自体にはあまり意味がない。というか全然ない。にも関わらず、こんな発想に至ったのには理由が本当に山ほどあるし、できれば網羅的な説明をしたいのだが、書ききれないのでこんな感じに着地させている。

・抑揚のない毎日に飽きた
・今すぐ取組める最高難易度の目標に挑戦
・健康な人でも足踏みすることに挑戦したい
・何かをやり切ったという事実がほしい

自分はドMということなんだろうと整理できた。ただ、確かに本当の限界を測るには不可能だと思われることに取り組むしかない。
それから、こんな局面でも自分の資質が影響してるようだった。


こんな距離をわざわざ歩こうと思ったことがなかったので調べ始めてから知ったことなのだが、国内には「100kmウォーク」なるイベントが100件以上ある。


こう見るとだいぶ負けてる感じがする。でもまあ、ここは「こちとらハンデあるしな」という防衛機制で凌ぐことができる点も、自分って精神が安定している生命力の高いタイプなんだなと自賛している。もう少し体力が回復したら、これにも挑戦してみようと意気込んだと同時に、リサーチ大事やなと実感した。

42.195kmを「歩く」"目的"

やろうと思った理由とは別に、目的を書いておく。

・自分で立てた目標を自分で達成する
・目標の達成度合を測って現状を評価する
・結果がどうであれ振り返りをして今後の回復に役立てる
・リハビリ以外(例:復職後)も必要であろう感覚を養う(※)
(※)表層の活動は確実に不要なのだが、コアはブレてないと思う


全距離を歩き切れないかもしれない。そもそも慣らしてないし。まあそれでも良いのだ。やってみて、今の自分がどんな状況にあって、何が不足しているかを思い知りたい。今すぐ取り組める最高難易度の目標に挑戦しているので失敗は想定内だ。ただし、当然達成を目指す。

42.195kmを「歩く」コース

スタートは埼玉県さいたま市大宮区の自宅(コースの距離計測開始地点は最寄のバス停から)。ゴールは神奈川県川崎市中原区の武蔵小杉駅。Google mapでおおよその距離を計測したので、微妙な誤差はあるだろうが目を瞑る。ちなみに0.195kmについては、もはや計測しようがないのだが、そう言っておいた方が見栄えが良いのでこの表記にした。それに拘っても意味のないポイントかとも思った。
上京してすぐの頃に住んでいた街を通るので、個人的にはとてもエモい。そのまま南下して愛する中野区と中央線を横切る。てんかん防止薬を服用していなければ、高円寺で一杯呑んでから続きを歩きたいくらいだ。むしろ倒れる前ならスト缶を持って歩いているかもしれないが、それはもはやスポーツではないよなと思う。
ちなみに、休憩地点は道なりに適当な場所をアサインしただけなので、適宜変更を加える。それから、寄り道や蛇行をして無駄に距離を稼いでしまった場合は、手前の例えば田園調布などで終了という場合もあるかもしれないが、これについては当日定点観測的にiPhoneのアクテビティに表示された歩行距離をスクショしてTwitterで投稿することで共有することとする。
まあ誰も見ないと思うのだが、ここにいない誰かにも忠実な対応をするというのは僕なりの誠実というものなので。

いつ42.195kmを「歩く」のか

日程:2021年1月13日(水)
出発:5:00
到着:19:00〜20:00くらい

いつもの半分以下の速度で、かつ十分な休憩を挟みながら歩行して42.195kmを歩き切ろうと思っている。にしても14時間か。風邪ひかないようにしよう。

現時点での反省

一人で立てたというのもあって、とてもチープな取組みになりそう。どうせなら派手に「31歳脳卒中発症から8ヶ月」「フルマラソンの距離歩いてます」「Twitterフォローしてください」「でっかいQRコード」みたいなプラカードでも準備して、それを背負って歩けばよかったかな。と感じている。まあそれはそれで失敗した時に恥ずかしすぎるので次回以降の楽しみにする。

後編へ向けて

僕は根暗な人見知りなので、のめり込みやすく、割と進んで無理もする方なのだが、無茶はないように危機管理をする。
歩行中は孤独なので、寂しくなったら誰かに電話で邪魔をしつつ、最後まで楽しくやれれば良いかなと思う。ということで後編の内容はまだ考えていない。

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