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アート作品をネットや本で見て、由来や歴史などを学ぶことを無駄だとは思いませんが、何よりもアート作品を体験すること、出来れば生で見て、衝撃を受ける、感動、出会い、わざわざ美術館まで足を運んで、見るという行為の中に、強烈な体験を味わう、このような体験をしても、直ぐに自身のクリエイトに、直接的にフィードバックされることは少なくて、時を経て、無意識、無自覚の内に、自ずと出てきてしまう、滲み出てくるものがあるはずです

春アニメはファブルぐらい。冬にけっこうテレビアニメを追い掛けていたので、今季はアニメは控えて、映画を流したり、テレビドラマ「季節のない街」を毎週録画しています。
季節のない街、1回目を見たら「どですかでんじゃん!」とビックリして、ネットで調べたら、どですかでんの原作小説が「季節のない街」で、テレビドラマも同じ原作なので、似ているのだな、と分かって、それにしても、映画「どですかでん」は名作で、私は中学生頃にWOWOWで見た記憶があります。内容は覚えていませんが、鮮明な色彩、未だに脳に焼き付いています。
テレビドラマ「季節のない街」は宮藤官九郎さんの脚本、ドラマの舞台が被災地の仮設住宅だと知って、これは見ないといけないな、と感じて、第1話、これは凄いドラマになるだろう、と分かりました。
ホームページのコメントで、宮藤官九郎さん、当然、どですかでんを周到した上で脚本を書いていて、あの名画を周到して新しくドラマの脚本を書く時点で、相当な覚悟を持って挑んでいるのが伺えました。

石田彰プロデュースのザクウォーリア(左)と、境界戦機のメイレスケンブ(右)

今朝の模活は、ベランダでプレミアムトップコート、スプレー塗布をしました。メイレスケンブと見出し画像の戦車兵士達。

ザクウォーリア、パチ組で完成。色が凄い!
石田彰さんが成形色を決めたみたいで、この色を選ぶセンスに脱帽したので、塗装はしませんでした。この味わい、素晴らしきプラモデルキット。
メイレスケンブは、筆塗りの厚塗り。モコモコにしました。
私の筆塗りは雑な方が良いな、と考えていて、ムラなんて気にせず、若干のはみ出しも味わい、丁寧に塗らないことで、天野喜孝さんのイラストのような有機的な線を狙っています。

この間、撮影した桜の写真

アートについて、以前から書いていて、桜の写真、見返していたら、「これはモネの睡蓮じゃないか?」と気付きました。構図や色彩、雰囲気など、モネの睡蓮からインスパイアされていそうです。
20代の頃、オランジュリー美術館展。モネの睡蓮の間を再現した展示を見たのを、未だに覚えています。モネの睡蓮の間は、私にとって「体験」であり、「事件」ですらあったかも知れません。
アート作品をネットや本で見て、由来や歴史などを学ぶことを無駄だとは思いませんが、何よりもアート作品を体験すること、出来れば生で見て、衝撃を受ける、感動、出会い、わざわざ美術館まで足を運んで、見るという行為の中に、強烈な体験を味わう、このような体験をしても、直ぐに自身のクリエイトに、直接的にフィードバックされることは少なくて、時を経て、無意識、無自覚の内に、自ずと出てきてしまう、滲み出てくるものがあるはずです。
なので、アートに限らず、体験、インプットからのクリエイト=アウトプットへのフィードバックは、即効性のあるものもありますが、利己的に捉えず、まずは楽しんでみる、感動する、出会す、蓄積が良い塩梅に発酵して出て来たり、あまりそのことを悩んだり、考えても仕方がないのではないか、と。

昨日撮影した駐車場内の花壇

ザクウォーリアをパチ組で完成とする、余計な手を加えない、これは、造形、特に人為造形への親しみであり、愛しさや興味が私の中から湧いて出て来たのを感じています。
プラモデル制作をするまでは、スナップフォト、例えば、花壇を撮る時に、抵抗感がありました。人が植えて育てている植物は、自然とは呼べないのではないか、と。
或いは、人口的に設計された自然を積極的に撮りたいとは感じなかったのです。
今は、人の手が入っている、花の世話をする、ワザマエ、これは、模型制作に近いものがあって、人為にクリエイトを感じ、さらに、その人の営みを想って、敬意を覚えるようになりました。リスペクト。
バラ園なんて、お世話をしている人達の感謝しかありません。桜もそうでしょう。誰かが管理してくれているから、毎年、見ることが出来るわけです。

ザクウォーリアに関しては、こんな成形色にしてしまった石田彰さんにリスペクト。とてもユーモラスで気に入っています。

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